163 :大西洋 ◆BMYad75/TA:2013/01/04(金) 22:58:45
大西洋ネタ(5-7)の続きです。
「朕はその役割を果たさねばならん」
ナチス・ドイツの北海道侵攻の中で、昭和帝の前線視察に反対する側近に対して
1940年8月15日 (大日本帝国大西洋転移より3ヶ月)
ドイツ第三帝国総統 アドルフ・ヒトラーは日本侵攻作戦(緑作戦)を発令。
作戦目標 北海道東部の占領による英国本土への進撃路の確保。
侵攻ルートA 北海道と接するコタンタン半島より
レープ元帥率いるC軍集団(歩兵15個師団 自動車化歩兵2個師団)
侵攻ルートB 日本軍が防衛するブルターニュ半島を突破し北海道へ
ルントシュテット元帥率いるA軍集団(30個歩兵師団・5個装甲師団・2個自動車化歩兵師団・2個山岳師団・ 1個降下猟兵師団
1個空輸歩兵師団・2個武装SS連隊
C軍集団目標 釧路から鉄道釧路本線のルートで網走まで進撃。
A軍集団目標 ブルターニュ半島に篭る日本軍・自由フランス軍を撃破し十勝平野まで進出し、ブレスト→帯広→北見→網走の戦線を確保し蝦夷山系にそって北海道を南北に分断する。
一方の日本と英仏の動向。
フランス降伏(6月21日)の翌日近衛内閣は総辞職し新たに嶋田繁太郎が首相となる。
英国首相チャーチル(5月10日就任)と嶋田首相は首脳会談をロンドンで行い、日英安全保障条約を改定し両国の協力をより強化した第二次日英同盟について合意。
また自由フランス政府を正式承認※
※史実では休戦派に敗れ解任された対独抗戦派のポール・レイノー前首相が代表になる。 史実と違い前首相ら有力な政治家が多数参加し
政治的な正当性をもっている。 臨時政府指揮下の自由フランス軍は史実の7千人より遥かに多い15万人だが、重装備はなく日英からの供与兵器での再編成となる。
ドゴールは陸軍大臣となるが、その振舞いにより日英の将軍たちと衝突することが多かった。
164 :大西洋 ◆BMYad75/TA:2013/01/04(金) 23:01:16
本土防衛計画が内閣にて承認(決号作戦)
近衛内閣で行われた動員に続いて第二次動員を発令する。
ドイツとの開戦前の陸軍30個師団をようしていたが、転移にて外地に残された師団も多かった。
このため日本政府は
アメリカに対して大陸に残された利権の売却と外地に取り残された陸軍部隊(関東軍・朝鮮軍など。 遣欧軍は6月中に本土へ帰還し北海道へ配備済み)の輸送協力を要請。
これをアメリカは受諾し日本より購入した各種利権を守るために満州や朝鮮に軍を進める大義名分を得ることになる※2
しかしアメリカの協力を得られたが、各陸軍部隊の輸送は困難を極めることになる(外地のインフラの脆弱さから特に車両や砲などの重器材の輸送は遅れた)
そしてドイツ軍の日本侵攻作戦が始まった8月の時点での北海道東部の最前線の兵力は以下のとおりである。
ブルターニュ戦線:第3軍 司令官・牛島中将 4個歩兵師団 3個独立混成旅団 1個戦車師団 2個独立重砲連隊 1個飛行師団(帯広空港)
自由フランス軍 司令官 ドゴール中将・2個歩兵師団(正規兵・重砲欠) 8個民兵大隊
イギリス軍 2個歩兵師団(正規兵・重砲欠) 1個戦車旅団 1個インド歩兵師団
釧路戦線 :第5軍 司令官・牟田口中将 3個歩兵師団 2個独立混成旅団 1個独立重砲連隊 2個海軍陸戦大隊
自由フランス軍 1個歩兵師団(植民地兵・重砲欠) 4個民兵大隊
イギリス軍 2個歩兵師団(正規兵) 2個インド歩兵師団
北部方面軍(帯広市):司令官:畑大将
総予備:第7軍 司令官・栗林中将(5月15日付昇進) 3個歩兵師団 1個戦車師団 2個砲兵旅団
イギリス軍 2個歩兵師団(正規兵) 1個戦車旅団
自由フランス軍 1個歩兵師団(正規兵) 2個戦車大隊
日本軍の見通しでは9月に追加で3個歩兵師団と1個戦車師団の北海道東部への移動が完了する予定であり、10月になればさらに5個歩兵師団が追加される。
それ以上の師団は近衛内閣の第一次動員が完了する11月以降を待たなければならなかった。
また英仏であるが、イギリスはダンケルクで重装備を失った部隊の再編成とホームガードと呼ばれる民兵部隊の編成を強化し、矢継ぎ早に北海道へと部隊を前進させていた。
フランスは自由フランスに残された最後の本国の領土であるブルターニュ半島を死守すべく難民からの徴兵を行っていた。
※2 当時のアメリカのマスコミはこの大陸利権売却によってニューフロンティアの開拓が始まると大々的に書き連ねた
中国・満州・朝鮮と転移によって陸続きになったことにより、アメリカの進出のスピードは格段に速くなり
気の早い実業家などはすでに満州や朝鮮の土地を買いあさっていた。
そして1940年8月15日 日本の一番長い日が始まる。
最終更新:2013年01月10日 21:16