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辻政信 - Wikipedia
辻正信(つじ まさのぶ、18××年10月11日ー19△▲年○月◆日)は、日本の官僚、政治家、経済人である。大蔵省の一役人から始まり、大蔵省の要職を歴任し、大蔵大臣にまで上り詰めた。
1.概要
辻正信は、多額の資金、賛同者を集め日本の近代化、工業化を指導した。特に、第1次世界恐慌における資金調達は、歴史上類を見ない程の大金を世界各国から集めて見せ、日本を世界有数の経済大国、工業国に押し上げた。
また、経済の発展のみならず、国民の学力向上のために多額の予算を計上し、各種補助金や奨学金制度を多数作り日本人の学力向上に力を入れた。それとは別に、女子教育にことさら力を入れ、多数の女学校を作った。
第2次世界大戦、対米中戦争(太平洋戦争)においては、大西洋大津波にも助けられ第2次世界恐慌のさなか大量の資金調達を行い、日本の負担を最小限にした。
戦後も、欧州枢軸と経済戦争を繰り広げ、世界第1位の経済大国日本を作り上げた。
2.大蔵省入省
石川県江沼郡東谷奥村今立(現在の加賀市山中温泉)で4人兄弟の3男として生まれた。父亀吉は炭焼き職人であり、比較的裕福な家庭であった。小学校を首席で卒業し、奨学金を受け中等学校、高等学校も常に5番以内の成績で卒業した。東京帝国大学も主席で卒業後大蔵省に入省する。
3.大蔵官僚時代
入省当初、辻正信はそれほど注目されてはいなかった。しかし、第1次世界大戦後の軍縮の推進と日本経済再編を進めていくうちに頭角を現した。その結果、戦後不況を克服し、日本は経済成長を続けることができたのである。
また、東京大震災後の「帝都大開発」といわれる、広大な幹線道路の整備舗装や上下水道などのインフラ工事も強力に推し進めた。その結果、辻正信は”予算の神様”と呼ばれるようになる。
1925年から始まった第1次5カ年計画では、更なる大軍縮を行う傍ら大規模な省庁改革が行われた。第1次5カ年計画では弾丸列車計画など、数多くの日本の工業化を推し進めるための計画が実施されたが、辻正信はこの中で帝国統一規格令の制定を強力に推し進め、後に環太平洋での共通規格にまで押し上げることになる。
また、同時に教育改革にも協力し、各種助成金や奨学金制度をより充実させ、優秀な人材の発掘と育成を可能とした。
そして、この時期に友諠を結んだ嶋田繁太郎の相談に乗り、陸海軍大学校合同で運動会や文化祭を行うよう助言した。これは、後に有力な文化発信の手段となる漫画の影響力を実験するために提案したと言う話もある。
4.第1次世界恐慌
1929年10月24日に起きた世代1次世界恐慌で、列強各国は未曾有の大不況により没落していくことになる。しかし、辻正信はこれを予測し、逆に日本躍進のための機会とした。結果、世界で唯一世界恐慌の恩恵を受け、天文学的な資金を調達することに成功する。
日本はこれを使い第2次5カ年計画を推し進め、更なる重工業化を行った。また、日本本国の重工業化に合わせて満州での油田開発も推し進められ、日本は軽工業国家から重工業国家へと発展していくことになった。
また、同時期に起きた中国内戦では数多くの旧式兵器や戦略物資の販売を行い、資金の足しにした。
5.冬戦争・第2次世界大戦
この時期は上海事変、スペイン内戦、米墨戦争、第2次世界大戦など血なまぐさいことが多かったが、日本は冬戦争二介入した。義勇軍の派遣、各種兵器の提供、借款、工業化の促進などを行い、ソビエトの北欧への進出を防いだ。これは、ソビエトの目をドイツに向けさせる為の策だとされており、策謀を好む辻正信らしいものであった。
そして、ドイツのポーランド侵攻に端を発した第2次世界大戦では、予想を裏切りイギリスは日本の参戦を認めなかった。後に日本も参戦することになるが初手で躓いたためにドイツを叩き潰すことは不可能となった。
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6.対米中戦争・太平洋大津波・第2次世界恐慌
バトルオブブリテンで疲弊したイギリスは、
アメリカからの援助と引き換えに日本を裏切ることになる。その結果、日本はアメリカ中国と戦争へと突き進んでいくことになった。
しかし、幸か不幸かケンブレビエハ火山の噴火に伴う大西洋大津波によりアメリカは半死の病人となる。辻正信はこれを有効活用し、第2次世界恐慌のさなか対米中戦争における戦費の大半を調達することに成功した。これにより、第2次世界恐慌は第1次世界恐慌の時同様日本の一人勝ちとなり、逆にアメリカは虫の息となった。なお、この時に荒稼ぎしたために、他の列強が介入する隙が無く、結果アメリカ分割と言う流れとなったのは皮肉であった。
対米中戦争は、事実上第2次世界恐慌のときに日本の勝利が決まったとされているが、辻正信は慢心せず更なる攻勢を行い、アメリカ内にあった多くの資産や利権を取得することに成功する。それのみならず、各種の特許なども殆どを日本のものとし、欧州列強との技術格差を更なるものにした。
7.サンタモニカ会談と戦後世界
対米中戦争と第2次世界大戦の終戦を受け、日英独の3ヶ国で戦後世界の枠組み作りのためのサンタモニカ会談が開催された。これにより日本は環太平洋の覇権を確固たる物とし、更なる発展を約束されたのであった。
この後、日本はイギリスと共同してドイツを初めとする欧州枢軸やインドなどの第3勢力相手に経済的、政治的に戦っていくことになるが、主導権は常に日本にあり、その日本には辻正信が存在した。対米中戦争で盟友嶋田繁太郎がその名をとどろかせたが、彼もまた辻正信の操り人形であったという話は未だ根強い。
辻正信は、戦後環太平洋の工業規格の統一、インフラの整備などの促進や助成を行う一方、ソビエトの経済植民地化にも余念が無かった。その結果、50年代にはソビエトは日本無しにはもはや歩くこともままならなくなり、事実上の植民地化を成功させた。
8.引退後
辻正信は19×○年に引退した。いくら人外じみた功績を出したとしても、彼は人間であり老いには抗えなかった。彼はこの時まで独身であり、この後も暫く独身生活を続けた。
引退後、彼はこれまで貯めておいた資産を元手に同士とともに○○○○女学園を設立した。自身は理事長として学校の経営に携わり、かつての盟友たちも幾人かが外部理事として、また彼の同士も教師などとして彼を支えた。また、彼を慕って○○○○女学園にやってきて彼の手助けをする者もおり、○○○○女学園は当時日本最高峰の女子中等教育機関として知られた。
彼が75歳の時、○○○○女学園出身の25歳の女性と結婚し独身生活にピリオドを打った。祖父と孫のような年齢差の夫婦であったが、辻正信が亡くなるまで喧嘩することも無く過ごした。余りの年齢差のために周囲の人々は戸惑ったが、後にこの結婚は女学園の後継者の育成の為であると判明する。辻正信は女学園を養子ではなく妻に譲ろうとしたのである。
9.死後
辻正信は19△▲年○月◆日に死亡した。死因は老衰であった。この死をきっかけに、日本を初めとした環太平洋各国や北欧各国、イギリスなどで株価の下落が起きた。これを”正信ショック”と呼び、戦後の数少ない不況の次期であった。
一方、これまで行ってきた経済戦争で敗北した原因が死亡した為に、欧州列強は日本に対する大規模な経済的攻勢を仕掛けた。当初は余りの量と質により敗北を続けた日本であったが、すぐさま反撃に転じた。これにより欧州列強は多くの資本を失い、独にドイツは投入した資金の過半が失われる大失態を犯した。
これにより、辻正信は実は死んでいなかったという”辻正信生存説”が実しやかに囁かれた。しかしながら、これらの成果を出したのは辻正信の後継者たちであり、後に量産型辻正信と呼ばれることとなる。
この事件により、欧州列強は事実上没落し、日本の一人勝ちが約束された。
10.異名の数々
辻正信は数々の人外染みた成果を叩き出したが、彼を称えるための異名も数多く存在する。以下に有名な異名を記す。
- 大蔵省の魔王
- 予算の神様
- 女性教育の父
- 大魔王
- 大蔵省の巨人
- 昭和の怪物
- 日本財政の採点者
- 円(えん)の守護者
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11.主な逸話
- 第1次世界恐慌で大量の資金を調達したが、後の対米中戦争時に「こんな事ならあの時にもっと掠め取っておくべきだった。甘すぎた。」と反省の言葉を述べており、実はあの時本気でなかったことを示唆した。
- 第2次世界恐慌の折、世界中から金を毟り取った時に予算をもっと欲しいと言われた際に、「たしかに世界中からお金を集めましたが、あまりやりすぎると世界が崩壊するので手加減したのであまり集められませんでした。」と言い、本気ではなかったことを仄めかした。
- 人使いが荒く、多くの者が過労死寸前に陥った。ただし、嶋田繁太郎だけはいくら仕事を押し付けても限界が見えなかったと言う。
- 死後、彼が女装して嶋田元首相と写った写真が見つかり大騒ぎとなり、”辻正信女性説”が囁かれた。長い間この問題は解決されてなかったが、2006年に行われたDNA鑑定により男性とされた。しかし、後に鑑定に用いられた髪の毛が別人のものであることが判明する。
- MMJの首領とされる。MMJの詳細はこちらを参照。
12.各国の被害
辻正信は世界中から幾度として、強引に資金調達を行った。その結果、多くの国では国が傾くか滅んだりした。以下に主な被害国と被害を記す。
2度の世界恐慌で富を奪い取られ、1943年に崩壊する。その後、日英独に分割されその存在は歴史の教科書に記すのすら憚れる事になる。
第1次世界恐慌であらゆる資産、人材を奪い取られ第2時世界大戦を起こさざる得なくなる。しかし、そのために更に消耗し奴隷制をとったものの復活することもなく19×△年に崩壊する。その後、日本による更なる攻勢により分裂した。
2度の世界恐慌で富を奪い取られ、第2次世界大戦ではアメリカに靡いて日本を裏切るも当のアメリカが消滅した。その結果、日本に媚諂う事でしか自国を守ることができず、世界を飛べた大帝国の権威は失墜した。
あらゆるものを奪い取られ、戦国時代に突入。中国各地に埋められた地雷により各勢力は分断される。更に日本およびその衛星国で生産された小火器が流通し、決して銃声の絶えることの無いこの世の地獄となる。
アナスタシア皇女が日本に亡命したため保有する資産がほぼゼロに。更に、第2次世界大戦中の日ソ交易によりなけなしの資産がほぼ日本に渡る。終戦後、日独の都合により緩衝国家として存続が許されるが、日本によるシベリア投資により事実上分断される。欧州枢軸崩壊後の19○×年に崩壊。東にロマノフ王朝ロシア王国が建国され安定する。しかし、西は中小国家が乱立した上に民族主義者によるゲリラが後を立たず、モザイクロシアと呼ばれる。
13.後継者
辻正信は自身の後継者を一人には絞らなかった。その為、後継者たちは互いに切磋琢磨しながら協力し日本を発展させていくことになる。
また、彼の後継者たちは師のまねをして複数の後継者を育てた為、辻正信の後継者たちは膨大な数になる。一説には800人を超えると言う話もある。
現在その全てがMMJに加盟し、議員、官僚、資本家等として縦横無尽に活躍している。
一般的には”量産型辻正信”として知られている。
14.暗殺計画
辻正信はその強引な姿勢から国内外に多くの敵を作った。
彼の盟友とされる嶋田繁太郎ですら「クーデターを起こしたがる奴らの気持ちがわかる」と言っているほどである。しかしながら、彼は海軍内で血気盛んな者たちを抑え、辻正信へ協力していたが「何度殴り飛ばそうとしたことか」と愚痴をこぼしたこともあったと言う。
このように国内においては協力者たちによって激発は抑えられていたが、国外はそうもいかなかった。その極端な例が、対米中戦争(太平洋戦争)であり、アメリカは日本との戦争に打ち勝つことで辻正信を滅ぼそうとしたと考えられている。しかしながら、この目論見は大西洋大津波によって水泡に帰した。
15.盟友たち
辻正信は激動の時代を数多くの盟友たちと乗り切ってきた。その中には、嶋田繁太郎や伏見宮博恭王、近衛文麿といった者たちも存在した。後に辻正信を含めて”昭和の元勲”と呼ばれた。
その中でも、嶋田繁太郎との仲は親密であり、趣味が漫画やアニメと共通だったという事もあり家族ぐるみの付き合いであったという。(ただし、辻正信はこの時まだ独身であった。)また、辻正信は嶋田繁太郎の孫娘を可愛がり、彼女を巡って喧嘩をすることもあったという。
また、伏見宮博恭王、近衛文麿とは文化振興や女子教育の拡充などの点で意気投合し、嶋田繁太郎とともにコミックマーケットの規模拡大や漫画アニメの普及を推し進めていった。
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以前書いた奴のウィキペディア版です。
前回ほどのインパクトは無いでしょうが、読み比べても面白いかもしれないです。
後、間違いもかなりあるかもしれませんがそこは温かい目で見てください。
辻ーんが出てくる作品一覧を囲うとしたけど、数多くなりそうだしボキャブラリー少ないんで止めました。ごめんなさい。
最終更新:2013年05月29日 21:44