383 :石人:2013/06/09(日) 21:57:34
「のらくろ」という漫画をご存じだろうか。
野良の黒犬(野良犬黒吉)が猛犬連隊に入営、活躍する話である。
原作者の田河水泡が元軍属だったこともあり、当時の日本の状況を取り扱った作品でもある。
憂鬱世界においてもその人気は変わらず、
夢幻会の介入で話の内容は大きく変化していたが独特の作風はそのままに連載されていた。
さて、後に映画化される本作であるが、漫画と違い多くの困難が待っていた。
―1936年某日 田河邸―
その日、彼の家にはある来客が来ていた。
「わざわざ家にまでお越しいただき申し訳ございません、閣下」
「いやいや。こちらから用があると無理を言ったのだ、逆に礼を言いたいくらいだよ」
そこにいたのは二人の人間。
一人は田河水泡。
もう一人は、夢幻会の一員であり陸軍大将の本庄繁である。
「今日は君に、頼みがあってきたのだ」
「頼みですか?」
これから話す内容に本庄はげんなりとしながらも、説明をしていく。
意外な繋がり(※1)があるとはいえ、今回のような役目は通常近衛もしくは伏見宮がやることになっている。
だが、彼らは今東宝にいるので本庄にその役割が回ってきた。
「上海事変を題材に、のらくろを映画化ですか」
この世界の「のらくろ」は兵役中の軍隊の生活を主に描いており、連載から1年後に発生した上海事変については全く触れられていなかった。
「ああ。君にとっては不本意かもしれないがな。だがもしやるなら陸軍も協力させてもらうぞ?…最終的には君の判断次第なんだがな」
「僕次第ですか…」
384 :石人:2013/06/09(日) 21:58:28
この提案は田河に願ってもない好機でもあった。
「のらくろ」は前述の通り日常生活が主体ゆえに
戦闘描写は時々現れる山猿かゴリラとの小競り合いしかなく、読者から
「もっと戦うのらくろが見たい」
といった要望書が多数寄せられていたのだ。
自身の鏡とも呼べるのらくろが軍の宣伝に利用される―
あまり気持ちの良いものではないが、軍隊での経験があったからこの作品は生まれ、
今なお多くの子供たちに愛されている。
普段はドジでマヌケなのらくろがいざ戦争となれば皆を引っ張り所狭しと活躍する――
田川含め誰もが夢見た光景だった。
更に目の前の人物
―連載当初から陸軍の基礎知識をまとめた資料等、「のらくろ」の土台となる情報を送っている―
に、彼の成長を見届けてもらいたい思いが勝った。
「閣下」
「どうした?」
少しの間黙りこんだと思いきや真顔になった田河に本庄は面食らう。
「映画化の件、お引き受けいたします。ですが」
「ですが?」
「のらくろは漫画です。映画になっても子供が楽しめて、あまり残酷な表現は抑えた作品を希望しますが、構いませんね?」
「わかった。こちらとしては願ってもない話だよ」
本庄は大きく安堵する。下手をすればMMJからの追及があったからだ。
「もしよければ、君も制作に加わってみないか?黒兵衛や八ちゃんが出てくれば面白いと思うが」
「それは面白いですね!できるのであればやってみたい所です。
ですがどこで制作するのです?やるからには信頼できる会社でなければ」
「まだ確定していないが候補はある、安心したまえ。信頼できる人たちだし、
君も企画に加わりたがっていることを聞けばすぐに了承してくれるさ。
また後日連絡するからその時詳しく話そう」
「?」
385 :石人:2013/06/09(日) 21:59:20
―数日後 帝都東京 松竹キネマ株式会社―
「この企画…本当ですか?」
社長室にて本庄が持ち込んだ書類を見て、同社社長の白井松次郎が質問する。
彼の隣りには、資料を一心不乱に読む山本善次郎と政岡憲三が同席している。
蛇の道は蛇と言ったところか、すでに白井は東宝が近衛公と海軍の協力の元、
大がかりな映画を撮影している情報をつかんでいた。
ちょうどその対抗馬となる映画を企画中のこの訪問。渡りに船だった。
陸軍も協力して原作者の田河水泡も制作協力に乗り気。
千載一遇のチャンスである。
「ええ、本当です。田河君とも話しましたが、子供が楽しめて残酷な表現を抑えることが彼の条件です。
こちらとしては軍の過度な賛美や批判は控えること、
漫画とはいえ過激な創作は入れないことです。いかがです、白井社長?」
「…むしろこちらがお願いしたいくらいですよ本庄さん。あなたが友人で、義息殿が田河先生の知り合いとは
本当に幸運です」
「ははは(いや、あいつが色々やらかしたお陰で俺の気苦労は増えているのだが。今は喜ぶべきか?)…」
終始和やかな二人に対し、資料を読み終えたであろう山本と政岡の反応は正反対であった。
「のらくろですか!私も一度撮ってみたいと思っていたのですよ。政岡君はどうです?」
「私には…少し合わんかもなあ。瀬尾(=瀬尾光世)なら去年同じモノ作ってたし、あいつに任せよう。
今回は裏方に回るよ」
同じモノ(作品)と聞いたとき、本庄はあることを思いついた。
「白井さん、横シネ(=横浜シネマ協会)も確かのらくろを撮った人たちがいますよね?
いっそのこと今回は提携してやってみたら面白くありませんか?」
「やりましょう!あ、兄にも連絡してみます!
ああ、四郎(=城戸四郎)にも話してスケジュールを組み立てねば。これは忙しくなりますな。
本庄さん申し訳ありません、これから緊急で会議をするので、田河先生へ連絡はお願いします!」
俄然張り切りだし社長室を飛び出す白井とその後を追う二人を見て、この作品は絶対に人気出ると感じた本庄であった。
―後日 帝都東京―
「…」
「と、いう訳で田河君。松竹さんが受けてくれたよ、これで大丈夫だな」
「えっ、冗談ですよね?」
まさか東宝と勢力を二分する映画会社が制作を担当してくれるとは思わず田河はしばし呆然とした。
386 :石人:2013/06/09(日) 22:00:28
さて、この後行われた制作過程に紆余曲折があり、
その間に東宝が「地中海の守り人」を上映しその出来栄えに嫉妬しながらも
1938年の上旬に当作品の予告が公開された。
当時のアニメーション映画はまだまだ発展途上の時期で上映時間は10分程度。つまり一般映画の前座にすぎなかった。
ましてや「のらくろ」はここ数年で何本か作品化されているがいまひとつな出来だったので、
いくら大手の松竹といえども無謀、と当初は考えられていたが
制作に原作者である田河と陸軍が協力、スタッフに瀬尾光世・村田安司といった過去ののらくろ作品の監督や
山本・政岡を筆頭に松竹アニメの総力を挙げていることが分かり、
加えて
アジア初の長編アニメーションということで時間がたつごとに期待が高まっていった。。
そしてついに、1938年中旬
「のらくろ小隊長」
が公開された。
オープニングは近年作られた「勇敢なる水兵」の替え歌、「のらくろの歌」。
時系列はのらくろが士官学校を卒業する直前―史実の恐竜退治辺り―で、事実上の本編に当たる。
のらくろやハンブル達が猛犬士官学校で勉強中の頃、海の向こうの大陸では
赤い熊に援助を受けた豚勝将軍が配下の豚たちと共に国際都市下山へ進出し始める。
迎撃のため犬の国からは、精鋭と名高い猛犬連隊が所属する師団が派遣されることになった。
それに伴いテキサス大佐に卒業試験として
「少尉待遇で原隊に復帰し、生還の後正式に任官する(訳:実地試験して来い)」
の辞令を受け、のらくろが猛犬連隊に戻ってくる。
いつものようにデカと一緒にドジをしてブル連隊長やモール中隊長に怒られるといういつもの光景の後、豚の国へ向かう。
その頃、先発隊として下山に到着し、豚軍とにらみ合いをしていた那智大尉の部隊。
ある日、彼の部下のくしゃみを銃声と勘違いした豚軍の一兵士が発砲。それをきっかけに武力衝突が起きる。
数に劣る犬軍が徐々に劣勢に立たされ那智大尉が敗走を覚悟した時、猛犬連隊を筆頭に本軍が到着。
熾烈な戦闘の末結果は犬軍の大勝利(※2)におわり、のらくろは常に先頭に立って奮闘(※3)した功績から勲章を授与。
帰国後無事士官学校を卒業し正式に少尉に進級するも、同期の友犬達との卒業祝いで好物の豆大福を食べすぎて
腹痛を起こし、上官たちに呆れられるシーンで幕が下りる。
当時の人気連載漫画、なおかつ原作者公認である本作は青少年の心を鷲掴みにするどころか
陸軍の協力により再現された当時の装備(※4)や最新鋭の演出により、漫画やアニメを軽視していた人たちの度肝を抜いた。
(一部では誰だよ猫の○1号作ろうとした奴といった声が挙がっていたが)
結果、松竹が大予算をかけ、史実の日本アニメの基礎を作ったスタッフたちによる本作は
後にアジア初のフルセル長編アニメーション映画として映画史に名を残すことになるが、
この時はある化け物の所為で脇役にならざるを得なかった。
その正体は
ウォルト・ディズニー・カンパニー制作 「白雪姫」
史実以上の不景気にもかかわらずディズニ―の執念が形になったのか、既に公開されていた。
上層部はともかく、史実以上に親日感情が高まっていた
アメリカは1938年10月末にこの映画を輸出。
日本のアニメ業界に黒船のごとく殴りこんだ。
これに衝撃を受けた松竹のスタッフは以後「打倒ディズニー」をスローガンにアニメを作るようになる。
387 :石人:2013/06/09(日) 22:02:49
―???―
「いや―2度目の人生、こんなこともあるから悪くない。本庄さんが彼らの知り合いで本当に良かった」
「私や宮様は東宝に出向いていたから手が回らなかったものでね。だが、我々の目指す場所はまだ遠い」
「そこは時間をかけるしかないだろう。幸い軍部は文化祭で種をまいてある。今回も我々の大いなる一歩にすぎぬ」
「萌えと燃え、そしてリアルの融合。多少の規制は必要ですが、悪書追放運動などという愚行を防ぐには早めの対策が必要です」
「共産主義へのカウンター・教育・宣伝。これらに対しても有効なのは実証済みですがやはり娯楽を忘れてはいけません」
「前世には存在しなかった作品を見るのもまた醍醐味といえますからね」
「その通りだ。すべては日本・陛下の為。帝国臣民の生活と安寧の為。そして――」
『我ら、MMJの為に!』
[余談]
(※1) 史実で第19師団歩兵第73連隊に入営したが、韓国併合もなく、第一次世界大戦で消耗し、軍縮した憂鬱陸軍は
田河を第1師団歩兵第1連隊へ招いている。
その当時の上官の一人が本庄の娘婿の山口一太郎。
非番となればカメラを持ってどこかに行く山口の本性を知った田河は、「のらくろ」でものらくろが入隊した頃の教官役
として同じ趣味を持って登場させている。
当時連載中の雑誌を買っていた本庄が確認のため手紙を送りやり取りを続け、今の間柄になっている。
彼も猛犬連隊が所属する師団の長「沢庵師団長」として登場している。
(※2) 憂鬱世界の上海事変は、史実以上に軍の質が上がった影響か「爆弾三勇士」は誕生していない。
その代わりに生田乃木次を凌ぐ空の英雄が生まれた。
(※3) 作中を代表するシーンとして豚軍を撃破後「豚京まで進撃すべき」との声が高まるも、
ブル連隊長が「私は貴様らを無駄死にさせるために育てた覚えはない。猛犬連隊は野蛮な軍隊ではないし
武器を持たぬ者を守るために来たのだ。世の中が平和でおいしい飯を食えれば結構ではないか」と一喝。
静まり返ったときに沢庵師団長が差し入れを持ってきて、それを食べた後すぐに元の顔に戻り
「ほれほれ、早くしないとみんな食べてしまうぞ」と語る場面は、
ブル連隊長が皆をどう思っているかわかるエピソードである。
(※4) この頃陸軍は装備更新中であり、上海事変時最新だったものは多くが旧式化していた。
輸出されたものも多かったが、下手にそれができないもの(八九式中戦車、昭五式小銃の初期型等)
は国内で再利用されている。
388 :石人:2013/06/09(日) 22:13:33
[あとがき]
色々考えてはみたのですが、自分の文章構成能力の低さに泣きます。
これ以上は今は思い浮かばないです。戦闘描写?無理です。
元々のらくろは「犬の戦争ごっこ」がモチーフで生まれて、戦争を風刺していたようなので大分内容は変わると思います。
本編5話、9話でも言及されているのでアニメ化はまだ無理でも映画化は可能かと。
技術・資本が史実以上の憂鬱世界では「桃太郎の海鷲(1942年制作、1943年公開)」より5年以上早まってしまいましたが。
この時期に松竹にいない人物もなぜかいることについては、お許しください。
ただ
「この時期にのらくろ劇場版を総力を挙げて作ったらどうなるか」を考えて書いてみたかっただけなんです。
純粋な娯楽映画があってもいいだろうということです。
最終更新:2013年07月03日 20:33