836. 名無しモドキ 2011/02/16(水) 18:38:17
>>827でようやく戦闘らしい場面を書きましたが、後で読むとリアリティーなしで納得いかずに、下書きは書き直してしまいました。やっぱり地味系でいきます。
      日本占領下の上海  −その3−  です。

忘れられた戦場「上海日記」その3  −ケルベロスを統べる者−(未投稿)

1943年1月10日  上海近郊黄浦江左岸の海援隊所有地

  様々な人種で構成された一群の男達が、見事に歩足を揃え目の前を通り過ぎて行く。

「どうです。貴方は軍隊の経験がおありでしょうから、練度についてはおわかりでしょう。」
「よくおわかりで。」初老のイギリス紳士が答える。
「あなたのネクタイはヨークシャー連隊のストライプ模様でしょう。精鋭部隊と聞いております。
貴方の物腰や風格からもわかります。」
「お詳しいですな。」

  もちろん、相手の経歴の下調べをしているから知っていることである。まあ、イギリス人を喜
ばすリップサービスである。男達は指揮官の号令で、射撃体勢に入った。百mほど離れた人型標
的にほぼ全ての銃弾が命中する。

「見事なものです。」紳士は更に感心する。
「このような戦闘を行うのが、海援隊の仕事ではありません。このような状況を回避するのが仕
事です。銃を使用するのは最後の手段です。しかし、使用する際には躊躇はしません。そのよう
に訓練しております。」
「うわさのケルベロスですな。地獄の番犬のごとき海援隊と噂の通りだ。依頼するのもからは頼
もしい。日本軍も警備活動を依頼してるとか。」

  我々は民間会社であるから治安維持活動を行っているわけではない。法的な問題もあり、銃を使
用するのは、自己防衛のため襲撃された時だけである。
  日本軍の兵士や物資の移動を担ったり、日本軍の補助として、特定地域の警備を行うだけである。
任務については軍機もあるので、適当に誤魔化した。

「買い被りすぎませんように。番犬は飽くまでも番犬です。我が社は、それを自覚しております。」
「ご謙遜を。海援隊が優秀なのは知っております。ただ・・。」
「料金ですか。」

  私は海援隊上海支社の営業課に勤める社員である。海援隊は民間会社であるから、わたしのように
事務方の人間の多い。
  今日の営業相手は、イギリス系紡績企業の運送警備業務受注である。現在、綿花の供給地である華
北はまともな統治機関のない混乱状態である。武装敗残軍が跳梁跋扈する世界であるため、綿花の、
鉄道を利用した上海への輸送は困難である。
  もちろん、海上輸送という手段があるが、あいにくの日米戦争で、アジア海域の民間輸送は窮屈な
状態である。イギリスは、本国とインドやオーストラリアからの航路を優先させている。
  日本との関係が冷却化している状態では日本船の利用は難しく、イギリス企業が手配出来る船舶は
非常に少ない。
  鉄道と海上輸送が不確実な中で残された手段は内陸水運である。この為に、多少の治安の悪化なら、
上海の裏社会を牛耳っている秘密結社の青幇に物資の輸送を依頼する。なにしろ彼らの母体は、黄河
と長江を結ぶ大運河の運送ギルドであるのだから。

  ただ、青幇でも、ある程度、軍としての指揮系統を持ち、近代的な銃器で武装した集団にはかなわ
ない。上海では、その武力を恐れられていても、青幇は本質的には任侠の輩である。
  上海には海援隊以外にも複数の警備会社がある。青幇や紅幇がバックにある強面系から、中国の退
役軍人が中心になったもの。その辺の、あんちゃんが集まって勝手につくったものと多岐に渡る。
  料金は多寡は非常に明快で、安全、信頼度が高くなる程、高額である。そして、海援隊が最も高額
である。

「しかし、現在こそ商売の妙味があるのでは。」わたしは、背中を押すように言った。

  原料生産地では、滞貨の山。製品生産地でも滞貨の山。こちらから、原料を取りに行けば、値段
は叩き放題。こちらから、製品を運べば、言い値で売り放題。いち早く、日系企業は海援隊に依頼
して物資の輸送を始め多大な利益をあげていた。
837. 名無しモドキ 2011/02/16(水) 18:43:39
「先ほど見ていただいた装甲艇一隻に対して、四隻の運搬船が、500?クラスの艀を、それぞれ
二隻引いていきます。」
「あの装甲艇には、度肝を抜かれました。火炎放射器が装備されているなんて思ってもいませんで
した。私も見るのは始めてではないが、あの威力は半端ではありませんな。」
「こけおどしです。ただ、おいたを考える連中を追っ払うには効果的ですよ。何人か黒こげになっ
てから、襲撃されたことはありません。」
「でしょうな。地獄の魔犬が、それを使うとあれば容赦なしだ。」

  世間では、荒くれ者の集団のように考えている手合いがいるが、歴史を紐解けばわかるように、
もともと海援隊は運送業が本職である。
  現在、各種警備業務は、会社の主要な業務ではあるが、海援隊自体が受注する輸送業務に、物
資の保管、鉱山探査などの各種調査業務、特殊なものでは誘拐事件における交渉業務などもあり、
世間が思う以上に多角経営である。

「もう少し考えさせてもらっていいですか。」
「九十万円までの日本円なら、現金で、ご用意できます。」
「ええ、どうして。」

  情勢の急変を受けて、中国の通貨相場は大混乱している。張学良政権の紙幣は大暴落、重慶政府、
華南連邦や福建政府の紙幣は、上海なら通用するが、華北では歓迎されない。最も安定して通用す
るのが円である。
  取引は、手形や小切手などは断られる。信用出来るのは現金や貴金属だけというほど経済、とく
に金融関係が混乱している。日本の銀行と取引のある、日系企業ならともかく、イギリス系の企業
が、大量に紙幣としての円を調達するのは容易ではない。

「海援隊は調査部門も持っております。それに、小規模ながら銀行業務を行う子会社もあります。
何しろ、各地域で活動しますから、手元に各種の通貨が必要ですからね。」
「目一杯、お願いします。本業以外にも、ドルの暴落で大分損をしました。ここで、逃げるわけに
はいかないのです。」
「申し訳ありませんが、法定の両替手数料はいただくことになります。それと決済は円建てでお願
いします。」
「しかたないでしょう。で、綿花を運び込むのに、どの程度の時間がかかりますか。」
「向こうでの交渉、物資の積み込みにもよりますが、来月の半ばには届くでしょう。そうですね。
支社長の決裁が必要ですが、向こうでの、滞在を一週間として来月の二十日までに届かなければ輸
送料金の25%は、お返し出来るかと。」
「そこまで補償していただけますか。」
「我が社が高額の料金と思っている方は安物買いの銭失いです。さらに、買い取った綿花に積み残
しがでれば、次回出る船団で、最優先で運びます。」
「次の船団?」
「貴方と同じで、綿花を買いたがっている企業は幾つもあるのでは?」
「まあ。そうですが。」
(まあ、自分だけ美味しい思いをしたいだろうな。)

「多くの企業が参加して、船団を組めば輸送費用が下がります。定期便になれば効率的です。ただ、
パイオニアである貴方の会社については、優先枠を考えてもいいと思っています。」
「もう少し考えさせてくれませんか。・・・いや、飲まざる得ませんな。でわ、厚かましですが、我
が社の人間の護衛もお願い出来ますね。」
「ええ、ただし、五人までにお願いします。それと、装甲艇艇に同乗しますか。陸路ですか。」
「装甲艇にします。あの方が安全そうだ。ただし、船酔いに強い社員を選ばないといけませんな。」
「それでは、明日にでも契約書を持参します。こちらの金融担当の者も連れて行きます。お時間は九
時でよろしいですか。」
「やっぱり、ここに来てよかった。」
「ああ、それから、運ぶのは綿花だけですよ。アヘンは運びません。我々は合法的な企業ですから。」
「・・・わかっています。」
  
  イギリス紳士は、少しむっつりした。彼の会社がアヘンを扱っているという情報はないが、ここは
上海である。困窮すればアヘン取引に対するガードは限りなく低い。
  私たちは、事務所で契約についての細部を話しこんだ。そして、私は、イギリス紳士を演習場の正門
まで送ると黄浦江に面した支社に戻るため自動車に乗り込んだ。

  かの紳士に営業をかけたことには裏がある。日系企業の工場は先の中国軍の襲撃で思いの他の被害を
受けていた。鋭意、修復中だが既に原料の綿花は倉庫から溢れんばかりになっている。
  実は、張学良政権は、もう少し頑張ると考えていた。華北の綿花は、来年の春くらいまでは、内陸水
運でしか出てこないと。ところが、とんだヘタレ政権で、早くも講和交渉を開始してしまった。
838. 名無しモドキ 2011/02/16(水) 18:47:11
  更に、中国との講和が進む中で、内地には産地に近い天津からすでに木綿をはじめ、大豆などの
輸出再開の目途がついてきた。日系企業は、過大な輸送費をかけてまで綿花や小麦を上海に輸送す
る必要性がない。その上に、イギリス本国の船舶不足で、本来、イギリスに流れていたインド産の
上質の綿花までが、(これは企業秘密だが)インド人企業や華僑企業がダミーになって日本に輸入
されだしている。
  これらは、内陸水運での輸送業務の大がかりな展開を予想し、準備をしていた我が社にとり誤算
だった。大体、上海の日系企業は生産量の復旧状態から考えて、既に来年の夏辺りまでの原料があ
る。大量の輸送はあり得ない。

  次に重要なのは、上海支社でも、私を含めて数人しか知らないが、海援隊など一部の企業には、
今年の世界的な天候不順についての非公式な情報が、日本政府から伝えられていることだ。そのた
め、現在は、日本の商社が華北から買い付けた小麦の輸送に主力が移っているが前述のように海上
輸送が再開予定であることと、凶作に対する農民の本能的な予感、海千山千の山東商人あたりが異
変に気付きだして価格が高騰しだしているため運河を通じた輸送量は先細るばかりなのだ。第一、
上海の倉庫もそろそろ限度に近いくらいに、小麦や米が備蓄されている。
  警備万端が売りの倉庫業も営んでいるとはいえ、輸送業が本来業務の我が社としては、よろしく
ない傾向なのである。

  兎も角、会社としては、折角高価な装甲艇を何隻も購入したのであるから出来るだけ元を取りた
い。我が社は是非、新規の顧客が必要だったのだ。
  その時に、イギリス系の紡績会社からの依頼があったのだ。あの紳士の会社が木綿を入手したと
伝われば、他の会社が黙っている分けがない。いずれ、ユニオンジャックを、はためかせた定期船
団が航行するようになるだろう。

  しかし、いざ売るとなった時に、大凶作に見舞われた中国大陸で木綿製品の需要が、どの程度あ
るのだろうか。
  まあ、かの紳士を騙しているわけではないので、後で売れない製品の山ができても恨まれること
はない。第一、天候不順は予想であり、必ず飢饉が起こるわけでもないのだから。

  かの紳士は、海援隊のことを、地獄の番犬ケルベロスと言った。ケルベロスかどうかはわからな
いが私たちは確かに番犬だ。軍隊は猟犬だ。それなりの働きをさせるためには、いい犬を買い、専
門の訓練をしなければならない。猟のない時にも金がかかる。金持ちでなければ所有できない。番
犬は、吠えてくれればいい。駄犬で十分だ。餌も安上がりなもので十分だ。お手軽で安い。

  よく、雇い主の関係で敵味方になって、海援隊が同士討ちなんかしないのか。と聞かれることが
ある。
  そんなことは、起こらない。番犬は、本来の主人に忠実である。本来の主人に取り利益のある仮
の主人のみに雇われればよいのだ。そう日本という本来の主人に忠実であれば。それが我が社の存
在意義だ。
  海援隊の株のうち、51%は水交社と偕行社、それに軍の共済年金機構が所有しており、25%
は、日本の各種公社の所有、坂本本家が8%の所有である。また、11%は社員の持株会のものだ。
資本的にも日本の番犬と言えるであろう。
  
  海援隊の上海支社は、黄浦江に面した租界地区、いわゆる外灘(バンド)と称され近代的なビル
が蝟集する地域の南端、金陵東路に面した一角にある。5階建てのガッシリした感じを受けるビル
である。私は、支社のドアを開けた。玄関で出会った部下が声をかけてくる。

「劉部長。お疲れ様です。」
                                                      お  わ  り

話に出てくる装甲艇は、旧日本陸軍が建造した装甲艇を強化したものです。運用は正規戦闘用では
なく、米軍がベトナムで用いた河川砲艦に準じます。ただ民間会社の発注であるため、タグボート
(曳船)をもとにしています。河川・運河での運用が主体になるので、速度より小回りが重視され
ています。大きさの割に、重装甲・重武装であるため、トップヘビー気味で外洋航行は出来ません。
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最終更新:2012年01月03日 21:42