922 :taka:2013/05/07(火) 01:43:24
話を聞いてて右腕が疼いたので投下
支援2_名無し三流さま_ドゥーチェのパスタ様に感謝
923 :taka:2013/05/07(火) 01:44:23
北米での支援の折、イタリアが多数のパスタを供与したのは有名である。
元々イタリア系移民によってスパゲティ料理は
アメリカに広く伝わっていた。
戦前の1920年代にはスパゲッティ・ウィズ・ミートボール(ルパンと次元が食べるアレ)のレシピが出版されている。
嵩張らず手軽に調理でき、ソースと和えるだけで自在に味付けを変えられるパスタはアメリカ人と相性がぴったりだった。
アメリカ崩壊後の1940年代後半、北米での調査を終えたイタリア軍調査団が帰還した。
彼らはドゥーチェに対し北米での食糧事情は終戦直後と比較すれば幾分好転したと報告している。
(ただし、インフラや食糧生産の改善ではなく病気と飢餓による死亡により食料を必要とする人口が大きく目減りしたというのが大きな理由)
ただ、生き残った者達は味気ない支援食料を機械的に食べる日常が続いている。
復興の促進の為彼らの気力と士気を改善させる手軽な手段はメニューのバリエーションを増やすという事だった。
食べれるだけでも有難いというなかれ、人は余裕が出来ればより多くを望むものである。
他にも最初こそインパクトが強かったイタリア食品供与が、他の枢軸国が真似た為にありふれた存在になり有り難味が薄れた事を打開するためにもある。
ドゥーチェと関係者は考え込んだ。既存の食品で尚且つ北米での普及率が高そうなもので予算的にも優しいもの。
アメリカとイタリア。
ドゥーチェの精神が深層へと沈んでいく……。
パスタ、アメリカ、イタリア、これらをつなぐもの。つなげることが出来るもの。
パスタ。
ケチャップ。
ピーマン。
ベーコン。
タマネギ。
「eureka!!」
その答えを得た時、ドゥーチェはアルキメデスの如く叫び室内を走り回ったという。
何でこれを思いつかなかったのだろう。アイディアくれた日本マジでビバ。
イタリアの支給品であるパスタ、今でもアメリカで生産され現地民の魂の味として使用されているケチャップ。
パスタを茹で材料を適当に刻み、合わせて炒めケチャップで味を調えれば直ぐできる。
しかも味付けはアメリカ人の馴染み深いケチャップ味。
これなら誰でも作れて誰でも嫌うこともなく食べることが出来る!
かくして、この料理はイタリア軍の広報により宣伝され伊領カンザスを中心として北米全体へと侵蝕していく事になる。
元々簡易的な料理として茹でたパスタに缶詰のケチャップを絡めて食べる事もあったのだ。
材料を比較的揃えやすく単調すぎる今までの食事よりも若干グレートが増したこの料理をカンザスの住民は抵抗無く受け入れた。
その後カンザス州の酪農産業の復活によりチーズがこの料理に振りかけられ再度のブレイクを果たした。
(なぜか一部の消費者は異様かつ異常に粉チーズの使用に拘ったらしい)
こうしてこのパスタ料理、ドゥーチェが命名した『ナポリタン』は新生北米におけるソウルフードの一つになった。
このナポリタンが真の完成、即ち仕上げにタバスコをかける事が出来るようになるまで更に数年の歳月が必要とされた。
その間、英領ルイジアナ州でのエージェントの死闘、多くの特許を所有する日本との暗闘、イタリアの行動に猜疑心を抱いたドイツとの情報戦。
まさしくイタリアは世界の三大大国を敵に回し、それに勝利してタバスコをナポリタンにかける栄誉を手にしたのだ。
(まぁ、こうして誰に憚ることなくナポリタン食えるようになったんだから勝ち組は俺が最強だよね。ナポリタンうめぇ!!)
今日のドゥーチェの昼食はナポリタンだった。
やおい
※なお、北米に普及したナポリタンのパスタの堅さについて日本の議員の一人が
「ビロンビロンじゃない堅さでなければそれはナポリタンじゃない」と叫び大使館に突撃しようとして取り押さえられたという。
※ナポリタンの起源についてドゥーチェは「日本で習った」とインタビューで零している。
興味を持ったマスコミが日本へ取材に出かけたが日本政府は「政府としては一切関知してない」と口を閉ざしたという。
最終更新:2013年05月12日 23:22