932 :名無しさん:2012/07/25(水) 21:43:17

ねたss「新3B政策とイラクの夜明け」



3B政策。それは、かつてのドイツ帝國皇帝ヴィルヘルム2世によって主導された、ベルリン・ビザンティウム(イスタンブール)・バグダードを鉄道で結ぶという政策であった。
その目的は、鉄道建設及び沿線に資本を投下し自国の経済圏に組み込むことであったが、イギリスの3C政策と対立し第一次世界大戦の敗北によりその野望は潰えた。

しかし、第二次世界大戦の勝利はドイツにとって再び中近東に目を向ける機会となった。
特にペルシャ湾岸は世界最大の石油の資源地帯であり、この地域へのアクセスを確保することは非常に重要である。
また、ルート上にはトルコ、イラクといった反露、反英感情の強い国家の存在もあり、ソ連という敵がいる以上、取り込んでおく必要があったためだ。

この政策に賛成したのが意外にもイラクである。
今のイラクはイギリス委任統治領メソポタミアが1930年にイギリス・イラク条約を結び、1932年イラク王国として独立を承認された事から始まる。
しかしイギリスは基地をイラク国内に維持し、軍を自由に動かせるなど、独立には程遠かった。国王ファイサル1世が1933年に死去した後、反英派のガージー1世が即位したが、
1939年に自動車事故で急死。その後4歳のファイサル2世の即位と、反英感情の土台には十分な要素がそろっていた。

そんな中、第二次大戦が始まると、イラクはイギリス・イラク条約に基づきナチス・ドイツと国交を断絶したが、1940年に反英派のラシード・アリー・アル=ガイラーニーが首相となり、
その後の英独停戦、独ソ戦のドイツ勝利に伴うゴタゴタにつけこみ、資源をバックに枢軸国への接近を図った。

933 :名無しさん:2012/07/25(水) 21:44:35

~バグダード Radwaniyah宮殿~
「イギリスからクウェートを奪回すべきだ」
「いや、まず国内のイギリス軍の撤収、条約の改正が優先だろう」
「そんな手順を踏む必要はない。あんな条約さっさと破棄してしまえばよいのだ」
「枢軸諸国がいる限りイギリスは譲歩せざるを得ないのでは」
「石油資源の国有化を遂行させるべきだ」
「軍のドイツ式に合わせて近代化を」
等々、今までの反発からか強硬策が目立っていた。
(・・・)
一方、首相ガイラーニーは憂鬱であった。たしかにイギリスは許しがたき侵略者である。
しかし、南は親英のサウード家が支配するサウジアラビア、西はどう転ぶか予測できないフランス領シリア、
そして東は英ソの重しがとれた事で活発になることが予想されるパフラヴィー朝イランと状況は決して楽観できない。

「・・・首相、ガイラーニー首相」
意見を求められた事に気づき、発言をした。
「まずは、国力を増加させるべきだ。そのためにドイツと手を結び国内への投資を優先させる」
対英強硬派からは不満の表情がにじみ出ていたが、この国には産業基盤が徹底的に不足しているのだ。
身を守る武器も国家の柱となる石油の採掘施設も自国ではろくに生産できない。
となれば、当面は国内を優先させるしかなかった。

イラク王国は枢軸(というかドイツ)頼りであるが、独立国家として自らの道を選び始めた。
様々な問題を抱えつつも、イギリスの凋落、そしてアメリカが歴史の中に消えた今、少なくとも彼らを前途は暗いものではないだろう。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2012年07月25日 22:23