478 :フォレストン:2013/09/26(木) 20:39:13
玉から石へ。

提督たちの憂鬱 支援SS 憂鬱英国電算機事情 改訂版

枢軸側に比べ戦力的に劣勢な英国は、少ない戦力を有効に活かすために、それこそ死に物狂いで暗号の解読を行った。コンピュータの開発もその手段の一つであった。
事実、英国における最初の第一世代コンピュータは第二次世界大戦の期間中、ドイツの暗号通信を読むために開発されたColossus(コロッサス)である。
真空管を1500本使用した初期モデルのMk-Ⅰから、真空管を2400本使用のMk-Ⅱ、構造を見直してさらに高速化をしたMk-Ⅲにまで発展し、枢軸側の暗号解読に威力を発揮した。

Colossusは(日本を別とすれば)世界初のプログラム可能な電子デジタルマシンであったが、プログラムは内蔵式ではなく、新たなタスクを設定するには、オペレータがプラグ盤とスイッチ群を操作して配線を変更する必要があった。それゆえに汎用性はなく、計数とブール演算という暗号解読に特化した存在であり、コンピュータと言うより、単なる強力な計算機械といった存在であった。
チューリング完全な、真の汎用コンピュータが登場するのは戦後になってからである。

戦後になりコンピュータの重要性に気付いた英国(というより円卓)は、官民挙げて開発に邁進することになる。
人間が計算するより、遥かに高速で、間違え無い装置にかけられた期待は大きかった。
軍事に限らず、膨大な計算が必要な分野はそれこそ幾らでもあったからである。

官民挙げて開発はしていたが、実際に主導したのは民間であった。
例えば、マンチェスター大学が開発した通称『Baby』、正式名 Small-Scale Experimental Machineは(日本を別とすれば)世界最初のノイマン型(プログラム内蔵式)コンピュータである。
これは同大学のフレデリック・C・ウィリアムスとトム・キルバーンが開発を指揮したが、ウィリアムスが発明したウィリアムス管の実用性を評価するために開発された試験機だった。

その後Babyを叩き台にして、実用的なコンピュータ Manchester Mark I が開発された。
ウィリアムス管と磁気ドラムメモリを使い、インデックスレジスタという概念を初めて導入している。
また、ケンブリッジ大学で設計・開発されたEDSACもプログラム内蔵式デジタルコンピュータであった。

(くどいようだが、日本を別とすれば)世界初の商用コンピュータは、マンチェスター大学に納入された Ferranti Mark 1 である。Manchester Mark I を元に設計されており、主な改良点は、記憶装置の容量増、乗算器の高速化、命令の追加である。基本サイクル時間は1.2ミリ秒で、乗算を約2.16ミリ秒で実行した。真空管を4050本使っており、その4分の1が乗算器に使われている。2号機がトロント大学に納入され、その後さらに改良を施した Mark 1 Star が完成している。

この後も設計の洗練とプログラム概念のさらなる発展もあり、英国のコンピュータ技術の基礎が築かれることになる。
戦前戦後を通して10年足らずで、ここまで発展・開発したのはまさに英国の底力と言うべきであろう。しかし世の中に例外(チート)が存在することを後に嫌というほど思い知らされるのである。

479 :フォレストン:2013/09/26(木) 20:42:21
アイスランド。
日英信託統治下であるこの島は、日本が誇る超重爆『富嶽』を運用出来る基地が整備されている以外には、火山くらいしか取り得の無い島である。
この島はカナダとイギリスを結ぶ中継地点であり、その日も輸送機型の富嶽が給油のために着陸しようとしたときに、それは起こった。

地響きと空震のあとに凄まじい噴煙。
エイヤフィヤトラヨークトルが近年稀にみる大噴火をおこしたのである。

激しい噴煙と降灰により、アイスランドへの着陸は不可能と判断した機長は、進路を英国へ変更したものの、巻き上げられた火山灰をエンジンが吸ってしまい、エンジントラブルが発生、どうにか英本土までたどりつけたものの、そのまま不時着してしまったのである。
幸いにして、クルーは全員脱出して無事であり、機体も速やかに日本側へ返還されたため、事無きを得た。少なくとも表向きは。

実は英国情報部が、富嶽が不時着した際に飛散した部品を怪しまれない程度に回収していたのである。人命救助と称して機体の内部もばっちり撮影していた。ついでに内部部品も回収している。もちろん痕跡は残していない。

回収した部品や内部写真は英国の航空技術を引き上げるのに、大いに役立った。
しかし、コンピュータ関連の技術者達は衝撃を受けていた。
中身が理解出来ないのである。それもそのはず、日本は真空管どころか、集積回路を実用化していたのである。トランジスタ単体ならともかく、ICチップを見せられたところで理解出来るわけが無かったのである。

『で、例の黒い欠片の件だが…』
『材質の解明は出来ました。恐ろしく高純度なシリコンだと思われます』
『我が国でも作ることは可能かね?』
『純度が高すぎて無理です。まずは精製装置から開発する必要があるでしょう』
『仮に作れたとしても、作動原理が分からないのでどうにもなりません』
『…』

英国の総力をあげた解析の結果、分かったことは純度の高いシリコンに微細加工を施しているということだけだった。不時着の際に発生した火災で焼け焦げた欠片から、ここまで解析してのけたのは、流石といったところであるが、それだけではどうにもならなかった。

以後技術者達は、黒い欠片の再現と作動原理の発見に全力を注ぐことになる。
二酸化珪素から高純度のシリコンを精製する研究が開始され、冶金技術者達はいわゆるテンナイン(純度99.99999999%)実現のために血道を上げることとなった。

同時に古今東西の技術論文や特許が片っ端から調べられた。
そして、一つの可能性が見出されたのである。

480 :フォレストン:2013/09/26(木) 20:47:07
旧北米大陸。
崩壊後の米国は、その混乱により特許の内容や権利者が判らなくなっていた。
日本と英国、欧州枢軸は正当な権利者の権利を護るために、代わりに特許を保護し、混乱が収まり本当の権利者が分かれば、その人物に返還するという名目で米国の特許を接収したのである。
内心の本音はともかく、建前的には持ち主が分かれば返還するので、特許技術は判明次第、逐次公開されていった。その中にジュリアス・エドガー・リリエンフェルトによるトランジスタ関連の特許が含まれていたのである。

英国の技術者達は、これこそが黒い欠片へ至る道であることを確信したが、公開特許扱いであり、しかも特許を管理していた日本が、旧北米大陸の復興支援を名目として、高額な特許使用料を設定していたため、さすがの英国も二の足を踏んだのである。

なお余談であるが、日本は崩壊した連邦準備銀行の地下に眠っていた、大量の金塊の分け前を自重してまで、米国の特許(特に情報技術関連)の確保に走っていた。その徹底ぶりは蟻の這い出る隙間も無いほどだった。
英国や欧州枢軸側でも米国の特許技術を接収したが、こちらは軍事技術関連に集中していた。後の情報技術の発展を見て、当事者達は死ぬほど悔んだという。

結局、英国がトランジスタの公開特許を使用することは無かった。
開発するには莫大な特許使用料を払う必要があるが、いつ結果が出るか分からない研究に馬鹿高い金を払うほどの余裕は英国には無かったのである。

この黒い欠片が真空管の代わりとなる論理素子であることだけは分かったので、技術者達は真空管の代わりとなる、新たな論理素子の発見と実用化に邁進することになる。

電話交換機に使う回転スイッチや、デカトロン管、他の装置もいろいろ検討したが、コスト面で最も優れていたフェイライトコアのパラメータ励振現象を利用する方法が、採用された。
パラメータ励振を利用している事から、パラメトロンと命名されたこの素子は、真空管に比べて圧倒的に安く、信頼性も高かったため、コンピュータの小型低コスト化に多大な貢献をしたのである。

その結果、英国の業務用大型コンピュータはもちろん、果ては大型電卓にまでパラメトロンが使用されることになる。

しかし、パラメトロンは確かに標準的な真空管に比べれば安価で高性能であったが、小型高速化には難があった。超小型フェライトコアや眼鏡型コアの採用、さらに水冷化してまで動作周波数を向上させたが、そこが限界であった。

一方で、公開されたトランジスタの特許を参考にして、実験室レベルであるが、電界効果トランジスタを作成することに成功していた。あとはこれを発展させていけば良いのであるが、それは特許の壁に阻まれて出来なかったのである。

技術者達は歯噛みしたが、こればかりはどうにもならなかった。
しかし、ここで諦めないのがジョンブルのジョンブルたる所以である。
過去の文献を片っ端から漁って、特許回避に使えるものが無いか探しまくったのである。

その結果、ジュリアス・エドガー・リリエンフェルトの特許が、米国だけでなくカナダでも出願されていたのを発見したのである。米国では1926年10月8日に、カナダでは1925年10月22日に特許が出願されており、米国のはともかく、カナダのは特許期限が切れていたため、こちらを使用することで英国はトランジスタの開発と実用化に成功したのである。

その後、ジェフリー・ダマーによって集積回路が作成された。
これにより初期のICの製作が可能になり、実装技術の向上等、目覚しい性能向上を見せた。しかし、初期の歩溜りの悪さからくるコスト高の問題から、その採用は研究機関向けの試作機や、政府機関に納入されたのみにとどまった。

後にこの問題は少しずつ解決されていくのであるが、それまでは民間では相変わらずパラメトロンを使用したコンピュータが発売され続けたのである。

481 :フォレストン:2013/09/26(木) 20:49:16
あとがき

というわけで、改訂版です。
といっても、特許回避手段以外はほとんど弄っていませんが。
本編で辻ーんが…

「別に無茶をするというわけではありませんよ。この混乱によってアメリカの特許はどんなものがあったか、誰が所有者かが判らなくなっています。故に我々が正統な権利者の権利を護るために代わりに特許を持っておくのです。混乱が収まり本当の権利者がわかれば、その人物に返還する。何の問題もないでしょう?」

…なんてことを言っていたので、公開特許扱いにして情報を発見しやすくしました。
もっとも、利用するには高額な特許使用料を払うことになりますがw

特許回避に使用した、ジュリアス・エドガー・リリエンフェルトの特許ですが、同様の特許が米国とカナダの2箇所で出願されていたのを利用しました。カナダの特許は期限切れなので、タダで使用出来ます。これを利用して開発すればどこからも文句は言われませんね。

ジェフリー・ダマーは英国のレーダー科学者で、史実では史上初めて集積回路を考案し、作成しようとして失敗しています。この世界では、欠片とはいえ実例があるので、それを参考に集積回路を製作に成功したということで。

それとこれを書いていて気付いたのですが、軍用機に使用される電子部品ってのは、基本的に性能よりも信頼性を重視されるわけで、つまりは枯れた技術なわけです。民間ではもっと性能の高いのが開発されているのが常なわけで、ひょっとして憂鬱日本では、8080とかZ80相当な8ビットプロセッサが開発されているかもしれません。そうすると1940年代にファミコンが…!?

事実を知ったら英国の技術者達は心労で倒れるだろうなぁ…(遠い目

タグ:

コンピュータ
+ タグ編集
  • タグ:
  • コンピュータ
最終更新:2013年09月28日 18:43