245 :ヒナヒナ:2012/12/12(水) 20:26:02
○精神科特別隔離病棟【ブラックネタ】
このssには精神疾患患者等に対して差別的と取れる記述や、いわゆる差別用語が含まれます。このような差別等を助長するようなつもりは毛頭ありませんが、そのような読み物に嫌悪感を覚える方などは、このssを読まれないことをお勧めします。
「おかあさん、あの人なんか可笑しいよ」
「見ちゃいけません」
かつて精神病棟というのは気違いや気狂いなどを「隔離」し「閉じ込めて」おく施設だった。座敷牢などというものが各地の地主宅や旧家に存在するのは、精神病患者は家の恥、隠すものであるという認識がなされていたからである。
初期の精神医療では治療というものは行われない。狭い病室に閉じ込め病状が落ち着くかどうか観察するだけだ。小さな窓には鉄格子が嵌り、部屋には外から鍵が掛けられる。医療とは名ばかりの牢獄だった。カウンセリングなどという言葉が出てくるのはかなり後のことである。
さて、この世界において精神病院については地味にだが整備されつつあった。少なくともロボトミー手術(意志をつかさどる前頭葉の切除)や、電気ショック療法などは行われていないし、すべてを社会悪として封印する施設ではなく、話を聞いて、症状が比較的軽度の者などには、病状に応じて社会復帰を促したり、社会生活を行う上でのアドバイスを行うようにはなっていた。
例によって逆行者が医学会にじわじわ浸透して、そういう風潮を作ったのであるが、
夢幻会上層部の方針でもあった。これは社会生活には適さないある種の天才(画家や発明家、学者など)と言える者も居るからだ。技術を育て発展させるのは整備された社会基盤と高い教育だが、新規技術を発明するのはやはり一握りの天才達である。技術チートで国を成した夢幻会上層部は、そのチートが効力を無くす日を心底恐れて、才能を貪欲に集めた。そして、常識という笊から零れ落ちる天才を少しでもサルベージすることを考えたのだった。
こうして、向精神薬といったものがでてくるのはまだ先だが、本当に微々たる物だが補助が出来る体制になっていた。
さて、その裏で精神科特別隔離病棟といわれる精神病棟があった。これは入ったら死ぬまで出られないと噂される、夢幻会のてこ入れがあったとは思えないほど前時代的な代物だった。治安上の問題のため場所は公開されていなかったが、特に危険な傾向を持つ精神疾患患者を収容する施設で、社会に出ることを適さない狂人とされた人間が隔離されていた。
偏執的に物や人に執着する物狂い
殺人や傷害事件を起すサイコパス
明らかに更正が認められないだろう性犯罪者
そして、国家転覆を企み“未来に前世を持っている”といった戯言をいう妄想癖を持つ狂人……
この牢獄は社会生活に適さないばかりか社会基盤などを破壊する人間を閉じ込めるものであるが、もう一つの役割がある。国賊ものの逆行者を収容することだ。もともと逆行者は(この時代にしては)エキセントリックな言動を取る傾向にあり、大なり小なり変人のレッテルを貼られている。度を過ぎた者ならば精神疾患として収容してもおかしくない場合が多かったので、それを利用したのだ。
腐敗して外国に国の富を売る者、思想が極度に傾きその上前世知識を使うことで、自分の思想を広めようとする者。唯でさえ一部の人間から注目されている夢幻会なので、そういった者の扱いには神経を尖らせていた。外に接触させたくないが、たとえ内部での制裁でも過ぎれば、求心力は失うし、外部からも危険組織として見られかねない。そういうわけで彼らは厳重な監視体制に置かれたのだ。軽度の者は、単なる犯罪者としての扱いや、監視。重度の者は精神科特別隔離病棟に入れる。もっとも更に危険ならその場で処断せざるをえなかったが。
246 :ヒナヒナ:2012/12/12(水) 20:26:35
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そこの廊下は延々と続く白い壁、そして鉄格子の嵌った窓ばかりだった。コの字になった病棟の窓はすべて内側に向けて付けてある。時たま言葉になっていない雄たけびが響くが、基本的には個々に引き離されているので静かだ。しかし、職員が廊下を通ると噛み付いてくる者もいる。雑用係りのサイトウは所用で病棟の近くの職員詰め所に近づくと、隔離病棟から大声が聞こえてきた。
「おい! 戦争を起して中朝を支配するなんて帝国主義の再来だ! お前らが俺みたいに未来から来たことは分っているんだ! 憲法違反だぞ! 分っているのか!」
病棟外の広間でゴミを集めた後、職員に清掃確認の判子を押してもらっていたサイトウが顔をあげると、病棟職員が煩わしそうに言った。
「また、76号が騒いでいるな。狂人の戯言だ。無視しろ」
「ああ、シソーフテキカクの人ですね。なんでかああいう人は頭が良いのに変な人が多いですね」
「あんなのが同類かと思うと、本当に頭が痛いよ」
「あの人、昨日もさけんでいました。キュージョーがなんとかって」
「あいつはまだ夢の世界に生きているからな」
と、皮肉気にいう職員。確かに学のないサイトウが聞いても、中国人や朝鮮人を国外に出せとは、あまり良い風になるとは思えない。「シナ人やハントウ人は悪い人ばかりだとみんな言っているし、頭の悪い自分でさえそれを知っているけど、頭がよすぎるのも大変だな」とサイトウはぼんやり思った。
「それはそうと、お前はここでしっかり1年も働けているし、そろそろ外に出ても平気じゃないのか?」
「先生もそろそろ外で働いて良いって言ってくれるけど、叔父さんがチエ遅れはいらないって迎えに来てくれないんです」
「そうか。お前いい奴なんだけどうっかりで傷害事件起しているからな。まあ、保護者の件は最悪、法的措置も取れるから、どうしようもなかったら先生にも相談しろ」
「はい、分りました」
首から「軽度疾患作業訓練者証明書」と書かれた札を下げたサイトウは、職員に礼を言った後、何人かの同じく作業訓練の人間といっしょに窓を目張りした黄色いバンに乗り込み、ぼんやりと軽度疾患患者用の離れた場所にある病棟に戻っていった。
*
人権団体などは殆ど存在しないも同然の世の中ではあるが、それ以前に、ここに収容されるのは明らかに一般人に害を齎すだろうと精神疾患を持つ者(一部偏見を含む)なので、国民もここで何が行われようと無関心であった。それどころか、ここの収容者によって何らかの被害にあった者の中には「法の裁きの代わり」などと言う者までいた。
そして、戦争の影響で、各方面で夢幻会派の勢力が増し権力が集中しだすと、腐敗の度合いもまた増した。そして夢幻会派内部での一斉清掃が行われた際に、収容されていた逆行者系患者の多くも陸軍の研究施設へと輸送された。逆行現象を解明するための献体として……
そのような夢幻会の暗部を象徴する精神科特別隔離病棟であるが、時代が下り、史実より下火であるが人権問題などが持ち出されるようになってくると、閉鎖された。精神病患者の人権の保護が表の理由であるが、歴史が変わり反体制的逆行者の脅威度が下がったことが、本当の閉鎖の理由であった。
精神科特別隔離病棟、それは夢幻会の負の遺産として歴史に残ることになる。
最終更新:2012年12月27日 10:59