- 587. 名無しさん 2010/12/04(土) 23:22:25
- 今まで色々とROMっとりましたが「俺のゲッペが空気状態だと!?」という訳で、
ゲッペルスことヨーゼフ・ゲッベルスを主役にしたSSを投下。yukikaze様のSSを元にしています。
「極東の小国め、中々に面白い事をしてくれる・・・」
「しかしこれは凄い撮影技術だ。一体どうやったらこんな物ができるんだ?」
「実際に現地へ行って撮ったのか?」
「バカな、戦闘艦の中に外部の人間や機材を入れるなど軍が許すわけが無いだろう!」
「今すぐにコイツを上回る映画を作らなくては!何とかして予算を確保しないと!」
1938年、ドイツの国民啓蒙・宣伝省の一室は騒然としていた。そこにいた人間達を騒然とさせていたのは、とある日本の映画であった。
―――――『地中海の守り人』
第六回ヴェネツィア国際映画祭で最高賞であるムッソリーニ賞を勝ち取ったそれは、特撮技術、人物描写、脚本、何もかもが一級品だった。
しかし、この映画の仕掛け人だった近衛文麿らが隠した真の目的――――『人種差別論者と中国人のイメージダウン』――――を嗅ぎ取る事ができたのは、この部屋の中では国民啓蒙・宣伝大臣であるヨーゼフ・ゲッベルスただ一人だった。
(省内での上映会はこれが十回目だぞ。連中はまだ理解できないのか?
この映画に隠されている、瀟洒にして完璧な計略を・・・)
ただただ騒ぎ立てるだけの部下達を、彼は冷ややかな目で見つめていた。『プロパガンダの極意は、相手にそれをプロパガンダであると考えさせない事である』これはゲッベルスの数ある宣伝哲学の内の1つであるが、日本人の作ったこれは、完璧に彼の哲学に適っている作品だった。
(↓に続きます)
- 588. 名無しさん 2010/12/04(土) 23:23:00
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提督たちの憂鬱 支援SS 〜ゲッベルスの挑戦〜
「大臣・・・大臣!!」
部屋の隅で深い思索にふけるゲッベルスに、部下の一人が駆け寄る。
「しかしこれは、我が国の映画製作能力を国内外に広く宣伝するチャンスでもあります!我々アーリア人の世界に冠たる文化力を」
「悪いが少し黙っていてもらえないかな?」
全く気の利かない奴らだ。空気を読むと言う事を知らないのか?ゲッベルスは心の中で悪態を付きながら、部下の妄言を遮って下がらせる。
「ともかく、この映画は我々の今後の活動について大いに参考にすべきである。極東の島国にこれだけの事ができたのだ。我々はできない、などと言う事はあるまい。諸君らの今後の一層の努力に期待したいと思う。では解散し、持ち場に戻りたまえ!」
ゲッベルスが指示すると、部屋にいた十数名の官僚は一斉に自分の職場へ戻った。
「ふむ・・・だが、彼らの言う事も一理あるかもしれないな」
部下が居なくなった後、ゲッベルスは一人呟いた。
ゲッベルスは逆行者では無いが、彼にとってのプロパガンダはもはや人生の一部だった。彼のプロパガンダへの執着ぶりは、かの辻正信の『お嬢様学校』に対するそれに勝るとも劣らないだろう。現に彼は、史実以上の財政難の中で、国内へのラジオの普及をほぼ史実通りに成功させている。何にせよ、極東の黄色人種が作り出したそれは、彼の心に重大な影響を及ぼした事は確かだ。先の部下に対する言葉は、色々な意味で彼の本心であったと言える。
「私も一個人としては彼ら・・・特にあの"ヤマモト"という総監督を超える作品を作りたい。政府も国民も、あれほどの作品を外国に作られていつまでも黙り込む訳には行かないだろうし、新しい大衆向けの啓蒙映画を製作する事になるだろう。まずはコンセプトを定めなくてはな・・・」
そう言いつつ、ゲッベルスは愛用の手帳を取り出してメモ欄に書き込みを始めた。
1.観衆を十二分に熱狂、感動させ得る物である事
2.複数回、最低でも五回以上の観賞に耐え得る事
3.ドイツ国民及びアーリア人種の優越性の主張は露骨にならないようにする事
4.これまでの欧米製映画とは一線を画する作品である事
そしてこの四ヶ条の下に、『個人的願望』としてさらに書き加えた。
5.先進的な特撮技術をふんだんに使う事
6.派手な戦闘シーンを盛り込む事
7.外国人、特に日本人に参考にされる事
「願望が混じっているとは言え、我ながら随分と無茶なコンセプトだな・・・」
手帳を見つめながらゲッベルスは自嘲する。いつのまにか自分は日本の映画制作者達に劣等感を抱いていたらしい。
「見れば見るほど、いくつかの点を除けばあの忌々しい『地中海の守り人』そっくりだ」
頭の中に侵入してきたネガティブな思考に気が付くと、彼はあわててそれを振り払った。そして、我が主であり世界に冠たるドイツの主、アドルフ・ヒトラー宛の手紙(実質的には意見書)を書く事にした。
彼の手紙が実ったのは、1940年に入ってからの事であった。だが、その収穫は二年という長い時間を待った甲斐があったと言う物だった。
(また↓に続きます)
- 589. 名無しさん 2010/12/04(土) 23:23:36
- ヒトラーの返答は、要約すれば『国民啓蒙・宣伝省のために特別予算を用意する』との事だった。
「ぃやったあああ!やったぞおお!!」
この返事を受け取ったゲッベルスは、まるでオモチャを貰った子供のように喜びはしゃぎ回っていたと、ある宣伝省の官僚が後に語っている。この増額には勿論、条件が付けられていた。一つの省の予算だけを無条件に増やせば、他の省が黙ってはいない(この特別予算の捻出に関してはヒトラーも多大な負担を負ったが、それはまた別の話である)。
その条件とは以下の三つであった。
1.国民啓蒙・宣伝大臣であるゲッベルスが自ら総監督を務める事
2.国防軍のエルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル少将を主役とする事
3.ドイツ軍の勝利を革新的な方法で描き出す事
もし夢幻会の人間がこれを聞いたら間違いなく腰を抜かすだろう。
当時、国防軍上層部とヒトラーの確執にはかなり根深い物があった。国防軍のお偉方は伍長上がりの国家元首を胡散臭い目で見ていたし、ヒトラーもまた彼らを旧態然としているとして嫌な目で見ていた。ロンメルはその著書『歩兵攻撃』でヒトラーの高い評価を得ていたが、上層部はやはり総統の人材眼を疑い、彼の賞賛を浴びるロンメルをも疎んじていた。
ヒトラーとしてはお気に入りであるロンメルを国民的な英雄にする事で、道理の分からない国防軍をアッと言わせたいが為にこの条件を付けた訳だが、ゲッベルスは予算増額から来た暫くの歓喜の後、頭を抱える事になった。
ロンメルは第一次大戦時、イタリア北東部の『カポレットの戦い』において、三千人ものイタリア兵を捕虜にした功績がある。しかし、今のドイツとイタリアは友好国。友好国を貶めるような映画は作れない。
「参ったな・・・ポーランド戦で華々しい戦果を挙げてくれれば良かったが、実際には総統閣下の専用列車を護衛、か。重要ではあるが、とてつもなく地味だ・・・おまけにこれだけの任務に就いていたのであれば、事実の改ざんも難しい・・・」
こうしてゲッベルスが苦悶している内に、時は流れフランス侵攻が始まった。ある時は総統から、またある時は宣伝省の部下から、何度も何度も「早く日本のそれを越える映画を作ってくれ」という催促があり、彼はいわゆる板ばさみ状態となっていたが、ロンメルはとうとう彼の期待に応えた。
ムーズ川では先陣を切り連合軍を分断するわ、アラスではド・ゴールらの戦車隊を退けるわ、しまいには9万人もの捕虜を得る事に成功していた。これは全くと言って良い程に史実通りの結果である。
「あれだけの活躍をしたんだ、映画を作れない方がおかしい。さて、これでまず1つの問題が解決された訳だが、今度は『革新的な方法』か・・・」
ゲッベルスは端役や撮影用のセット、機材の準備を急がせつつ考えた。彼にとってドイツ軍が連合軍を鎧袖一触にする、などという"ありきたり"な脚本は論外だった。何とかして映画に国民を熱中させ、感動させなくてはいけない・・・
(さらに↓に)
- 590. 名無しさん 2010/12/04(土) 23:24:39
- 1940年末、半ば突貫作業で作られた純ドイツ産映画『西南西へ進路を取れ』が封切りされた。基本的にはエルヴィン・ロンメル少将率いる第七装甲師団のフランス侵攻における活躍を描く、今で言う所のドキュメンタリー映画"風味"である。つまり多分に事実の誇張が含まれていた。が、その誇張の仕方はこれまでの多くのプロパガンダ映画の斜め上を行くような物だった。
まず、映画の中のドイツ軍がやたらと補給不足に苦しんでいる。戦車長が戦闘中まで残りの燃料を気にしたり、前線の兵隊が補給部隊を救世主のように崇めたり。
主人公であるロンメルは、二言目には「もっと燃料があれば・・・」「もっと弾薬があれば・・・」の繰り返し。ドイツ兵は常に腹を空かせ、行軍中に栄養失調でふらふらと倒れこむ者さえいた。この状況を一言で表現するならば『一足早いスターリングラード』が最もふさわしいだろう。
次に、連合軍がやたらと狡猾かつ巧妙な戦術を取っている。ドイツ軍は正面対決では連合軍に対して完封勝利を収めているが、連合軍は正面からの戦闘を避け、ゲリラ戦に徹して短期決戦を目論むドイツ軍を苦しめる。
こんなシーンがあった。第七装甲師団が連合軍から補給所を奪うと、空腹に苦しむドイツ兵がロンメルの制止を振り切って食料が詰まった缶詰の山に殺到するが、それらは連合軍の仕掛けた時限爆弾だった。結果は言うまでも無い。
また、フランス軍の戦車部隊を率いていたシャルル・ド・ゴールは『パリの狐』とあだ名され、神出鬼没でドイツ軍の進路をかき乱し、ドイツ軍側から『幽霊師団』と呼ばれ恐れられていた。
しかも英仏軍の使う兵器はその殆どが『日本製』とされていた。戦車、戦闘機が日本製なら小銃、手榴弾もメイドインジャパン。連合軍側に日本人の士官が訪れて、アドバイスを授けるシーンもある。無論捏造である。
さらには、国防軍の将官らが最前線からの報告を聞きつつ、最後方で豪華な食事をとる、という色々な意味で危険なシーンまであった。このシーンは、国防軍嫌いのヒトラーの指示で挿入されたという説もある。
そんな四苦八苦の状況をロンメルらが友情と努力で乗り越え、クライマックスである『アラスの戦い』ではロンメルとド・ゴールが、その知恵の限りを尽くした攻防を繰り広げ、ドイツ軍の辛勝に終わる。
制作期間数ヶ月。様々な面で粗が多い映画となったが、餓えに苦しむ最前線の兵達の描写が極めて過激で、国防軍から苦情が来た程である。曰く「我々はこんなに無能では無い」「少なくとも食料事情はもっと良い」との事。この映画は、日本を含む外国でこそ『またナチが何か色々やってやがる』的な、ごく冷淡な反応だったものの、ドイツ国内ではとてつもなく大きなセンセーションを巻き起こしていた。
「最前線で戦う同胞を救え!!」
「私達の食べ物を兵士に送り届けよう!」
「兵隊の苦しみが分からない将軍は更迭すべきだ!!」
「我らの英雄ロンメルを国防軍の最高司令官にしよう!!」
「日本人め、何て余計な事をしてくれやがるんだ!!」
・・・etc。国内では国防軍の下層部に対する評価が上がり、上層部と日本人に対する評価は急落した。そして、人々は自分達の持つ金を、家財を、食べ物まで軍へ寄付しだした。製鉄所には「これを鉄にして兵隊のために弾薬を作ってください」と張り紙のされた教会の鐘が届けられた。
史実の日本は様々な団体を作って国民から戦争のための物資を集めたが、この世界のドイツではたった一本の映画がそれを成し遂げていた。史実を知る人間ならゲッベルスの面目躍如、と思う所であるし、ヒトラーも彼の手腕を高く評価したが、ゲッベルスは未だに満足していなかった。
「国内はともかく、ヤマモト・・・いや日本・・・いやいや海外で全く相手にされていないのは問題だな・・・今にして思えば、この映画には少しばかり"華"が足らなかったかもしれん。苦難と努力と勝利で民衆の感動を煽るのも良いが、やはり圧倒的な勝利が必要か・・・」
幸いにも、この映画の成功のおかげで特別予算は再び確保される事になった。国防軍からネチネチとした嫌がらせは受けるかもしれないが、世論は我々(ロンメル)の味方だ。
ゲッベルスは興行の報告書を読んで微笑むと、次回作の計画を立て始めた。
国民啓蒙・宣伝大臣の、ヤマモトへの挑戦はまだ終わらない・・・
to be continued・・・?
- 591. 名無しさん 2010/12/04(土) 23:25:17
- 後書き的な何か。
さて、調子に乗ってこんな物書いてしまいましたが・・・
ちょっと段落分けすぎました気が。そして長い。典型的な駄長文って奴ですね。
映画のタイトルの元ネタは有名な『北北西に進路をとれ』をもじった物です。
あとは独裁国家にありがちな捏造ネタを斜め上の方向にたんまりと。
勿論、憂鬱世界のフランス侵攻は映画のよりもう少しマシだった筈です。
最終更新:2012年01月01日 10:07