5 :大西洋:2012/12/28(金) 20:34:02
MMR(もっと・もっと・陸戦ネタを)プレゼンツ
1940年5月15日深夜
東京某所の地下会議室
そこにそろった日本を影から操る男たちの顔は一様に暗かった。
日本が大西洋に転移するという緊急事態に加え、なんの因果かイギリス・フランスと陸続きになってしまった。
そして奇しくも転移した日がドイツ軍西方電撃戦開始日5月10日である。
この前代未聞の事態が起こした混乱に男たちは対応に駆けずりまわっており、今回の臨時会合に出席できた会員は少ない。
辻・近衛・伏見宮といった
夢幻会の主要メンバーの下には今このときも秘書からのメモや報告があがってきている。
会議室の扉が開き、最後の参加者が到着した。
「遅くなって申し訳ない」
嶋田繁太郎、――のちに転移による混乱から日本を救った救国の大宰相と呼ばれる男である。
6 :大西洋:2012/12/28(金) 20:35:36
この日の夢幻会の会合で日本は、英仏側に立ちドイツに戦線布告することを決定※
日本は欧州大陸での新しい一歩を踏み出そうとしていた。
※今までの経緯からドイツは手の届く範囲に来た日本を見逃すはずはないという結論にいたった。
1940年 5月26日 早朝 フランス共和国 ダンケルク
夜の闇が徐々に薄まりつつある海。
弱々しい朝日が砂浜にうずくまる幾千もの男たちゆっくりと浮かびださせた。。
迫り来る遠雷のような砲声を聞くたびに男たちの顔は強張っていく。
ドイツ軍の包囲の輪はすでに完成していた。
史実より国力が低下していた英仏両国は、包囲網の中に残された三十万を超える兵士たちを救うすべを持ち合わせていなかった。
絶望に飲み込まれようとしていた男たちの一人が、彼らに近づいてくるものを見つけ叫ぶ。
「Vaisseau!!」
7 :大西洋:2012/12/28(金) 20:37:29
大発動艇(史実のD型を積載量15tまで拡張したもの 完全武装の兵員100名を搭載可能)たちは英仏海峡の波に
木の葉のように揺られながら着実に近づいていた。
その大発動艇たちの一隻に乗る若い陸軍工兵は言った。
「艇長!! 質問よろしいですか!!」
波のしぶきが高く海は荒れているので自然に大声になった。
「いまさら何だ、もうすぐ着岸だぞ!! 早く言え!!」
「はい。 向こうに着いたら何て言えばいいんでありますか!?」
「はぁ? 意味が分からんぞ!!」
しぶきを顔面に浴びながらも艇長は兵士に怒鳴り返す、こいつは何を言ってるんだ。
兵士は言った。
「自分は語学はからきしであります! だから……その……イギリスさんやフランスさん達とは話せません!」
艇長は絶句した――彼も語学はからきしだったのだ。
日本軍主導で始まった憂鬱版ダイナモ作戦の先頭を切ったのは、択捉島に駐留していた陸軍工兵隊が持つ大発動艇だった。
ダンケルクまで距離にして20KMという位置にあった択捉島は、作戦発動と共に一挙に最前線となった。
北海道から各航空基地から飛び立った陸海軍の航空隊は島にあった小規模な飛行場を埋め尽くし、
島の司令部には陸海軍の将官たちが大勢の幕僚を引き連れて乗り込んでくる始末である。
島は空輸されてきた対空砲でまるでハリネズミのような状態であった。
択捉島の人口は瞬く間に倍以上に膨れ上がった。
そして日本人以外の人口でその数十倍に短期間で膨れ上がることになる。
作戦開始と共に英仏海峡上空は大戦始まって以来の大空中戦が繰り広げられ、制空権をめぐって日独の争いは激しさは
のちのバトル・オブ・ジャパンの前哨戦とまで言われるほどである。
またダンケルクへと迫るドイツ軍を叩くために飛び立った攻撃隊の損耗の報告を受けた嶋田海軍大臣は、
思わず握っていた鉛筆をへし折ったというエピソードが残されている。
しかし航空隊の犠牲に見合った成果をダイナモ作戦は上げることができた。
日英仏は海峡およびダンケルクの制空権を獲得し、史実よりも早くそして、多くの兵士たちを死地より救ったのである。
この日本が多大な犠牲を払いながら救った三十万を超える兵士たちこそが、日本がドイツとの陸戦を戦いぬくための
カギとなる。
そして余談だが、大発動艇の艇長たちの語学に対する懸念は身振り手振りを駆使することで
事なきを得たが予想していない事態(文化的な)が艇長たちを襲うことになる。
救援にきたことに歓喜するイギリスさん、フランスさんたちに艇長たちは
ハグをされて大いに困惑したそうな。
最終更新:2013年01月13日 23:15