403 :①:2013/08/04(日) 00:22:45
お久しぶりです、ほぼ一年ぶりの投稿です。
なのにわかる人にしかわからんと言うか、あまりにぶっ飛んでいる話で突っ込みどころ多すぎて
ネタで投稿しようかと思いましたが、前の音楽ネタに関連するので…
1
(どいつもこいつも、私の音楽を理解しようとしない…)
彼はドイツからイタリアに向かう夜汽車の中で肘を突いていた
旅から旅への、欧州各地のオーケストラを客演する日々だ。
非常に彼は不本意だった。客演しても一時の拍手は得るが
「わがオーケストラの常任指揮者に!」との声はかからなかった。
もちろん彼自身も田舎のオーケストラの常任になるつもりはない。
なにしろほんの少し前まで彼はベルリン国立歌劇場でコンサートを開くほどの力量の持ち主であるからだ。事実、彼はもう少しでベルリン国立歌劇場管弦楽団の常任の地位を手に入れかけていたのだ。
(あのワケわからん男がベルリンに帰ってこなければ…)
ワケわからない男とは、ドイツが誇る偉大な指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのことだ。
本人はナチスが大嫌いなのに、ナチスに好かれている、と言うよりも愛されている男。
ナチス、と言うよりは偉大なる総統、アドルフ・ヒトラーから絶大な求愛を受けている。
フルトヴェングラー本人ははなはだ不本意であるが。
ゆえに戦争も終わった直後に開かれた戦勝記念コンサートで、フルトヴェングラーはユダヤ人の音楽を意図的に演奏した。政治が嫌いなはずのフルトヴェングラーがナチスに与えた一撃は強烈だった。
世界に放送されたコンサートは世界中から大絶賛を浴びた。マーラーが不得意のフルトヴェングラーの演奏が特に評価が高かった。男に言わせれば「何とかまとまっているが深刻すぎてズタボロ」の演奏が「世界の手本」と言われるのは、芸術ではなく政治のはずだ。
現在のナチスドイツでマーラーを演奏するということはそれほど政治的なのだ。ナチスドイツへの反逆と言ってもいいだろう。故に世界はフルトヴェングラーを絶賛しナチスドイツの反ユダヤ政策を叩くのだ。
当然、ゲーリングやヒムラーは彼を捕らえようとした。男もそれは当然だろうと思った。フルトヴェングラーはナチスに対する裏切りに等しい行為を公然と行ったのだから。
全ての公職どころか命も危ない。事実、コンサートの翌日には国立歌劇場を管理するゲーリングから
「君に音楽監督をしてもらうことになるかもしれない」
と男に言ってきたほどだ。
404 :①:2013/08/04(日) 00:23:38
2
しかし、あっという間にこの問題は収束した。アドルフ・ヒトラーの存在だ。
ナチス幹部はフルトヴェングラーの逮捕を考えたが、総統はそう考えなかったのだ。
総統は、
「これからドイツは世界と関係改善を図らねばならぬ、むしろフルトヴェングラーが行った行為は関係改善の良いきっかけにもなるかも知れぬ」
と、部下の逮捕の声に耳をかさず、改めてフルトヴェングラーに政治的保護を与えるほどだった。
男は想う、総統はフルトヴェングラーの芸術にとことんほれ込んでいるのだ、と。
(確かにあの男の偉大さと芸術性は認める。あの男はいとも簡単にどんな楽団からも私が求める調べを引き出す力を持っている…)
総統もその芸術性を認めているから、フルトヴェングラーを擁護するのだ。
芸術家は芸術家しか理解できない、それがわかっているからこそ男もフルトヴェングラーの偉大さを理解しているのだ。
しかしその理解を男は他の誰からも受け取っていない。
(デブのゲーリングやゲッベルスが私をわからないのは仕方がないが、総統まで私を理解しないとはどういうことだ)
フルトヴェングラーがベルリンにとどまることになった瞬間、ゲーリングからは
「音楽監督?なんの話しかね?」としらばっくれた。
なおも粘ると「総統からはキミは「モーツァルトでも振ってれば良い」(注1)と言われた」と
総統が男を認めていないように言われたのだ。
男はデブのゲーリングがそのように言ったのならショックは受けなかっただろう。
しかし、人伝とはいえ総統からそのような評価を受けていると思うと、男にとっては問題だったのだ。ヒトラーか男が芸術家ではなくなるからだ。
男はヒトラーを偉大な政治的芸術家と認めている、だからこそナチス党にも入ったし、党の為の音楽活動も精力的にこなしてきたつもりだ。(注2)
なのにヒトラーは男を認めてくれない。そのような総統の扱いに男は無念ともいえる思いを持っている。それならば同じ芸術家のフルトヴェングラーの、男に対する扱いのほうがまだマシだったのだ。
フルトヴェングラーは男の出世をことごとく邪魔をしていた。
ベルリン音楽界に隠然たる力を持つフルトヴェングラーはベルリンから男を締め出してしている。
国立歌劇場でリハーサルをやっている時にフルトヴェングラーが男の演奏を聞くや否や「私がやる」と何度も男の仕事を奪ったほどだ。男にはなぜそこまでフルトヴェングラーに嫌われるのかわからなかった。
かと思うと、男が一度ベートーヴェンの交響曲第七番のフルトヴェングラーの調べの秘密をどうしても本人から聞きたくて、食事に招待したことがあった。
フルトヴェングラーは快くそれに応じるだけでなく、まるでベートーヴェン論を戦わす学生のように席上で男と熱心に話し、自分のコツを洗いざらい熱心に男に話すのである。
(この人は…本当に頭に音楽しかないのだな…)
男にはフルトヴェングラーが理解できなかった。人の出世を邪魔するかと思うと、音楽の話は熱心に心の底まで洗いざらいにするのは二重人格者としか思えなかった。
日本人なら「ああ、長嶋茂雄ような人ね」と理解できただろう(注3)
男はそこまで音楽に熱中するフルトヴェングラーをうらやましいと思う反面、自分とはどうしてもそりが合わないものをフルトヴェングラーに感じている。
ヒトラーとフルトヴェングラーという、二人の偉大な芸術家に認められない男の境遇は、ドイツではなく旅から旅の客演指揮者しかなかった。
(私の響きを理解してくれる人間はこの世にいるのだろうか?…)
405 :①:2013/08/04(日) 00:24:26
3
男が指揮棒を下ろすと、ほっとした空気が流れ、楽団員と歌手たち、他のスタッフががざわつく。
ここはイタリア、トリノのホール、二週間後の放送の為のヴェルディ作曲「仮面舞踏会」(注4)のリハーサルが終わったところだ。
(まあ、リハの初日としてはこんなもんだろう…)
男は指揮棒を置いてハンカチで汗をぬぐう。
リハーサルの初日だが男はいつものように彼の理想の響きを求めて指揮棒を振っていた。
そしてここはイタリア、リハーサルの初日だから歌手も楽団員も気楽なもので、男が指示を出してもなかなか気乗りしない。
観客がおらず、録音技師たちの群れがいるところで、彼らに本気を出せと言っても通用しないのがイタリアなのだ。
男はかんしゃくを起こそうとしたが、腐ってもここはイタリア。
「仮面舞踏会」は彼らのものだ。男が少し気を強くした指示を出すと、気乗りしないながらも指示通りの響きを出す。
まだまだ完成には程遠いが、ところどころ本番さながらの響きを出すのがやはりイタリアなのだ。
じゃじゃ馬をならすようなものでなかなかしんどいものだが、男は求める響きが本番でなんとか出せそうなのでやれやれと思っていた。
男は汗をぬぐい終えると、録音技師たちの元へ向かう。演奏の録音状態を確かめる為だ。
放送録音と言っても彼の「芸術作品」であることには違いない。
彼の求める響きがちゃんと再現されるのか、それを確かめるのも男の完全主義の一つだった。
録音ブースに近寄ると男はおや?と思った。
録音スタッフはイタリア人ではなかった。正確に言うとイタリア人もいたのだが、驚いたことに東洋人たちがほとんどを占めていたのだ。
406 :①:2013/08/04(日) 00:25:17
4
「ちゃんと録音は出来ているのかね?」
東洋人たちに不審そうな目を向けながら責任者に声をかけると、驚いたことに東洋人がドイツ語で答えてきた。
「ちゃんと録音できていますよ、マエストロ」
「君たちは?」
「私たちは日本の電気メーカーのものです、新しいマイクと録音機の売込みに来て、ちょうどマエストロの放送録音があると聞いてテストと売り込みをかねてやらしてもらったのです」
日本人たちは、日本の文字が書いてある作業服を着て熱心に録音作業をしていた。男にドイツ語で話しかけてきたのは少年のような顔つきの日本人だった。
「ふーん、やはり日本人は商売熱心だねぇ。それで録音は?戦争で勝ったのだから性能のいいものを持ってきたんだろうな」
「論より証拠、ご自分でお聞きになってはどうです?」
とヘッドホンを差し出してくる。
(いくら戦争に勝ったとはいえ、ドイツのものに比べたらたいしたことはないんだろうな…)
男はあまり期待せず、ヘッドホンをかけた。
日本人が指示を出し、スタッフが録音機の再生ボタンを押そうとしていた。
(ふん、一応ドイツと同じテープ方式か…)
機械のオープンリールが廻り始めるのを見て男が思った瞬間、音が響きだす。
そして男はその音を聞いた瞬間呆然とし、叫んだ。
「な、何だ?この音は!」
音はステレオだった。ドイツでもまだ実験段階の録音技術だ。
そして男が何より驚いたのは音が明晰だったのだ、ドイツで聞いた録音よりもはるかに高質な音。
弦が重なり、金管が響き、明瞭な通る歌声…
男は呆然とした。まるで指揮台で立って今演奏している音を聞いているようだった。
男は一旦ヘッドホンを外した。当然、ヘッドホンからもれ出る音と機械、そしてスタッフが話している音しかない。
男は再びヘッドホンをつけ目を閉じて響きに耳を傾ける。
音はすばらしく文句は言えない。しかしところどころ演奏が中断され指示を出す自分の声が聞こえる
(私の声はこんなだったのか)と思いつつさらに聞いていると、やる気を出したイタリア人の演奏が聞こえる。
満足のいく演奏部分で男は聞きほれるが、ダメな部分では顔をしかめる。それを聞いているうちに
(ここはこうで…この部分はもう少しアレグロを…)と、まるでリハーサルのやり直しの復習するようになっていた。
407 :①:2013/08/04(日) 00:25:59
5
テープが止まり、再生が終わった。
「どうです?わが社のマイクと録音機は?」
ヘッドホンを外すと目の前の若い日本人が微笑みながら聞いてくる。
「…すばらしい、としか言えないな、わがドイツでもまだこんなものは…」
「わが社が誇るトランジスタマイクと録音機ですから」
「これじゃ戦争にもならんわけだ…」
感心しながらも男は不満顔だった。
「何か不満が?」
心配そうに日本人がたずねて来る。
「いや、君たちに不満はない、むしろ自分だ」
「自分?」
「ああ、ここはうまく演奏できてるのに次の節がダメとか、聞いていて嫌になる。音が明瞭だからわかるんだ」
「ああ、そういうことですか、ならば、気に入った部分を言ってください」
「何の為に?」
「物は試しですよ」
日本人はテープを巻き戻し、再び再生する。
男は不思議に思いながらも前奏曲のリハーサル部分で納得の行く演奏部分を指示していく。
それを日本人たちはメモに書き取り、記録していく。
作業を終えると日本人たちは男の前でとんでもないことをはじめた。
テープを切り取り始めたのである。そして男の指示通りの演奏部分をつないでいく。
やがてテープは再び一本になった。(注5)
「できました」
日本人は新しく出来たテープを再び再生し始めた。
男のヘッドホンは、未完成ながらも、現時点ではベストと思える演奏が響いていた。
男は理想とする響きをその音に聞いたような気がした。
再びテープが終わる。
(もしこのマイクと機械でこのやり方を局限まで追及したら…そして機械の改良を続ければ…私の求める響きが…)
物思いに沈みながらヘッドホンを外した。
「いかがでした?」
「…これは、私の理想をかなえてくれるかもしれない…」
男は録音機に向かって呟いた。それは問われたから答えたと言うよりも、可能性に思い立った男の呟きだった。
しかし日本人が答えた。
「そのために私が来たんですよ、マエストロ」
男は日本人の顔を見た。まだ少年のような顔つきだが、その顔は微笑んでいる。まるで何かを確信するような…男は東方から光が射しているような気がした。
「そういえばまだ名前を名乗っていないし、あなたの名前を聞いていなかったな、私の名前はヘルベルト・フォン・カラヤン」
そう言ってカラヤンは手を差し出す。若い日本人がカラヤンの手をとりこう言った。
「ずっと前から知っていますよ、マエストロ」
「ずっと前から?なぜ?」
「さあ、マエストロ…。いえ、私の名前は大賀典雄、東京通信工業の社員です」(注6)
こうしてイタリア・トリノで「帝王」の胎動が始まった、東方の敵であった日本人の手で。そしてある日本の電気メーカーも…
解説
注1:ベルリン国立歌劇場デビューもフルトヴェングラーのからみで「奇跡の人」と称されましたが
フルトヴェングラーが復帰すると掌返されたカラヤンです。そのあとの批評はとばっちりとしか…
モーツァルト云々は当時のドイツではバッハ等を除けばベートーヴェン以降のロマンは音楽が絶対視されていて
モーツァルトは軽めの音楽とされていました。
注2:話の筋上、この話ではカラヤンを積極的な芸術的ナチ党員的に扱っていますが、実際のところはよくわかりません
人によっては「音楽やる為にやむを得ずナチ党員」「出世欲でナチ党員」と見方が180度違っている人です。
ちなみに戦中の活動はクナやフルトヴェングラーと同じように活動しています。
注3:筆者の受ける印象はフルトヴェングラーは長嶋茂雄みたいな人です。
嫉妬はものすごく人を蹴落とす真似もするが、音楽(野球)の話になると非常に熱心で敵味方関係なくなる人(w、と
カラヤンとは仲が悪かったそうですが、文中のような話(7番の秘密聞き出しの為のお食事会)は実際あったそうです
注4:ヴェルディの「仮面舞踏会」を選んだ理由はカラヤンが倒れた時、仮面舞踏会のスコアを研究していてそのまま亡くなられたからです
注5:実際のレコード編集はもっと込み入ってるはずですが…いかんせん知識不足ですのでご容赦ください
注6:カラヤン臨終の時、大賀社長がカラヤンと契約の話にきていて倒れられ、大賀社長の腕の中で亡くなられたそうです
408 :①:2013/08/04(日) 00:39:59
注7:タイトルの「光は東方より」はフルトヴェングラー・カラヤンの下でティンパニを叩いていた
演奏者の著作中から。
最終更新:2013年08月20日 20:54