778. 名無しモドキ 2011/01/05(水) 21:01:36
第38話では、イギリスが日本の皇室との縁談を考えているようです。難し
いことでも、前例があるということは大きなアドバンテージです。かつてイ
ギリス人の王と、日本女性が結婚したという前例があればどうでしょう。


「忘れられた歴史」    −ブルック王国の妃−

実在したブルック王国ですが、あまり知られていませんので、ちょっと前口
上です。

  昔々、めくるめく冒険と浪漫により建国された王国が亜細亜の地にありま
した。

1840年にイギリス人豪商の御曹司ジェームズ・ブルックは、当時はボルネ
オ北部の大半を支配していたブルネイのスルタンから反乱鎮圧を依頼されま
す。見事に反乱を鎮圧したブルックはサラワクを割譲させ、ホワイト・ラー
ジャ(白人王)に任じられます。

1868年(明治元年)、甥のチャールズが、二代目ラージャとして即位しま
す。彼は「白人酋長」と言われるほどサラワクの住民たちの文化を愛しまし
た。チャールズが、1891年に建立した「サラワク博物館」は州都クチンの名
所の一つとなっています。
  また、チャールズは現在のマレーシア領サラワク州(マーレシア領カリマ
ンタンの大半を占める  約12万平方キロ「本州の半分程度」  現在のブルネ
イはサラワク領に囲まれた小島のようなものである)にまで版図を広げます。

  3代目は、1917年にチャールズの逝去後、チャールズの息子ヴァイナー・
ブルックがラージャを継ぎます。ヴァイナーは、物資、制度の両面で近代化
を進めます。
  1941年8月に開催されたサラワク王国100周年記念式典で、ヴァイナーは、
立憲君主に変更する事でサラワクの人々自身が政治を行うことを宣言します。
議会選挙が行われた後、ヴァイナーは、休暇を取って、オーストラリアへ行きます。
  その留守中の1941年12月24日に、日本軍がサラワクを占領支配したためサ
ラワク王国は100年の歴史を閉じました。


1895年5月10日(憂鬱世界):ロンドン、在英日本公使館

  日清戦争の終結を祝って、祝賀会が、青木周蔵駐英公使主催のもと日本公
使館で行われた。招待されたのは、在英日本人の代表的人物の他には、大英
帝国外務省の日本関係の担当者、戦時中の取引に便宜を図ってくれた企業の
オーナーや担当者、妻帯者は奥方同伴の正式な会である。

「青木公使、盛況ですな。」

「ああ、坂本先生。最近、お体がすぐれないと聞いておりましたが。」

「年は取りとうないですな。じゃが、来月はシンガポールにどうしても行か
ねばならんので、休ませてはもらえんのです。」

「坂本先生にそう言われますと、わたしも、粉骨砕身、条約改正を勝ち取り
ませんとな。」

「さて公使に、今日は、この青年を紹介したいのじゃ。我が海援隊が、お世
話になっております、ちゅうか、お世話しておるブルック王国のプリンス、
ヴァイナー・ブルック君じゃ。」

「おお、貴方がヴァイナー君か。貴殿のお国とも、お付き合いしたいが、大
英帝国の保護国、本家の大英帝国を通さねばなりませので、国としてはご挨
拶もままならず、失礼しております。」

  青木公使が手を差し出すと、内気そうな青年も手を差し出し握手する。

「この坂本先生は、便利なお方でな。保護国やら植民地やどこにでも支社を
出しては、その土地の偉い人と直ぐにでも仲良くなります。日本にはなくて
はならん民間公使です。」

「青木公使、持ち上げてもこまるぜよ。さて、さっきから気になっておるが、
こちらの美人は?」

「ああ、島津和子さんです。島津公爵の、お嬢さんです。今、英語、フラン
ス語、西洋流の礼儀作法を学びにロンドンに留学中です。」

「しかし、ごっつい美人じゃ。」

「坂本先生には、一度お会いしておりますわ。」

「そうか、何回か島田邸にはおじゃましておりますからな。しとやかじゃが、
しっかりした言い方じゃ。こんからの大和撫子は、ソンくらいでなければ世
界に通用せん。留学中ちゅうたら、ヴァイナー君も一緒じゃ。大学に通うて
おる。」

「坂本先生、ヴァイナー様はイギリス人ですから、留学というのはおかしの
では。」
「ハッハハ」「フフッフ」

「いいえ、僕は留学中だと思っています。僕の祖国はサラワクです。」
ヴァイナーは、はっきり言い切った。

その時、ダンス曲が流れ出した。

「和子さん、ダンスも習とるじゃろ。」
「ええ、少しばかりですが。でわ、坂本先生、一曲お相手いたします。」
「何を言うとるぜよ。若いもんは、若いもんと、踊るんじゃ。」

  青木公使と、坂本龍馬は、もじもじするヴァイナーと和子を押し出すよう
にダンスの輪に入れた。
779. 名無しモドキ 2011/01/05(水) 21:05:25
「しかし、坂本先生も役者ですな。和子嬢を是非、祝賀会へ呼べと言ってお
きながら、自分は、初対面の振りをなされて。」

「和子嬢と会ったのは、まだ、こんくらいの子供の時じゃったが、そんころ
から飛び抜けておったわ。」

「さて、どうですかな。」

「こればかりは、どうにも。最初、気にいらなかったら縁はない。じゃが、
ヴァイナー、和子嬢が現れてから、ちょこちょこ覗き見するように見てお
った。」
「本当に、和子嬢はお美しいですな。」
「美人は国の宝じゃ。殿さんや、金持ちが奥に隠してしまうもんじゃのうて
これからは、日本のオナゴはこんなんじゃいうて見せることじゃ。そんは、
日本を見せることと同じじゃ。日本のおなごは皆、美人じゃ。日本はええ国
じゃと思わすんじゃ。」

「坂本先生、海援隊が女子教育の為にと、寄付されております女子留学生奨
学金は勉強が出来るだけでは取れないと噂がありますな。」

龍馬は無視した。

「わしも、おうたら、プリンス・ヴァイナーと言うておるが、イギリスじゃ
色物あつかいじゃ。面白がるか、からかわれるだけで、ヴァイナー、大分ま
いっとうぜよ。
  アジアの僻地の、自称王子なぞ、まっとうな貴族や資産家は、婚姻の相手
になどせん。
  そん時、すごい美人で、東洋の小国いうても、キングスイングリッシュで
喋る公爵令嬢に話かけられたら、もう、たまらんぜよ。」

「和子嬢は、7月の船便で帰国予定ですが。」

「ヴァイナーは、来年の卒業までは帰れん。上手くいっとたら、島津家には
和子嬢の帰国がおくれると頼んどく。島津は、御維新前の京都以来、色々、
わしに借りがおおいちや。」

「しかし、どうしてこのようなご計画を?」

「海援隊には、不思議な顧問がおってのう、是非やってみる価値がある言う
んじゃ。
しかし、青木公使も乗り気ぜよ。」

「外務省にも不思議な顧問がおります。」

  すでに、曲は二曲目に入ったが、王子と公爵令嬢である若い二人は、お互
いに、はにかみながらもダンスを止める気配はない。

お    わ    り

                続き  あるかも

島津和子−最後の薩摩藩主島津忠義の九女、史実では夭折。1874年生の ヴァ
          イナー・ブルックと同じ年の生まれという設定です。

何時の時からか、坂本龍馬は「〜ぜよ」などと土佐弁でないとダメみたいに
なっていますので、かなり、無理して「土佐弁」でと思いましたが、全然ダ
メです。高知の人、すみません。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年12月31日 18:48