23 :taka:2012/07/28(土) 13:43:43
ベルリンの一角に、まるで中世の城塞のようなコンクリートの塊が存在する。
高射砲塔。爆撃という一気に進化した戦争のスタイルに対抗するべく、ドイツが作り出した解答の1つ。
通常爆弾では到底打ち抜けない重装甲な鉄筋コンクリート。
ハリネズミの如く張り巡らされた対空機銃と対空機関砲。
高々度を行く敵爆撃機を撃ち落とすべく設置された128mm高射砲。
重要都市に設置されたこれらは、都市防空の要となる筈だった。
そう、なる筈だった。ならなかったのである。
この世界における欧州の大戦にて、ドイツの防空戦はかなり短めである。
ドイツ本土を空襲できるだけの力を持つ空軍が英国空軍のみであった事。
結局
アメリカが参戦する前に英独の講和が成った事。
1942年の戦争終結までベルリンなどの重要都市が爆撃された回数は数える程度でしかない。
もう一つの戦線、東部戦線では早々にソ連軍の飛行場がポーランドから後退した事もあり、戦略爆撃らしいものは殆ど無かった。
精々が東プロイセンの都市へのハラスメント的な爆撃であり、高射砲塔が活躍できるような機会は無かった。
そして、高射砲塔の戦いも対英戦終了と共に終わる事になる。
あまりにも目覚ましい技術と兵器の進化が、たった数年で高射砲塔を陳腐化させてしまったのだ。
超高々度を飛ぶ戦略爆撃機。音速を超える攻撃機。砲弾では捕捉不能な誘導弾にミサイル。
これら新世代の兵器を迎撃するに辺り、高射砲塔は完全に時代遅れな存在になってしまった。
かけた費用とマンパワーを考えれば、全く割に合わない建造物のみが残された。
その余りにも頑丈すぎる構造故に撤去作業もままならないというおまけ付きで。
救いと言えば予算不足故にベルリンとその周辺都市限定で建設されていた事程度である。
その後の高射砲塔がどうなったか?
ベルリンの高射砲塔は幾らか使い道があった。
装備を全て撤去した後に、表面に大理石を張り付け巨大な勝利モニュメントとしたのだ。
内部は戦争博物館となっていて、1939年から1943年までの第二次世界大戦の歴史がドイツ主観で綴られている。
しかし、皮肉な事に博物館の舞台である高射砲塔については、博物館内に殆ど記述がなされてないそうだ。
まさしく戦争が作り出した超巨大な張りぼて、という存在なのかもしれない。
最終更新:2012年07月28日 15:15