299 :yukikaze:2012/09/09(日) 13:18:28
「そもそも、親もいない子だからこういう風に育つんです」
ヒステリックに叫ぶ教師の声を聴いた時、私の中で何かがはじけた。
今こいつは何と言った・・・?
成績が落ちた私が怒られるのはまだいい。
それは誰のせいでもない。私の自業自得だからだ。
だが、何故無関係な栞が責められなければならない。
それだけでも腹が立つのに、この女は言うに事欠いて、
栞の家庭環境にまで踏み込み罵倒をしたのだ。
未だに何か喚き散らす教師と、それに黙って耐える栞。
そしてそれをおろおろとしながら何もしない栞の担任を見て、
私が怒りの声を挙げようとしたその時・・・
「ちょっと待て。今何といったのかね」
低く静かな声が、理事長室に響き渡った。
その声を発した人間は、このバカバカしい場が始まってから
今まで一言も発せず、私も半ば存在感を忘れ去っていたのだが、
だからこそ私を含む全員の意表を突くことになった。
「もう一度言う。今何といったのかね」
声音からも表情からも、感情は全く感じられなかった。
だからこそだろうか。私は恐ろしさをより強く感じていた。
「り・・・理事長、わ・・・私は・・・」
先程までの威勢はどこに行ったのか、件の教師は今では哀れなほどまでに
震えている。どうやらこの低能も、自分がとんでもない事をしでかした
のではないかと思い至ったようだ。
「今回の事件の問題である佐藤聖君の成績が下がったことで、佐藤君が
叱られるのは仕方がない。だが・・・その原因を久保栞君に押し付けるのは
筋が違うのではないかね」
理事長の言葉に、教師は何か反論をしようと言葉を探すのだが、全くといって
いいほど成功していない。
そして教師のそうした姿に何の関心も見せずに、理事長は言葉を続ける。
「ましてや久保君の家庭環境を理由にして久保君を責めるなど、教育者としても
聖職者としても問題があるのではないかね」
そこまで言うと、理事長は無表情で、指を入り口のドアに突き付ける。
「退席したまえ。この件に関して、君はもう関与しない方がよさそうだ。
ああ君もだよ。生徒にとって一番の拠り所であるはずなのに、何もしなかった
ことは生徒にとってどれだけの絶望を与えるか。
シスター上村。この件は私が対処する。この二人の教師については君に任せる
後ほど対応策を携えて私の所に来るように」
校長は無言で一礼すると、顔面蒼白になっている二人の教師を促して退出する。
そしてその光景に、私はいい気味だと思った。彼らは正当な罰を受けたのだ。
同情するつもりなんて更々ない。
そんな私を現実に戻らせたのは、どこか呆れかえったような声だった。
「佐藤聖君。君は何様のつもりかね」
そう言われて、私は理事長が一体何を言っているのかわからなかった。
一体理事長は何を以て「何様のつもり」などと言ったのだろう。
困惑する私に、理事長は溜息一つつくと、おもむろに切り出した。
「君は今、あの2人の教師が叱られたことをいい気味だと思っただろう」
「・・・・・・はい」
私は正直に答えた。
嘘を言っても始まらなかったし、理事長に嘘が通じるとも思えない。
そもそも、悪い事をしたと言う気持ちなど欠片もなかった。
「今回の事件の原因は君なのだよ。確かに彼女たちは批判されるべき行動をとった。
だからと言って、君が彼女たちを冷笑する権利もない。お門違いだ」
さっきまで高揚していた私の気分は一気に冷やされた。
理事長の言葉だけではない。それよりも理事長の目を見たことの方が大きかった。
理事長の視線は冷たかった。それこそ恐怖のあまりへたり込んでしまいかねない程の。
知らず知らずのうちに震えていたのだろう。栞が私の左手をそっと両手で包んでいた。
その温かさが何よりも有難かった。
「佐藤君。何故今回の事件が大事になったかわかるかね?」
「成績が落ちてしまったからですか」
その返答に、理事長は静かに首を横に振った。
「そうじゃない。君の久保君に対する行動が危ういものだからだよ」
300 :yukikaze:2012/09/09(日) 13:19:33
危うい・・・? 私と栞の関係が?
私は理事長の言葉が理解できなかった。
「君の行動を見ているとね。こう要約できるだろうか。
久保君以外に興味を持たず、久保君しか目に入らない。周りが何か言えば言うほど、
より一層久保君に対してのめり込む。久保君の理解さえあればそれでいい。違うかね?」
その通りだ。栞は私の心を受け入れた。彼女は自分を否定しなかったのだ。
自分にとってはそれだけで十分なのだ。
「君にとって栞君は最愛の存在であり、そしてそれにのめり込む気持ちは分からないでもない。
だがね。私の目から見てもいささか歪んでいるんだよ。ああ、女性と女性の関係だから
などという意見からではないよ。私が歪んでいると思ったのは別の視点からだ」
そう言うと、理事長は私の目をまっすぐに見て問いかけた。
「佐藤君。君は久保君が君の思いを受け入れた理由についてどう理解しているのかね?」
その言葉に、私はすぐさま答えようとして・・・言葉が出なかったことに愕然とした。
そうだ。私は栞が自分を受け入れたことに舞い上がってしまって、何故栞が受け入れてくれたのか
考えた事すらなかった。
「久保君。君は何故佐藤君を受け入れたのか、話すことはできるかね?」
理事長は穏やかな声で栞に問いかけた。
そこには批判じみたものは全くなく、どこか温かさを感じさせるものであった。
栞はうつむきながら何かを考えていたようだが、やがて小さな声で返答した。
「聖が・・・聖が危うかったから。受け止めないと壊れるような気がしたから」
私は思わず目を見開いた。
栞が自分を思っていてくれることを再確認したこともあるが、それ以上に栞からみても
自分が「危うい」と思われていたことに。
「優しいな。君は」
理事長の声は暖かだ。
だが、その視線はどこか痛ましげな色が浮かんでいた。
「だが・・・それがいかに歪んだものであるか。聡明な君には理解できるだろう?」
理事長の言葉に、栞はますますうつむく。心なしか肩も震えているようだ。
これ以上栞に答えさせるのは無理だ。私は理事長に声をかけようとしたが、それは
理事長の次の一言で出来なくなった。
「はっきり言おう。このままいくと君たちの未来にあるのは駆け落ちした後の心中だ。
大げさだと思うかい? でもね。世間から理解されない恋人達の行き着く先はそれだよ。
私はそういう未来は絶対に認めない。私のかわいい天使たちが自殺? 冗談じゃない。
娘の幸せを祈らない親がどこにいる」
『心中』。一瞬、栞とならばいいかもしれないと浮かんだが、慌てて打ち消した。
冗談ではない。何故栞を死なせなければならないのだ。
「では・・・どうすればよいのでしょうか? 私は聖を死なせたくありません」
私と同じように『心中』という言葉にショックを受けたのであろう。
栞は縋るように理事長に尋ねた。
理事長は、少しの間目を瞑って何かを考えていたが、やがて真剣な声で答えた。
「君達は、一時離れるしかないと思う。お互いが依存しあう関係ではなく、
互いに理解した上で、一人の個として尊重しあう関係になるまでは。
残酷に聞こえるだろう。憎んでくれても構わない。だが・・・今の危うい関係を
保持する方がもっと危険だ。佐藤君にとっても久保君にとってもだ」
私はそれを呆然として聞いていた。
栞と離れる。とてもではないが無理だ。私の心が耐え切れない。
だが、このままの関係でいると、私はともかく栞にまで破滅を齎しかねない。
どうすればいい・・・
どうすればいいんだ・・・・・・
結局、栞は理事長の知り合いが経営しているミッション系の学校に転校した。
栞自身相当に悩んだのは、彼女が私に転校を告げた時、顔が相当やつれていたことからも
理解できた。
「聖。私はあなたのことを忘れない。今回のことが良い思い出であったと二人で笑える日が
来るよう私も頑張るから」
優しげな微笑みそう答える栞に、私は素直に負けたと思った。
彼女は今を受け入れ、それを糧にしようとしている。
少なくとも、今の私にはできるものではなかった。
「お互いに頑張ろう」
そう言って、私も同じように微笑むと、最後に栞を抱きしめた。
一時の別れを惜しむためと、そしてともすれば、悲しみに歪みそうになりそうな自分の顔を
見られないために。
自分と同じように強く抱きしめる栞の暖かさを感じながら、今自分達は心から繋がっていると
思った。
最終更新:2012年09月22日 15:34