824. 名無しモドキ 2011/02/13(日) 14:50:33
包囲下のフィリピンを日本側から、書いてみました。また、長くなってすみません。

忘れられた戦場    −太平洋の壁−

日米大戦で、太平洋の壁と称されるものは、二つある。一つは日本海軍が、フィリピンを封鎖監視するため
につくった、航空機と潜水艦、哨戒艇による見えない壁である。そして、もう一つはアメリカ軍が西海岸一
帯に建設した、或いは、建設しようとした見える防衛施設である。

「太平洋の壁」  −日本版−
  1942年秋のアメリカ・アジア艦隊壊滅以降、フィリピン戦線は、後世からは「まやかし戦線」と呼ばれる
時期に入った。当時は、日本側では「世界最大の自給自足捕虜収容所フィリピン」「近代の兵糧攻め−秀吉
の故知に学ぶ−」などと、マスコミが取り上げていた。
  当初は「フィリピン侵攻」を煽り立てていた新聞社もあった。しかし、島田首相の談話という形の政府公
報が主な新聞に掲載されると無責任な侵攻を煽る記事は激減した。

  島田首相の談話の趣旨は次のようなものであった。「政府、軍は、現在は軍機上発表できない詳細な情報
をもとに情勢判断を行い作戦を決定している。軍事専門家ならともかく、軍事に素人の編集者、記者が国民
を煽り立てて、政府、軍に作戦を強要するのは利敵行為に等しい。出来る限り、英霊をつくることのなく、
勝利をもって戦争終結を迎えるために、報道各社には、冷静に事実のみを伝える報道をお願いする。フィリ
ピン侵攻は時期を見て判断する所存である。」


1942年12月26日14時25分(現地時間)  ペリュリュー島海軍航空基地

  日陰一つ無い飛行場では南国の強烈な太陽から逃れる術はない。あるとすれば、この基地に展開している
九五式陸攻の翼の下くらいなものである。その翼の下に、搭乗員とも整備員とも違う、開襟シャツ姿の男が
これから、哨戒飛行に飛び立つクルーに混じっていた。

ラフに整列した、クルーに機長の近藤中尉が男の紹介を始めた。
「この人が、昨日話した連合通信の長谷川さんだ。今日の哨戒飛行に同行する。」
「宜しくお願いします。」紹介された長身痩躯の男は大きな声でクルーに挨拶した。

「どんな人が来るかと思っていたら結構なおっさんですな。子持ちですかな。」

「藤井上飛曹、口が悪いぞ。軍人は礼儀を尊ぶべしだ。」注意する近藤中尉の口元は笑っている。

「いや、三十二ですから多分、この中じゃ一番年長だと思います。でも、まだ独身で子はおりません。だか
らこそ、この仕事を仰せつかりました。一応、遺書も書いてきました。皆様の邪魔に成らないように、十分
覚悟は出来ております。」長谷川記者は緊張気味に早口でしゃべった。

「心配いりませんよ。アジア艦隊は海の底、敵さんの飛行機は大方スクラップですからね。今日は、高射砲
のある陸地を飛ぶ予定もありません。ちょっと、遠出の見回りをしてくるだけ。そんで、作戦行動参加の加
配を貰えるんですからな楽勝ですよ。積んでる爆雷も、多分そのまま持ってかえりますよ。」先ほどの藤井
上飛曹がこれも笑いながら答えた。

「こら、誤解されるようなことを言うな。我々が淡々と油断せずに任務をこなしているとこを取材して貰う
んだからな。」生真面目な副操縦士の小池准尉が本気口調で注意した。
825. 名無しモドキ 2011/02/13(日) 14:55:26
  長谷川記者とクルーを乗せた95式陸攻は、快晴のペリュリュー基地を飛び立つと一路、フィリピン最南
端のミンナダオ島南部海域を目指して高度3000mで飛行を開始した。

「この婆さんは、気圧与圧装置なんて上等なものはありませんからね。こんくらいの高度で飛ばないと、
窮屈な酸素マスクを着けなくっくちゃならんのですわ。
  それに、飛行場を飛び立ってから、降りるまでは哨戒飛行ですから、ちょっと低めくらいの高度の方
が、敵を見逃すことがないって寸法でね。なにしろ、アメリカさんには魚雷艇みたいなちっこい船しか
残ってませんからね。根気が仕事ですな。何もなければそれが一番。ですが、何もないことを確認する
のは結構大変でね。」
偵察員席に座った藤井上飛曹が、横の補助席座った長谷川に色々しゃべりるが、どこまで行っても何も
見えない海上から目を離すことはなかった。

「偵察してるところ写真撮っていいですか。」手持ちぶさたの長谷川が聞いた。

「いいですよ。木村二等飛曹と吉武三飛曹も撮ってやってください。金谷上飛曹はいいですよ。変わり者で
飛行中は、後部銃座から出てこんのですわ。で、内地に帰ったら、あ、許可が出たらでいいんですが実家に
送ってやってくれませんか。作戦中の個人写真なんてめったに撮れませんからね。それから、出発前にとっ
た記念写真もお願いします。」藤井上飛曹が真面目な口調で頼んだ。
「それに、長谷川さんのカメラ、ライカジャパンでしょう。観音(キャノン)や小西六(コニカ)もいいけ
どライカで撮ると男前に写りますからね。それに、カラーでしょう。」
  ライカジャパンは日本光学の子会社で、不況期にドイツのライカ社から技術と商標権を購入して設立され
た会社でアジア方面では本家を凌いで愛好されていた。

「ええ、カラー写真ですよ。了解しました。必ず送ります。住所は後で教えて下さい。」長谷川は、狭い機
内で苦労して逆光にならない位置を探し出して写真を撮った。

「あんまり、機内の装置が写らないようにしてくださいな。で、ないと許可がでませんから。・・十時、
機影2機、距離1万m、高度4000m」突然、藤井上飛曹が口の前のマイクロホーンに大声を上げて双眼鏡を
見た。長谷川も窓の外を見たが何も見えない。数分たって、藤井上飛曹が耳のイヤホーンに手を押し当てて
いると、長谷川にも雲の上の小さな黒い粒のようなものが見えてきた。

「パラオから飛びたった友軍の連山です。機長が連絡を取って確認しました。」 藤井上飛曹が教えてくれた。
「これから、ミンナダオの米軍基地に夕食後の一服ならぬ、一発を落としにいくんですな。多分、わたしら
も、三日前に行った基地ですよ。ミンダナオのアメリカ軍は、回教ゲリラに手こずってどんどんルソンに引
き上げて、あんまり目標がないですからな。可愛そうですが、引き上げる船も、私らや、友軍の潜水艦が狙
いますから、アメリカさん、無事にルソンにたどり着けてるかな。」藤井上飛曹は、何やら矛盾したのも言
いをした。

「藤井さんたちも爆撃で行ったんですか。」

「いいえ、クリスマスイブでしたからね、そんな無粋なことはしませんよ。伝単を落としてきたんですわ。
ハッピークリスマスてね。表がクリスマスカードで、裏がイギリスのタイムズの記事のコピーですわ。ア
メリカの東海岸の災厄の特集記事。海底ケーブルなんかも切断されて、フィリピンのアメリカさんは世界
と切り離されてますから、色々と教えてやらなくちゃならんのですわ。」( 藤井上飛曹は、アメリカ軍
が電波妨害で無線通信もままならいという情報は、ぐっと飲み込んだ。)
826. 名無しモドキ 2011/02/13(日) 14:58:58
ミンナダオの南方海域に到着したころには、太陽は大きく西に傾いていた。眼下に船が見えてきた。

「友軍の哨戒艇です。半月ばかり、あんな小舟で漂ってるんですわ。今度は、哨戒艇の奴らも取材してやっ
てくださいよ。旧式の駆逐艦を改装した特務哨戒艇なんてまだ大船でね、磁気機雷対策の木製の特務駆潜艇
なんかも多いんですよ。」藤井上飛曹が愛おしそうに言った。

「藤井さん、なんか思い入れあるんですか。」長谷川が尋ねた。
「弟が、特務駆潜艇に乗ってます。」

  長谷川達の乗った95式陸攻はミンナダオ島の西端で、反転して再びミンナダオ南方海域をペリュリュー
に向かう頃には、すっかり夜の帳が落ちていた。

「フィリピンの東は太平洋で、マリアナ諸島がハワイとの間にあるし、距離が遠すぎる。北と西は日本の勢
力圏。で、ここらフィリピンの南出口は、アメリカ軍に取っては唯一の脱出口ですからね。随時(三四時間
に一回という情報は飲み込む)、哨戒艇の間隙を哨戒機が通ようになってます。何かご質問は?」いなり寿
司にパイナップルの缶詰、サイダーといった、史実海軍航空隊おなじみの機内食をご馳走になり、操縦室に
招かれた長谷川は近藤中尉から説明を受けた。

「機長、機内でアイスクリームが出るとはびっくりしました。」機内食の最後に、小さいながらもブルーベ
リージャムをたっぷりかけたアイスクリームが出たのだ。
「機長、哨戒艇から連絡です。」航空士が割って入った。
「すみません。どんな通信かわかりませんので。」
「了解してます。」長谷川は操縦室を出てもとの、補助席に戻った。

「長谷川さん、ちょっと覚悟してくださいって機長から。」藤井上飛曹が緊張した声で喋る。
「行くときに見かけた哨戒艇から(電波探知機で発見したという情報は飲み込んで)連絡があったんです。
こちらに大型の未確認機が接近中です。多分、(味方識別機に反応しないためということは省いた)敵さん
です。小型機なら戦闘機の可能性があるので退避しますが、大型機なら確認のため接近します。長谷川さん、
戦闘装備を着用して。」藤井上飛曹は話しながら装備を着用し始めた。

  長谷川が漸く、機内用防弾服を着用する頃には、全ての乗員が、防弾服の上に救命胴衣、酸素マスク、航
空ヘルメットといった完全武装になっていた。

「長谷川さん、あわてなくていいですよ。まだ、接触までには、数分ありますから。」藤井上飛曹が落ちつ
て声をかける。
「この戦場で、敵機と遭遇するなんて無いことですよ。長谷川さんは、大黒様か、さては疫病神かは敵の機
種しだいですけどね。」

やがて、95式陸攻は緩やかに旋回を始めた。
827. 名無しモドキ 2011/02/13(日) 15:03:33
「長谷川さん、上弦の月が見えますか。あの月の反対方向から接近します。昼なら太陽の方から接近します
が、夜はシルエットにならないように暗い方から行きます。」

索敵の便のためブリスター式になった窓から、藤井上飛曹が前方を見た。

「カタリナだ。まだ生き残っていたのか。機長、カナリナです。まだ、我々に気づいていません。」藤井上
飛曹は落ち着いた口調で機長に報告する。
「長谷川さん、あんた大黒様だ。カタリナは飛行艇でね、速度も、機動性、武装、このオババ様95式の方
が数等上ですよ。」

長谷川も前方を注視したが、小さな黒い点が月の明かりの中にようやく識別できた。

「あれで、機種がわかるんですか?」長谷川が驚愕して聞いた。
「わたしは、偵察員で喰ってますからね。また、旋回します。長谷川さんは、わたしの席に座って安全索を
閉めて下さい。」藤井上飛曹は、側方機銃に取り付いた。
「何故、カタリナがこんな所にいるのかは分かりませんが、カタリナの前方は7.7mmだけですから、前方
上方から行きます。そして、下に抜けて後部機銃でトドメをさします。後部機銃の金谷上飛曹は偏差射撃の
名人ですからね。それに、相手は飛行艇だから下に撃ってきません。」藤井上飛曹の言葉の通り機体は旋回
を始めそれが止まると、機種を下げて増速しだした。

「いきますよ。」藤井上飛曹の声と同時に機体の前方で発砲音がけたたましく響き始めた。ガンガンと機体
に何かが当たる音がする。
「大丈夫、弾がかすった音です。」そう叫びながら2秒ほど藤井上飛曹が発砲する。火薬の匂いが機内に充
満する。後部機銃が吠える。機体はやがて上昇に転じ旋回した。藤井上飛曹が窓から後方を見る。
「機長やりました。右エンジンから火を吹いてます。お見事です。一撃必殺です。あ、左からも炎が。」

  長谷川は、火を吐きながら降下する飛行艇の写真をあわてて撮った。長谷川は記者の本能から、低感度の
カラーフィルムから、高感度の白黒フィルムに入れ替えていたのだ。長く炎を引きながら敵機は降下して、
やがて、海面に激突したのか、突然、炎が消えた。

「どうですか。」後ろから藤井上飛曹が声をかけた。
「ええ、まだ胸がドキドキしてます。」
「長谷川さん、あの飛行艇には多分、10人近い人間が乗っていたはずです。わたしたちが敵機を打ち落と
すことは、それだけの人間を殺すことです。それを、忘れると戦いが楽しくなって、単なる殺人者になっ
てしまいます。」藤井上飛曹が一転してしんみり言った。

  長谷川達が、ペリュリューに着陸したのは夜中前だった。翌日、基地の整備員から近藤中尉のクルーは、
フィランド以来の歴戦の勇士で、レニングラード空襲にも参加したことを聞いた。別の整備員は、近藤中
尉の愛機に、白い星の撃墜マークを描いていた。

「夕べので、七機目ですか?」長谷川はマークの数に驚いた。

「ええ、近藤中尉のチームは陸攻隊一の撃墜王ですよ。敵が戦闘機でも怯まない。大型機なら、こちらから
攻撃に出ます。もっとも、他に真似されちゃたまらないと、上層部はいい顔はしませんがね。」

  ハワイ沖での戦果が発表されるまで、新聞は特ダネを欲しがっていたので、火を吹いて降下するカタリナ
の写真と、近藤中尉とその部下たちの活躍を一面で報じる新聞もあった。

  何故、カタリナが、あの日飛んでいたかを、長谷川は戦後も大分たってから知った。何機かの損傷機から
ようやく組み立てたカタリナに対して、対潜哨戒に出て欲しいとミンダナオから要請があったのだ。あのカ
タリナはルソンから、日本軍機を避け、薄暮の時間帯だけ、何日もかけて島影を縫うように低空で南下して
いた。
  あの時期のフィリピン情勢を考えれば献身的で英雄といってよい飛行だっただろう。そして、不運なこと
にミンナダオ到着直前に装置の故障から機位を見失いミンダナオの南の海上にさまよい出て、日本一、敵機
撃墜を希求する爆撃機に遭遇したのだ。

なお、長谷川は、この時の経験が愛おしくなる経験を、極寒の地で経験することになるが、それはまた別の
話である。
お  わ  り
+ タグ編集
  • タグ:
  • 名無しモドキ
  • 忘れられた戦場
  • フィリピン
最終更新:2017年09月18日 20:57