705 :大西洋 ◆BMYad75/TA:2013/01/10(木) 19:49:51
1940年8月27日(ドイツ軍の北海道侵攻作戦開始から12日後) フランス ブルターニュ半島 ブレスト 日本陸軍第三軍司令部。
打ち上げられる高射砲の炸裂音とスツーカのサイレン音がブレスト市に響いていた
ブレスト市内のホテルと借り切った第三軍司令部での作戦会議はさながら通夜のようであった。
「ドイツ軍の装甲師団はカンベールの前線を突破しここブレストを狙っております。 またサン=ブリュー、ルデアックに展開していたフランス軍は総崩れで敗走中であります」
「サン・マロ市を防衛していた第11独立混成旅団司令部との通信不能なっており、恐らくは……」
「第28師団はドイツ軍の3個歩兵師団相手によく持ちこたえていますが、戦力の消耗が激しく師団より後退の許可を求める通信が……」
「海軍の第二航空艦隊は戦力の消耗のためこれ以上の継続的な支援は不可能と……、また第一飛行師団司令部からも同様の報告が」
「カル・ブレゲの第24師団は、イタリア軍戦車隊を撃退、80両以上の敵装甲車両を撃破し、損害軽微とのこと」
「イギリス軍司令官ゴート将軍より、戦線を縮小し防衛密度をあげるべきと……」
「第二戦車師団は、敵装甲師団の敗走させましたが弾薬の不足により追撃を断念」
ブルターニュ戦線は引き裂かれ断末魔を上げていた。
彼我の戦力差はおよそ4対1で、寡兵ながらも日本軍は奮戦したが兵力の差はいかんともしがたかった。
イギリス軍はまだ秩序だった戦闘行動を見せているが、フランス軍は西方電撃戦の時と同じように指揮統制の弱さにより総崩れを起こした。
夢幻会はフランス軍の指揮統制の弱さを事前に把握していて通信機器の供与などを計画したが、フランス側の消極的な姿勢(通信秘密の保護などの理由や信頼関係の欠如)と
自軍の動員拡大に伴い供与することが不可能となり中止となった。
また重砲や車両など供与計画も同様の理由により延期となる。
これらは日本が大規模な陸上戦闘に対する備えをすることが出来ずに、開戦にいたったことが影響している。
第二次世界大戦の勃発より各種軍需生産は活発だったが、あくまで平時であり完全な戦時体制とはいえなかった。
日本開戦より戦時生産への転換が行われてきたが、この戦時生産が軌道にのるのは来年を待たなければならなかった。
このため第一次動員予定の20個師団の兵器充足率の予測は、小銃60% 弾薬45% 火砲50% 火砲弾薬30%であった。
そして第二次動員はこれよりも充足率はさらに低下することは間違いなかった。
このような状況のため日本にとって一日一日が黄金のように重要であったのだ。
前線で稼ぐ時間が日本を救う。
前線の兵士たちはこの意味をかみ締め今も戦っている。
最終更新:2013年01月10日 21:09