992 :名無しさん:2013/03/17(日) 01:37:48
短編ネタで 転載自由
プログラマの憂鬱 ~国際コード~
それは地下深くにある帝国軍情報技術研究所
しかし軍事機密のため、表に出ている名前は「北海道酪農試験場」
そして研究員は表向き近所の酪農家。広大な放牧地、自由に歩き回る牛の足元で最先端の研究は行われている。
彼らは日本の裏方を支える、次世代インフラの研究開発を行っていた。
ミサイル誘導装置からウォッシュレット設計まで何でもこなす技術者集団である。
増える日本の領土と、それに伴い爆発的に増える合法、非合法問わずの情報の増加。
それらを処理するにのタイプライターや紙の索引はもはや各省庁を敗北寸前まで追いやっていた。
史上での
BBSやインターネットの利便性、そしてワープロの使い勝手を知る
夢幻会からは
連日矢のように開発の催促が行われていた。それほどまでに皆切羽詰まっていたのである。
無線のデジタル化、周波数ホッピング、史実の知識を使ったターボコードでのエラー訂正、
音声や画像圧縮理論、そしてそれらを用いた高速通信網の構築。
これらの内、一部の技術、主にシリコンウエハー上に構築されたRISC系列マイクロプロセッサを使い、
装置の小型化や数十キロバイトのプログラムの構築や実行などができる、後の組み込み系と呼ばれるチップの開発はすでに終わっていた。
碌な書き込みようの機器も無く、アセンブラと呼ぶのもおこがましい、紙に書かれたパンチカードの規則に沿って
リレーを動かし、メモリ上にプログラムを一バイトずつ書き込んでいく装置だが、
制御システムの開発が終わるまでは、これだけが頼りであった。
「こんなROMライターで大丈夫か?」
「大丈夫だ、とりあえずこれで最低限のキャラクタROMと、入力制御用のドライバ、あとはメモリエディタさえ書けば…」
そして数日、出来上がったキャラクタロムは白黒2色8*8のサイズのビットマップ、文字は合計16文字、数字とa-fまでの英語の文字のみである。
キーボード付きのメモリ、リレー駆動の画面に表示されるのは32文字。メモリは65535バイト(うち最初の3500バイト程度はシステムが占めた)
hexの表示ができるキーボード付きメモリ、画面があり、IRQに直接結びついている2chテープレコーダーはLチャンネルは
テープの伸び補正のためにクロック、Rチャンネルはパラレルーシリアル変換用ICを通じてメモリの内容を書き出すか読み込むだけである、
間違いないパソコンの雛形が完成していた。
「形にはなったなぁ」
そこにいた研究者の多くはある程度出来栄えに満足していた。
なにしろトランジスタから一足先にLSIを作ろうとしたのである。
「ウエハー切り出して、レンズ磨いて調整して、エッチングして、レイヤー重ねてみたらずれすぎてたりしたからな…」
当時の日本の工業技術で、均一にシリコンウエハーを切り出して、クリーンルームの中で作業するのは至難の業であった。
98%不良率という恐ろしい状態、しかも計算したら金より高い生産費用となれば、生産技術の模索から始めなければならなかったのである。
最終的には、真空チェインバーの中で、気化したシリコンを鏡面に磨いた土台の表面に蓄積し、史上の知識を元に作られた青に近い発光ダイオードの光を使い
短い波長でエッジングし、それでも100nm程度の幅でのゲート回路の構築がやっとであったのは実に皮肉だ。
ボンディングワイヤーは職人の手による一品モノである。
「後はとりあえず簡単なエディタを作れば、最低限の開発環境ができあがるな」
「ネットキタコレ!!」
「そのまえにTCPスタック構築だろ、JK」
盛り上がる研究員たちだが、彼らは気づいていない、いや、目を逸らしているのであろう。
刻印の無いキーボード、そして32文字(実質16バイト)しか表示できない画面。
それを使い、HEXの直打ちで平仮名、カタカナなどのフォントの作成、表示アルゴリズムの打ち込み、そして
ファイルシステムの構築とモデムとの通信制御を書かなければいけない事を…
つづけ)
最終更新:2013年03月17日 15:58