- 702. ヒナヒナ 2011/12/17(土) 01:03:36
- ネタばっかり書いているのもアレなので、此方にも真面目なのを書いてみる。
少し前に農薬の話があったので、緑の革命について書いてみるよ。
軍事じゃなくてごめんね。
・緑の革命
史実において、緑の革命と言われるものがある。
1940〜1960年代において各国で起こった、一連の穀物の大量増産を指す。
ちなみに日本でも半矮性小麦品種農林10号などが貢献している。
(もっともこれはGHQによる強制的な遺伝資源収集という側面もあったが)
要は肥料の多量投入や機械化、農薬投入などを前提とした集約的農業化で、
史実の第二次大戦後に予想された人口爆発による食料危機で求められた。
しかし、緑の革命はロックフェラー財団などが主導して行ったものであり、
本部のあるニューヨークが大津波で洗い流され、アメリカという国が崩壊した今、
いかに巨大なロックフェラー財団といえども、
即時に富を生まない農業研究分野に投資する余力は無いだろう。
さて、憂鬱日本では稲については既に品種改良がかなり進められていた。
戦時体制を睨んだ、作りやすく多収性である農林1号のような品種や、
逆にコシヒカリの様に食味を目指した品種を作り出していた。
農薬の史実より早い普及や、さらには農村構造の改革によって、
第二次大戦時までに収量性は格段に増加していた。
農業分野は史実の歴史に基づいて修正を加えながら計画を立ててきたのだが、
大戦末期に来て思いも寄らぬこと(農業計画策定者には)が起こった。
大津波による塩害や、火山の噴火による世界的な寒冷化であった。
これにより、緑の革命を行うフラグが一部流されてしまい、
史実には無い世界的な凶作フラグが立ってしまったのだ。
津波当年は備蓄などもあり、何とか乗り切れた国が多かったが、
その後数年間世界的な不作が予想され、世界規模で大量の餓死者が出かねない状態であった。
大日本帝国は早急に農業収量を向上させる必要があった。
(ちなみに農業でいう早急は5〜10年くらい)
列強筆頭としてその傘下に入った国だけでも、
保護するポーズを見せる必要があったのだ。
こうして、戦後の混乱も冷め遣らぬうちから、憂鬱版緑の改革に乗り出した。
- 703. ヒナヒナ 2011/12/17(土) 01:04:11
- 肝心の革命の中身であるが、基本的には米だった。
日本米は一応自給率100%超で、改良も日本の試験場で事足りている。
日本米を好む国は他に無いため、日本の主食は日本だけで生産・消費することとなる。
当面の目標は東南アジアの主食インディカ米の改良だ。
その裏には世界情勢があった。
会合出席者以外の人員には知らされていないが、
中国大陸での偶発的食料難が原因の餓死や内部紛争による人口減は是とされていた。
そのため、中国大陸は邦人の安全が確保できないと理由をつけて、
基本的に騒ぎが収まるまでノータッチだった。
韓国は政治など諸問題が大きすぎて品種改良なんてしていられないので、スルー。
欧州については、小麦は其方で勝手に改良してよね。といった方針であった。
ナチスの支配が続くドイツや、ファシズムが幅を利かすパスタの国、
未だ友好とはいえない英国にわざわざ力をつけさせる必要は無い。
小麦の改良は日本の利する所が小さく、欧州の利が大きいのだ。
西欧の穀倉地帯であるフランスが枢軸側であるので、良い試験地も用意し辛い。
ただし、憂鬱日本最大の友好国であるフィンランドを中心とする北欧諸国については、
日本支配圏からの食料輸入について口利きをすることで何とか収めることとした。
北米の穀倉地帯の多くは欧州の支配下に入っているため、考慮する必要は無かった。
東海岸では塩害による被害を受けて使えない農地も多かったし、
しばらく、欧州には北米吸収にかまけていてもらわなければならない。
日本の支配下であるカリフォルニア共和国も軍事を日本で一部負担しているのだから、
食料問題くらい貿易で確保させることになった。
ソ連の畑では小麦ではなく兵士が取れる……というのは冗談だとしても、
もし、戦争に費やされている人資源が農地に戻って有効な農業ができれば、
急速に国力を取り戻しかねない。史実21世紀のロシアは小麦輸出国だった。
かの国の気質として、国内の不安が抑制されればまた拡大主義に転じ、
東端の隣国である日本と西端の隣国であるフィンランドを更に圧迫しかねなかった。
夢幻会としては農業改革支援などもっての他で、
飢えて暴走しない程度に、高レートで食料を売りつけておくこととした。
そんな情勢なので、日本主導で農業革命を起こす地域は自ずと限られてくる。
目をつけたのは日本に(一方的に)好意を抱いている東南アジアの国々であった。
もっとも、ベトナムなど腹に火薬を抱えている国もあるが、そこはスルー。
そのなかで欧州支配の影響が薄い地域が選ばれた。タイだ。
史実ほどではないにせよ日本とそれなりの友好関係を保っている。
タイは今回の大戦でも直接の被害は被っていないし、津波の被害も無かった。
最大の米輸出国としてなり得るポテンシャルもある。
試験場の導入を図るのにちょうど良かったのだった。
こうして、日本主導で農業改革を行う地としてタイが選定された。
タイに日本主導で国際稲研究所(IRRI)が設立された。
史実ではロックフェラー、フォード財団が中心となってフィリピンに設立するのだが、
正直、米国の影響が強く残り、荒廃しきったフィリピンに設立する必要性は薄かった。
東南アジアを引き付けておくパフォーマンスとしてもちょうど良いというのもある。
目指すは奇跡の稲といわれた、倒伏耐性をもつIR8の開発だ。
帝国大学の農学部などから有望な人員が駆けつけ研究を行った。
日本の試験場とは違ってインディカ米の研究が主であったが、
人員や研究者を育てる的な意味でも貢献したのだ。
農業分野の研究者は試験場という狭い世界に閉じこもりがちだが、
外国との交流が出来る人材を育てなければならない。
帝国大学農学部などから人員が集められていった。
その中には後に教授として稲研究に貢献する人物なども含まれていた。
- 704. ヒナヒナ 2011/12/17(土) 01:05:11
- IRRIではこのあと台湾の稲である低脚烏尖を親に交配を繰り返し、
史実のIR8に相当する稲を育種し、東南アジア地域の食料安定に貢献する。
もっとも、この稲は適切な管理下において多収を約束する品種であるので、
農法の改革もセットで普及する必要があった。
さすがに紛争中の国に人材を派遣できないので、政情の安定した国から
10年の歳月を掛けて広めていった。
このような活躍からIRRIは国際的農業研究機関としての地位を高め、
後々には遺伝子組換え作物を含む、遺伝子研究も取り入れていくことになる。
ちなみに遺伝子工学が次世代産業となることが分かっていたため、
夢幻会がアニメなどを利用して偏見を取り払っていたので、
史実よりは組換え作物への反応は好意的となった。
稲から遅れること数年、小麦・トウモロコシは、結局北米で研究されることとなった。
国際トウモロコシ・コムギ改良センター(CIMMYT)が、
一部治安の回復したカルフォルニア郊外に、その研究所を構えることとなった。
大日本帝国の安全保障が欲しいカルフォルニア財界が、
日本人や日本主導の国際機関を取り入れるために必死に誘致した結果だった。
史実ではメキシコ・メヒコ州に設立されるのだが、IRRIと同じく立地が変更されていた。
情勢不安定かつ敵意を持つ国に、日本の財力を投じ無ければならない理由は無かった。
農林10号を使用した背の低い小麦品種を生み出してゆくこととなる。
憂鬱世界は花卉業界には厳しい世界であり、当初史実ほどには発展しなかった。
花は贅沢品で、花を贈れる、飾れるというのは、それだけ余裕がある証拠なのだ。
欧州では文化的にも根付いていたが、
日本ではあまり花を贈るという習慣が薄いこともあった。
しかし、「花を愛でる女性を愛でる会」という夢幻会の一グループがゴリ押しして、
60年代からN○Kで「趣○の園芸」という番組が放送され始めた事で、
日本でガーデニングブームが巻き起こり、欧州諸国を巻き込んで世界に波及していった。
野菜については国際的研究こそ行われなかったが、
アグリビジネスが金になると分かっていた逆行者達が世界に繰り出していった。
タキイ種苗や坂田農園などの種苗会社も国外進出を強めた。
農家が自家採取・増殖できないかわりに雑種強制で高品質を約束する
F1品種を作り出し、その利益を享受していった。
そして、野菜と同じくF1品種が強い競争力を持つトウモロコシ市場でも、
高品質・多収種子の販売を行っていた。在来品種とは生産量が格段に違うF1品種は、
高い種代を払ってもペイするほどの生産性を見せ、南米にも広まって行った。
ただし、在米法人として名称を変えて種子販売を行うことを推奨した。
主食のトウモロコシの利権や、種子を他国に握られていれば不満が起こる。
メキシコなど、南米諸国の反感を買うことになりかねないので、
在米法人してなるべく南米からの恨みを分散させたかったのだ。
20世紀後半から多く国で遺伝資源の持ち出しを禁止するのを知っていたため、
開国後から多くの遺伝資源を持ち出し日本に蓄えてきた。
その遺伝資源を活用することが出来たので、
野菜種苗の分野ではかなりのアドバンテージを持っていたのだった。
こうして、40年代の食料危機から、
歪ながらも50〜60年代にかけて食料事情は好転していった。
緑の革命の成果も着実に出始め、特に東南アジア地域では自給率が高まっていった。
しかしながら、飢餓から世界各国を救ったのは緑の革命ではなかった。
憂鬱世界では大津波による世界的な被害、
膨大な人口を抱える中国での飢饉や、それによる内部紛争、
第三世界でのもろもろの紛争
(大日本帝国は、日本が関与しないなら基本当事国同士に任せるといった方針であった)
などによって、世界人口が押さえられていたため、
皮肉ではあるが食料事情はかなり良くなった。
- 705. ヒナヒナ 2011/12/17(土) 01:05:41
- 196×年 とある日の夢幻会。
かつての日本政府の重鎮達がいるのは表向きは定食屋であるが、
夢幻会メンバーが立てた、メンバーご用達の定職屋だった。
食卓には重鎮達が食べるには質素な食事がならんでいる。
コシヒカリをふっくら炊いた白米に、塩シャケの切り身、
ほうれん草のお浸しとカボチャの煮付け、蜆の味噌汁、
カブとキュウリのお漬物
「コシヒカリはやっぱり美味しいですね。
最近ようやっと仕事から解放されて、米を味わって食べられるようになりましたよ。」
「お疲れ様です。戦前はまだコシヒカリ食べられませんでしたからね。
まあ、どうせ海の上じゃあどんな米でも直ぐに悪くなるのですが。」
「南雲さん、そうはいっても海保は沿岸警備だからまだマシだったのでは?」
そう言うのは嶋田と南雲の海軍コンビだった。
「野菜類もやっと種類と量が揃ってきましたね。冷蔵技術の発達もありますが。」
「いままでは、旬の時期に旬のもの『しか』食べられませんでしたしね。」
「それにビートが異様に研究されているくせに、ほうれん草が改良されていないとか。
野戦食のボルシチ缶は勘弁願いたいです。」
「あれはロシア人向けの試作品です。スピナッチ缶ならいいんですか、ポパイですか?」
辻や杉山、東条らも口々に言う。
この食卓にならんでいるのは、現在日本の一般家庭での通常の食事を模したものだった。
食事は生活水準のバロメーターということで、皆で今の日本の状態を確認する意味で、
久しぶりに集まって昼食会を開いたのだった。
嶋田もやっと現役を引退し、睡眠時間6時間の夢のような生活を満喫していた。
もちろん、夢幻会業務は完全に無くならず、なにかあると問題解決に奔走するという、
非常勤閣僚、兼海軍ご意見番のような役割を担っていたが。
史実米国の様な規格外の一強がいないために、世界情勢が日々動きを見せるこの世界で、
何か事件が起こるたび嶋田は表舞台に引っ張り出されていた。
しかし、少なくとも昼も夜もなく戦局や政治に引っ張りまわされる生活や、
毎日、胃薬や栄養ドリンクのお世話になるような生活より良いことは確かだった。
(了)
- 706. ヒナヒナ 2011/12/17(土) 01:06:20
- あとがき
この剣呑な世界情勢になった憂鬱世界ではまともに緑の革命は起こるのだろうか。
おこったらどの様な動きを見せるのかといった話です。
……というのが趣旨だったのですが、シミュというか妄想になってしまいました。
もっと、内容を絞って書いた方が良かったかもしれません。
緑の革命の中で食料増産に貢献した米国の農学者はノーベル‘平和’賞を取っていますし、
世界情勢にかなりの影響を及ぼす分野ですよね。
ある意味、食料事情の改善が開発途上国での人口爆発の引き金の一端にもなっていますし、
本当に制御が難しい分野です。
諸所気になる所があるとは思いますが、妄想の一環だと思ってご容赦を。
ラストは、あまりにネタ界隈での嶋田さんの扱いが哀れなので、
嶋田さんののんびりした光景を挟んでみました。
最終更新:2011年12月31日 20:58