695 :①:2013/08/23(金) 22:20:03


提督たちの憂鬱ネタSS  ~「脅迫者」~

1.

 提督たちの憂鬱第16話より

―イギリスが降伏した場合も考慮した戦略については次回に持ち越しとなり、他の議題を優先して審議することになった。

 全ての議題の審議が終わると、出席者達の多くが部屋を出て行く。彼らも色々と忙しく、ゆっくりしている暇はなかった。

 だが多忙なはずの辻は、嶋田や近衛など次の内閣に参加する予定の人間と、
皇族であり海軍元帥である伏見宮と共に部屋に残っていた。


「歴史がこうも変化した状況では、米国との戦いも視野に入れる必要があります。
 ですが仮に日米戦争となれば通商破壊や海上ゲリラ戦だけで押しとどめるのは難しい
……新たな手を打っておく必要があります」


 この辻の言葉に残っていた人間たち、特に海軍関係者は苦い顔をしつつ頷いた。


「だがどうするというのだ? 日本には米本土を、ワシントンDCを攻略する能力は無いぞ」

「米東海岸主要都市を破壊する方法はあります。ただ成功する可能性が高いとは言えませんし、
成功すれば日本は大量虐殺の汚名を被ることになりますので、私も御免こうむりたい手です」

「……何をするつもりだね?」

「二つ手があります…」

 近衛の問いかけに対して、辻は自身の考えを二つ語った。そして全てを語り終えたとき、出席者達は顔面を蒼白にしていた―

― 日本で嶋田内閣が発足し、アメリカとの戦争が現実味を帯びてくると、東シナ海でも日米の緊張は高まっていった。

 日本側はフィリピンや上海に派遣されるアメリカの艦船について、これまで以上に情報収集を行い、状況の把握に努めた。
アメリカ側も台湾や海南島、さらに旅順の日本軍の戦力を把握するために、盛んに諜報員や偵察機を繰り出した。
 そんな状況下で、アメリカの輸送船がフィリピン沖で原因不明の爆発を起こして沈没してしまった。しかもこの船は中華民国向けの軍需物資を運んでいた。
このためにアメリカのメディアはこぞって日本の陰謀と書き立てた。マスコミは日本軍が直接手を下しただの、日本が支援しているフィリピン独立派の仕業だと無責任な記事を書き、
反日を煽った。
 これに対して日本は身の潔白を主張するが、先の第二次満州事変で対日感情が悪化していたアメリカ国民は、日本の主張に耳を傾けなかった。
さらにアメリカ政府は、これを切っ掛けにして一気に日本に優位に立とうと考えていた―

696 :①:2013/08/23(金) 22:20:34
2.

「この度の輸送船爆破について、アメリカ政府は日本軍の関与が濃厚と考えております」

(さてさて、喧嘩を吹っかけるための交渉か…)

アメリカ国務長官コーデル・ハルは通訳抜きの野村吉三郎特命全権大使二人きりで芝居がかった口上を述べながら、やりきれなく思う。

若い大統領が野望の為、腹黒いが国際的には平穏無事な国家運営を行っている大日本帝国に対し、
神の恩恵を受けている「アメリカ合衆国」が自国の状況打破の為に言いがかりをつけ、日本を暴発させて戦争をさせようとしているのである。

ハルはやりきれないがハルもまたアメリカ国民である。自国の状況打破に他国を利用するのは世界の常套手段だ。
やりきれなさを憶えつつも、アメリカの為に自分の役目は果たすつもりだった。

「…わが国は以下のことを貴国に要求します」

俗に「ハル・ノート」と呼ばれる対日要求の項目書を野村に手渡す。
(こんな要求を出されたらどんな国でも怒り心頭になるだろう…)
その内容は
1.台湾、海南島、南洋諸島の日本軍基地への査察、2.日本の通信・暗号情報の開示、3.現政権の即時退陣

要求項目書を一読した野村は

「…これが<正義と独立と自由>を標榜するアメリカ合衆国の要求ですか?まるでわが国との戦争を望んでいるかの要求ですな。
わが国に<アメリカの奴隷になれ>といってるようなものですぞ」

「<正義と独立と自由>を標榜している我がアメリカだからこそ、貴国にこのような<正義>の要求を行うのです。奴隷になれといっているわけではありません」

「わが国が貴国の輸送船を撃沈してもいないのに言いがかりをつけ、このような一方的な要求を出すことがアメリカの正義とは…わが国はこの要求には応じられません」

野村は冷静に言った。

「…わが国としては輸送船と貴重な人命を日本軍によって失われたと考えております、この要求が受け入れられなければ、
航海条約の破棄や対日資産凍結などの強硬手段をとらざるを得ません」

そう言いながらハルは(おや?)と思った。
普通、こんな要求項目を出されたら青くなるか怒り狂うだろう、誇りある国ならなおさらだ。
少なくともハルは自分が逆の立場に立たされたら怒り狂って即刻席を立っているだろう。

697 :①:2013/08/23(金) 22:21:14
3.

しかし野村は要求書を読んでもきわめて冷静で怒り狂うことも青くなることもない。
それどころか表情には冷笑さえ浮かんでいる。

(おかしい…冷静すぎる…)

いくら日本が礼節の国、あるいはサムライの国といってもこの態度は冷静すぎる。輸送船の沈没が自国の仕業ではないことを確信している以外にありえない態度だ。
もちろん証拠を出されてもハルもアメリカも応じることはありえなかった。もし出してきても「証拠は日本の捏造」で押し通し、日本を戦争に追い込むつもりだ。

「それほどまでにわが国の要求を拒むには何か証拠でもありますか?」

「いえ、わが国が貴国の輸送船沈没に関して関わっていない証拠はありません…」

ハルは野村の言葉を聴いてほっとした。

(明白な証拠がなければ、日本を追い込むのは簡単だ…)

ハルがそう思ったとき、野村が間髪言った

「…証拠はありませんが別のものを出すことが出来ます」

「別のもの?」

ハルは不安になった。
アメリカは今まで日本に何度も煮え湯を飲まされてきた。恐慌、軍縮会議…
その悪い連鎖を断ち切り、日本、いやアジアを手に入れるために今回の罠を日本に仕掛けたのだ。

(それさえもすり抜けるモノを日本は持ってるというのか?)

「それをお渡しする前に、わが国は貴国に要求いたします」

「貴国が要求できる立場では…」

「黙って聞きなさい、わが国は貴国に<今回の輸送船の沈没は事故でアメリカの誤解であったことの表明>、そして<日米は今後も変わらぬ友情を維持することの表明>。
この二点だけです」

「あなたは何を…」

「これらの条件を受け入れられなければ、わが国はこの情報を世界に、というよりもアメリカ国民に公開いたします」

そう言って野村はカバンから二冊のファイルを取り出し、ハルに渡す。

「これは…」

「あなたと大統領に関するものです」

「私と大統領に?」

「先に最初のファイルを読むことをオススメします。あなたのですから」

「私?」

ハルはファイルを手に取り、一冊目のファイルに目を通す。
見る見るうちにハルの表情はこわばり、顔色が青くなっていく…

「こ、これは…」

ハルはファイルから目を離し、こわばった表情で野村の顔を見る。

野村の表情はいたずらっ子がいたずらをかける時の笑いと共に、目には蔑みと侮蔑の色が浮かんでいる。


「私が、通訳も入れないで二人っきりで話しましょう、と言った意味がわかったでしょう?」

「…」

「さて、交渉を始めましょうか…今回の話じゃありません、これからの日米関係についてね」

その言葉を聴いて思った。野村の表情が先ほどとは一変していた

(こいつはまるで…)

野村の表情は冷静な外交官から「脅迫者」の表情に変わっていた―

698 :①:2013/08/23(金) 22:21:52
4.
―翌日、ホワイトハウスからステートメントが発表された。

1.フィリピン沖での輸送船沈没は事故であり、日本軍の関与はなかった
2.ゆえに日米の間には何も問題はなく、これからも友情は続くであろう


それどころか中国大陸に展開しているアメリカ軍の兵力削減と、ドイツ・欧州情勢について話し合われることも発表された。


ステートメント発表後、首相官邸の一室では

「やれやれだな」

と嶋田、辻が安堵していた。

「…これで当面の日米関係は改善に向かうことになる、辻さんがカタリナ諸島での原爆使用を言い出した時にはどうなることかと」

「私だって魔王じゃありませんから、人類補○計画を行う秘密結社のボスじゃないし、ジ○ン公国の総帥みたいなことはやりたくありませんから。
それにアレはもう一つの手が駄目だった時の保険です」

「保険ですか…しかしうまくいってこういうのはなんですけど、…にしてはやり方がヤクザみたいで…」

「どこぞの国の人たちが言う<悪辣で狡猾な日本人>のようですが、少なくとも何千万人殺して虐殺者の汚名を着るよりもマシでしょう」

「…まあ、表面上清教徒の国であり、自由と正義を愛するアメリカ国民の指導部の心理をつく、いい作戦だとは思いますが」

「所詮アメリカも権力者ゲームのルールで動いている国です、表ざたに出来ない秘密を暴露されたら権力を失い、落ちぶれることを恐れるのが人間です。
そのために「彼」が、こちらにつくことに全力を注いだんです。唯一つ心残りは、彼を「萌え化」できなくて、これまた権力者の論理で脅迫して落としたことですが…」

あくまでも「対象の萌え化」にこだわる辻であったが、とりあえずは自分と自分の家族の未来の安心が大切な嶋田にとっては当面のアメリカとの交渉が出来、
しかも日本有利な展開で行えそうなことに憂鬱の一端は軽くなったような気がしている。

「彼を萌え化できないのはしょうがないでしょう、それに彼を脅して屈服させたのも男に興味があったからで…」

「心配はそれですね、それにばれたら1970年ぐらいまで使える情報が入ってこなくなる…帝国にとっては重大な損失となります」

「おかげで帝国は全力で彼を守らなくてはならなくなったし…なんですか?「ニンジャ」って日系人が苦労しますよ?赤狩りならぬ日本人狩りが起きそうで」

「彼を守るための架空の組織、お話です。日系人には迷惑をかけるかもしれませんが、彼の盾となってもらいます」


野村大使は交渉の後、ハルから情報の入手先をしつこく問われた。当然本当のことは話せないので

「日本には古来から<ニンジャ>…英語のスペルはN・i・n・j・aですが…と、いうのがおりましてな…」

敵地に「草」として入り込み、情報活動を行うスパイ集団と説明するよう、あらかじめ辻から司令されていた。

当然日本にアメリカでそんな情報活動を行う組織はない。

「…しかし辻さんが「こんなこともあろうかと」とどこぞの宇宙戦艦の技師のような準備をしてたとは」

「相手はアメリカです、最悪の事態を予想しただけですよ。そのために彼が欲しかった、1970年代までアメリカ大統領を脅し続けた男を」

「ジョン・エドガー・フーバーFBI長官を脅して手先にするとはねぇ…まさに<悪辣で狡猾>ですね」


ジョン・エドガー・フーバー
自分の権力を守り維持するためにアメリカ政治界の情報をFBI』を使って探り続け、大統領も脅した男。
その権力欲を利用して辻は彼を同性愛者の情報を使って脅し、日本に寝返らせたのだ

彼を手に入れた辻は彼の秘密ファイルを根こそぎ提供させ、そして今もアメリカ政界の情報を送り続けさせている

「普通そんなことしたら自殺しませんか?国を裏切るんですよ?」

「権力欲が強い人間は自分の権力を守るなら親でも国でも売る、そんな政治家や官僚の姿を我々は元の世界でイヤというほど見てきたじゃないですか。
この世でも実際、ロングとハルはこちらの脅しに屈しましたし。普通に恥を知る人間だったら我々と取引せず、辞任か自殺でしょう」

「人間の業は深いですね…我々も心してかからなければ」

「あ、嶋田さんは大丈夫です。あなたは権力を持って威張るような人じゃないですから」

そう言って笑う辻を見て嶋田は

(オレってそんなに人畜無害に見えるのか?)

と憂鬱になる嶋田であった。

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最終更新:2013年09月02日 22:53