332 :名無しモドキ:2011/06/11(土) 20:49:28
名無し三流様に続き、これもソ連話です。
モスクワ通信 対ソ謀略組織「オリガ」
1939年10月14日 第二次世界大戦開始直後 芬ソ戦争(冬季戦)間近の頃
外務省参事官ソ連局局長大島浩は、今日はとびきりの憂鬱に包まれている。居間のソファで何度か溜息をつく。
「あなた。」本を読んでいた妻のタチアナが声をかける。
「ああ、どうした。」大島は取り繕うように返事を返す。
「何度も声をかけてますのよ。何か考え事ですか?」タチアナが優しく聞いた。
「なーに、君がいつまでも美しく気立てのいい娘でいてくれて、俺は幸せ者だと思っていたんだよ。」
「ご冗談を。三十代後半の子持ちの娘なんていませんわよ。それに容姿だって見てくれの悪いただの中年女
ですわ。」タチアナは癖で笑いながら口を手で押さえて言った。
タチアナの言った前半の部分は本当だが、後半部分は謙遜である。亡命ロシア人貴族を父親に持つタチアナ
は日本で育ったロシア女性である。余程、日本の水があっていたのか、日本人の女性のように見た目より若く
四十近くになっても大島がタチアナに初めて会ったころの面影が残っている。
大島は、タチアナが同年配のロシア人女性と比べて若々しいのは、タチアナが大好きな日本食と日本の温暖
な気候のせいだと思っている。反対にロシアの冬の厳しさに、油の多い食事、これらが急速に老化を推し進め
る原因だと考えていた。
「いつまでも隠しているわけにもいかないか。実はソ連公使を内示された。」大島は意を決して言った。
「ロシアです。」タチアナはきつい口調で言った。彼女は未だにソ連を認めていない。
史実では陸軍軍人としてキャリアを進めた大島浩は、史実での働きから想像されるように、憂鬱世界では
逆行者であった。彼は軍人の道を選ばずに東京外国語大学ロシア語科から東京帝國大学に移り外務官僚への
道を進んだ。条約局からロンドンへ官費留学をした後、駐露公使館二等書記官、駐米大使館二等書記官、駐
イタリア大使館一等書記官、ソ連との国交樹立外交団随員、初代ソ連公使館参事官などを努めたエリートで
ある。ただ、海外勤務の長かった大島が結婚したのは、四十路を迎えてからだった。
大島がロシアからの裕福な亡命子女が多く通っていた青山正露基督女子大学の学生であったタチアナと知
り合ったのは、現代露西亜情勢についての臨時講師に大学へ招かれたことが切っ掛けであった。現在のソ連
社会について強い関心を持っていたタチアナは、大島の家にまで押しかけて話を聞くという熱心さであった。
ハニー・トラップを極度に警戒していた大島は、任地では女性に関心がない類の男かと陰口を言われるほ
ど禁欲的な生活を送っていた。その、大島は日本本土ということと亡命ロシア貴族の次女であり間諜の危険
性は少ないだろうと考えてタチアナの訪問を表面は唯々諾々、内心は歓迎をもって許していた。
当然、噂になる。大島はタチアナに、そんなに話を聞いたり大島の集めたソ連の写真などが見たければ、
この家にずっといればいい。それには、あなたが私の妻であることが一番好都合であると真面目にタチアナ
に話した。暗に、もうこれきりにしましょうと言うことである。
しかし、タチアナは、これを求婚の申し込みと受け取った。ここからが外交技術に反して私生活では驚く
べき純真さを発揮する大島の真骨頂である。大島はタチアナの心をおもんばかり、彼女の勘違いを訂正しな
かった。
タチアナの父親からは外交官といっても二十も年の離れた平民風情(大島家は士族出身だが)に娘はやれ
んと猛反対される。だが、大島の父親が元陸軍中将大島健一であることがわかると話は順調に進んだ。タチ
アナの父親は日露戦争時にロシア陸軍中央部にいた元軍人である。タチアナが次女ということと、あの大島
閣下の子息ならいたしかたないということになった。もともと父親は内心はタチアナの相手に大島が不足と
思っていたわけではない。亡命貴族とはいえ家柄を無視した婚姻は唯一の自分たちの存在理由を危うくする
からである。世間に納得のつく説明のある婚姻以外は認めることはできない。貴族であるという看板は不便
なものである。
333 :名無しモドキ:2011/06/11(土) 20:56:33
瓢箪から駒のような結婚であったが、海外経験の長い大島、女学校に通い日本の生活に慣れ親しんだタチアナ
の二人は外国人男性が日本女性を娶ったと言われるほどで、二人の間の価値感に大きな差がなく仲睦まじい夫婦
生活をおくり二人の子供にも恵まれた。結婚してからは、駐サンフランシスコ領事以外では大島はワシントン会
議などの重要会議には同行するものの本省勤務となり、(普通の夫婦にありがちなことはあってもそれなりに)
穏やかな家庭生活をおくっていた。
1939年10月12日に大島は外務大臣から呼び出された。大臣直々の要請、いや命令とあれば受けざる得ない。
その内容は事前に
夢幻会から打診を受けて断り続けていたものである。夢幻会はフィンランドでのソ連との対決
を覚悟した時点で有能で他に使い道のある重光葵公使を引き上げることにした。そして、史実知識から細かな対
策が取れる夢幻会のメンバーをソ連公使にと考えたのだ。
「で、いつロシアに赴任ですの?」タチアナがうきうきした様子で尋ねる。
「月末には正式な辞令が出る。それまでには、こちらで打ち合わせなどをすましておかないとな。」
「何故、そんなに困った顔をされているんですか?あなたには打って付けなお役目ではないですか。」
「あの重光公使の後任だぞ。それにソ連公使ともなると単身というわけにはいかないんだ。」
「わたしがロシア語に不自由だとでも?」タチアナは仏頂面で言う。
「あの共産党政権下のロシアだぞ。君はロシア貴族の娘。どんなことになるのかと思うとな・・。」
「わたしの出自はそうでも、今は日本人の大島タチアナですわ。何も問題はありません。」
「そうか。タチアナがそこまで覚悟しているのならいたしかたない。ただし、敏彦とエリナは日本に残す。
それでもいいか。」長男の敏彦は中等学校2年、長女のエリナは今年、女学校に入学したばかりである。
「二人はお父様に預かってもらいます。」躊躇なくタチアナは答えた。
11月初旬というのに、早くも冬景色模様になったシベリア鉄道沿線の風景を見ながら二人は交代要員の
外交官、駐在武官とモスクワに向かった。
「憶えてますわ。この風景、この空気、怯えながら列車を何回も乗り換えてウラジオストックへ向かった
ことを・・。お父様たちにもこの風景をもう一度見せてあげたい。そんなことのできる日が来ますかしら。」
大島には同じように見える、寒々したタイガの風景をタチアナは飽きることなく見ていた。
「そうだな。その可能性はあるかな。」大島もソ連成立直後に乗ったシベリア鉄道の風景を思い出した。
派手なスローガンを書いた看板は多く見かけるが途中の駅や家並み、駅で見かけるロシア人の服装の印象は
少しもかわっていない。ソ連成立後、地方は革命時とそんなに変わらない生活状況なのだろう。その間の世
界の進歩からみれば相対的には悪化しているかもしれない。第一実際にソ連は崩壊したじゃないか。そんな
ことを考えながら大島は答えた。
モスクワのヤロスラブリ駅には、重光駐ソ公使が出迎えにきていた。
「重光公使、恐縮です。」大島は外務省の大先輩の出迎えに本心から恐縮した。
「いやいや、今日を逃すとタチアナさんにお会いできないからな。いや、本当にお美しい。こちらの女性を
見慣れたわたしが言うのだから間違いない。」重光公使はタチアナと握手した。
「重光公使もお口が上手ですわ。外交官は皆さんそうですわね。」タチアナは口を押さえながら笑う。
「申し訳ないが、ご主人をお借りしますぞ。夕食には返しますからホテルでお待ちください。公使館の者に
案内させます。公使公邸は明日にはお引き渡しいたしますので一日だけご辛抱ください。」重光公使の目は
笑っていなかった。その光景を、何事かと遠巻きにしてロシア人たちが眺めている。
この後、公使館の自動車で重光公使と大島は公使館へ向かった。
「大島君も大変な貧乏くじだな。」重光公使は心底気の毒なという口調で言った。
「すでに陸軍の三千人以上が義勇軍としてフィンランドに到着してます。航空部隊も展開間近です。スターリン
がフィンランド侵攻を翻意する可能性はありますか。」大島は一縷の望みを課して聞いた。
「一見強大にみえる独裁者は不自由なものだよ。一度、言い出したことはどんなに迷っても遂行しないわけには
いかないものだ。」重光公使の返事は冷淡だった。
334 :名無しモドキ:2011/06/11(土) 21:02:14
「日本がフィンランドを支援した場合に対日宣戦布告する可能性は?」大島は恐る恐る聞いた。
「それをさせないのが君の役目だ。ソ連政府が何を言おうがのらりくらりするんだ。絶対に言い争うような
場面はつくるな。」重光公使は大島の方を向いてきっぱり言った。
重光公使と大島が、顔を突き合わせて話し込んでいる頃、タチアナはホテルの部屋で公使館の二等書記官
と駐在武官の細君に会っていた。
「この部屋は大丈夫です。盗聴の心配はありません。客室係の一人がこちらの人間で確認済みです。ただし
ベッドルームには盗聴器がありますから注意してください。」駐在武官の細君が事務的に言った。
「無粋なことですわね。」タチアナは笑いながら言った。
「あなたは、ここでは目立つようで目立たない存在です。わたしたちでは出来なかったことをよろしくお願
いします。」書記官の細君は丁寧にお辞儀しながら言った。
「心に期することもおありかと存じますが公使夫人としての行動からは決して逸脱なさいませんように。」
駐在武官の細君はやはり事務的に言う。
「気負わず。追わず。蜘蛛は決して獲物を追いません。やってくるものだけを捕らえる。心得ております。」
タチアナはやはり口に手を当てて笑いながら返事をした。
駐在武官の細君が口に指を当てると、そっとドアの方へ歩み寄りいきなりドアを開けた。太った中年女性
の客室係と若い男性のフロント係がドアに耳を当てた格好のまま転がり込んできた。ソ連防諜機関あまりにも
露骨で杜撰だろうと、部屋にいた三人は心の中で突っ込んだ。
「では、到着してすぐでお疲れのところ申し訳ありませんでした。先ほどお話ししましたように公使館婦人会
の歓迎会を明後日に行いますのでよろしく出席をお願いします。」転がり込んできたロシア人達に聞こえるよ
うに書記官の細君は大きな声で言うと駐在武官の細君と部屋を出て行った。
情報局は外交官の家族、特に夫人を中心とした諜報組織を持っている。その組織に属していることは、決し
て夫には知られてはいけない。外交官夫人の特権として得た情報のみを知らせる。そして、夫がハニートラッ
プに嵌らないように監視するのが任務である。通常は、誰が情報局に通じているのかはお互いに知らない。
しかし、ソ連公使館とドイツ公使館の場合は、特に優秀な女性を集めてある程度チームプレーができるように
なっていた。大島が聞くとがっかりするが、彼がソ連公使に選ばれた最大の理由は外務省上層部と情報部が
タチアナをモスクワに送りたかったからである。(参照>>269)
旧姓タチアナ・ドミートリエヴァ・ストロガノフ、旧ロシア帝国ストロガノフ子爵令嬢、名門貴族かつ富豪であるストロガノフ伯爵家の分家に当たる。現在日本国籍大島タチアナ 彼女は情報局の協力者であり、対ソ謀略組織「オリガ」のメンバーでもある。「オリガ」はロシア(文化)贔屓の夢幻会所属の日本人が主体となり白系ロシア人が協力するという形のグループで、情報局の下部委託組織というような組織である。共産党政権へのアンチプロパガンダ活動が主体である。
それもかなりチートな方法が日本人グループの手で取られていた。「モスクワ郊外の夕べ(帝政時代の都市生活を懐かしんだ歌詞)」「ポーリュシカ・ポーレ(ロシアの自然を讃える歌詞)」「カチューシャ(共産党支配地域に残してきた許嫁の過酷な生活をおもんばかる歌詞)」「モスクワ防衛軍の歌(祖国奪回を誓う白系ロシア軍義勇軍歌)」など共産党政権下でロシア民衆に親しまれた曲を方ぱっしから、ロシア民謡などからの編曲ということにして世に出した。それを「オリガ」のロシア人グループが白系ロシア人を通じて世界に広めたのである。また、史実世界以上に文部省唱歌にこれらの曲が採用されてロシア音楽は日本人にも親しまれた。さらに、著作権料は「オリガ」の活動資金になった。
さすがに、心が痛むので作曲者が亡命しているような場合は、作曲家を誘導して原曲に近いものが出来ると編曲と称して完成させ作曲家にも史実以上の著作権料が作曲家に入るようにはしていた。
これらの曲はもともと民衆に受け入れられる下地をもった曲であるため、ソ連では皮肉にもレジスタンスソングのような形で歌われていた。ソ連ではこれらの反動的、情緒的な曲に対抗するという名目で、退屈で教条的な共産党讃歌・スターリン礼讃のような曲以外には民衆のための曲はほとんど登場しなかったため後世の音楽評論家からはロシア音楽の暗黒時代と呼ばれる。
335 :名無しモドキ:2011/06/11(土) 21:08:41
「オリガ」最大の音楽系チートは「ソ連国歌(なかなか名曲)」を「アナスタシア王女讃歌」として発表した
ことだろう。アナスタシア王女臨席では、「君が代」「帝政ロシア国歌」「アナスタシア女王讃歌(ソ連国歌)」
が演奏されるという事情を知って居る人間には皮肉な光景を展開させる。
知らないうちに国歌を簒奪されたソ連では史実のように、当初国歌として使用されていた「インターナショナル」
がずっとその地位を保っていた。日本では「インターナショナル」は「労働歌」として紹介される以前に
「御維新音頭」という戯れ歌で紹介されており、毎年メーデー(憂鬱世界では労働運動は違法ではなく極く普通の
社会運動である。そして、5月1日は戦後日本のように労働組合のある企業では、なし崩し休日のように取り扱われて
いる)で歌われる「労働歌」の方が替え歌だと認識されていた。このため多くの日本人は、「ソ連国歌(インターナ
ショナル)」を聴くと戯れ歌の歌詞を口ずさんでしまう。
文学についてもラーゲリ(収容所)から奇跡的(もちろん情報部の手引きよる必然)に脱出したロシア人作家を誘導
して「戦前版イワン・デニーソビチの一日」や、1930年代のウクライナ大飢饉を背景にした「ソ連版怒りの葡萄」、大
都市の住民生活を描いた「ソ連版1984」などの作品を世に出していた。これらの作品群は、大きな影響力を発揮して日本
国民の多くや、一部の欧米諸国民はソ連という国は史実の「某独裁国」のような国であるという認識を持っていた。
タチアナの「オリガ」の一員としての任務は、モスクワ公使夫人として見聞したソ連社会を記述することにある。亡命
貴族の娘が見た革命20年後のロシアというだけで出版価値のある本ができる。彼女の交際範囲は外交関係者や政府要人の
夫人である。少しばかり誇張して、その生活のさまを描くことでいかに共産党エリートと民衆の生活が、いかに乖離して
いるか、また、亡命貴族達の手づるからの情報を利用して如何に多くの貴族出身者が共産党幹部となり権勢を振るってい
るかを主題にする予定である。もちろん「オリガ」と協力関係にある出版社が文章校正まで面倒を見てくれるからある
水準以上の本になることは間違いない。また、地下出版で万単位の本がロシア各地に頒布されることもすでに決まって
いる。
実はタチアナが大島と結婚したのは偶然ではない。外務省上層部と情報部の策略による「お見合い」である。大島自身
はハニートラップを恐れていたが、それ以上に外務省の夢幻会関係者は心配していた。中年男が何かの切っ掛けで燃え上
がっては堪らないと恐れたのだ。そこで、一計を案じて大学の臨時講師ということにして何人かの花嫁候補者に見せたの
である。そこで唯一、大島を選んだのが、将来の自分の活動に役に立つと考えた「オリガ」で頭角を現しつつあった
タチアナだったというわけである。勿論、大島が内地でハニートラップの罠に嵌ったという大島がいたく落ち込むような
この話は、いまだに大島には内緒である。
何はともあれ、モスクワの外交官社会ではロシア貴族令嬢出身というタチアナは抜きん出た存在になる。その気品と
威厳は、自分は役立たずで怠惰な貴族ではなく出自が貧農や労働者階級であることが自慢のはずの共産党幹部夫人らを
完全に威圧してしまう。モスクワでは種々のレセプションで共産党幹部夫人達がタチアナが現れると女王に対するよう
に一斉に会釈をするという光景が見られるようになる。
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earth様が大島浩を他で活躍されることもあろうと思いますが、その際は別の新公使と思ってください。
この話はタチアナと「オリガ」の話です。
最終更新:2012年02月07日 03:58