406 :ひゅうが:2013/08/05(月) 16:26:29
ネタSS――「そして船はゆく~提督たちの憂鬱×征途~」
――西暦1995年8月 日本国 沖縄県 嘉手納宇宙港
これは少しまずいかな?
藤堂進がしばし困惑したところで、その一言は発せられた。
「なら、私も出ていくべきかな?元帥。」
「いや、別にかまわんでしょう。それに招待を受けた身としては欠席はできませんな。」
「それもそうか。ああ、お嬢さん。」
立ち上がり、広報官に掴み掛ろうとしていたらしい女性は、その声がした方向をじろりと睨みつけている。
壮年の男性だった。
肉体は中肉中背、背はそれほど高くはない。
顔は「にこやか」と「張り付けたような」という二つの印象のちょうど中間くらいで固められている。
愛想笑いであるが、女性に向けてあまりよい感情を抱いていない様子であるのは確かだった。
何より、沖縄の日差しをさけるかのようにかけているサングラスの向こうからでもわかる鋭い眼光は怒りとある種の悲しみに染まっている。
お嬢さん、と呼ばれた女性はしばし言葉を失った。まるで蛇に睨まれた蛙のようだと藤堂は思った。
わざわざ彼女にも聞こえるような声でとぼけたことを言ったその男性は、ゆっくりとサングラスを外した。
「川宮、同志。」
おいおい。同志とかぬかしてる時点でいろいろとまずいぞ。公正中立を旨とするジャーナリストとしては、と藤堂は思った。
見れば、男性の横では藤堂の実兄がビターな苦笑を浮かべている。
「軍人が人殺しでその子供が犯罪者の息子なら」
元「北日本」首相で、現在は日本国内閣府参与という微妙な地位にある男、川宮哲夫は肩をすくめながらしれっと極論を吐いた。
「私なんぞ、独裁者の息子ですが?」
女性は口をぱくぱくさせていた。
無理もなかろう。
日本帝国主義と軍国主義を糾弾しにわざわざやってきたら、あろうことか自分たちの(精神的な意味での)トップに白い眼でみられたのだから。
と、彼の瞳がこちらを向く。
どうやら幕引きは任せたというところらしい。
「お嬢さん。」
藤堂は言葉を継いだ。
「少し冷房負けされているようですな。」
その一言で女性は、崩壊した。
しゃくりあげながら小走りで記者会見場を出ていく様子を冷めた目で見送りつつ、藤堂は自分を見つめる視線に気づいた。
川宮だった。
二人は一瞬だけ視線を交差させると、何事もなかったかのように会見場の席に座りなおした。
周囲はざわついていたが、機転をきかせたらしい広報官の名調子で笑いを取り戻すのに5分とかからなかった。
407 :ひゅうが:2013/08/05(月) 16:27:29
「どう、お呼びすればいいですか?」
藤堂進が川宮哲也にかけた言葉はそれが最初だった。
「ただ川宮、だけでいいですよ。提督。」
ほどよく空調のきいた部屋はガラス張りで、嘉手納宇宙港の電磁カタパルトがよく見渡せた。
「ああ、提督とお呼びしても? どうも御兄弟を両方とも『藤堂さん』と呼ぶとまぎらわしい。」
仕立てのいいスーツに身を包んだ川宮は、ちらと遠巻きに藤堂を囲みつつ談笑する人々に視線を投げた。
その先では孫に「もうひとりのじーじ」として髭を引っ張られている明の兄が困ったような表情で彼女の母親と妻に助けを求めている。
次男の嫁はころころ笑っており、明の妻は口に手をあてて上品に笑っていた。
その横では、でっぷり太った見覚えのある男性――なんといったか、宇宙の先生だったか?――が微笑ましいものを見るように彼を見つめており、広報官と彼の同僚らしい女性たちが半分以上本気(お世辞半分未満)で陽性の笑い声を出していた。
「ええ。構いません。」
明はそう返答した。
この目の前の人物はただの政治家ではない、と藤堂進は思った。
背筋はしゃんとしており、歩く速度も百分の一秒のずれもなく左右の足をくりだしている。
おまけに先ほど階段を上がる際はさらっと小走りを披露していた。
藤堂はそうした特徴をよく知っていた。
川宮哲夫もまた、海の男なのだ。
どこでそうなったのかはわからない。公式の経歴では彼と海の接点は豊原人民大学校でカッター部に入っていたことくらしかない。
それ以後はずっと「向こう側」の党の仕事をしていたらしい。
408 :ひゅうが:2013/08/05(月) 16:28:14
「海ですね。」
ぽつりと川宮がいった。
「海です。」
藤堂もこたえた。
夏の雲の切れ間から青い空が見える。
そしてその下には、日本国がこの祝宴にあわせて集めた数々の船が浮かんでいた。
客船、巡視船、軍艦、空母、そして戦艦。
南北ふたつの日本に属していた空母と戦艦は意図的に並んで配置されており、そろって同じ旗を掲げている様子を観衆に見せつけていた。
この式典が終わった後に退役する予定であるものも多い。
かつて戦艦「大和」と呼ばれていた艦と巡洋戦艦「樺太」とも「栄光」とも呼ばれていた艦はいずれ横にならんで記念公園となることがすでに決定されていた。
「『海は人々に新しい希望をもたらす。眠りが夢を運ぶように』。」
川宮はいった。
「コロンブスの言葉です。」
藤堂は頷いた。
川宮は、なぜかは分からないが自分と話したがっている。
そう確信したからだ。
「私が子供のころ、海は目の前にありました。よく近所の悪童どもと連れ立って海岸で遊びわまったものです。
決まって12時になると、上空をジェット機が通過していくんです。それにあわせて母がスイカを切ってきてくれた。
それがあのころの私の世界のすべてでした。」
どこまでもいける気がしていた、と川宮は言った。
「私が思春期になるころ、アポロが月へ着陸し、南ではそれに追随するようにロケットを打ち上げた。
その頃の私は士官学校のそこそこのところにいましたが、まわりが弾道ミサイル云々というのも気にならず、それを理由にいろいろな本を読み漁りました。」
秘密ですよ、という川宮はこちら側での以前の評価に近い。
確かに放蕩息子であったようだ。
「だから、海に出ました。」
川宮はそう結んだ。
藤堂は、この目の前の男がある種の冒険家であろうとしていることに気が付いた。
たぶん、彼は見知らぬ海へ漕ぎ出したかったのだ。
下手な大義名分でもてはやされている男は、実際のところただの船乗りだった。
唐突に藤堂は理解した。
統一後、政府の下心交じりの要請を固辞し、若くして政治的に半分隠居状態にあるこの男がどういうわけかこの沖縄にきている理由を。
彼は、出航を見送りにきたのだ。
自分と同じように。
「さて、そろそろ失礼します。あまり長居しているとまたややこしいことに巻き込まれかねない。」
今日はお会いできてうれしかったです。提督。
ほがらかに笑ってから川宮は人の輪に向かって歩いて行った。
遠巻きに残念そうな顔をしている黒いスーツの丁稚がいるところをみると、首相とともに打ち上げを観覧する前に自分を宣伝に使おうとしている政治屋がいることを知っていたのだろう。
食えない男だ。
「じいちゃんのおふね!」
孫が叫んで指をさした。
藤堂は、あいさつをすませてから去ってゆく川宮を横目で見つつ、兄の救援にとりかかることにした。
――艦は海をゆき、船は宙(そら)をゆく。
未来は日と星の光に照らされ、続いてゆく――
【とりあえず 終】
最終更新:2024年12月30日 12:20