482 :フォレストン:2013/10/04(金) 13:29:04
ガラパゴス・コンピュータ。
日本より大幅に遅れ(周回遅れ)たものの、まがりなりにもコンピュータ技術を確立した英国であったが、本命であるトランジスタとそのIC化が軌道に乗るまでは、問題が多くあり、その解決には時間がかかることが予想された。
この問題は、当時の円卓の重要議題となり、あらゆる方面から検討した結果、英国のコンピュータ行政を司るBCS(British Computer Society、英国コンピュータ協会)では、以下の3つの課題に取り組むことになったのである。
- 演算処理装置の高速化
- 演算処理装置の高速化に伴う大容量メモリの開発
- 部品実装技術の開発
英国が欧州枢軸に比べて恵まれていた点は、史実とは違い、駐日英国大使館が閉鎖されておらず、まがりなりにも国交が維持されていたことである。最低限であるが人員の行き来は認められており、日本のコンピュータ技術(公開されている範囲でだが)を見ることが出来たのである。
英国は土壇場で裏切った国として、当時の日本人からの心象は良くなかったのだが、こと英国大使館の関係者だけは、あることをやらかしたおかげで、比較的好意的に見られていた。
そのため、国内で情報収集(本屋で技術書を大人買いしたり、秋葉で部品漁りしたり)するのにさほど問題は無かったのである。
483 :フォレストン:2013/10/04(金) 13:31:17
演算処理装置を高速化するには、動作周波数を上げることが必要になのであるが、当時英国で主流となっていたパラメトロン素子は、発熱量が大きく、周波数を上げるとコアが加熱し磁性が変化してしまい動作に支障が出たのである。
この問題に対しては、フェライトコアの中心部にパイプを通して水冷化することで対処したが、今度は励起周波数を上げることで共振現象が発生した。この問題に対してはトライ&エラーを繰り返した結果、特殊な塗料を塗ることで解決した。
その結果、励起周波数6Mhz(動作周波数0.1Mhz)を達成したが、これ以上の速度向上は見込めなかった。
速度向上が見込めないのならば、並列化してしまえとばかりに、直径1mmのフェライトコアを使用したパラメトロンクラスタを実用化し、据え置き型のパラメトロン・コンピュータではこちらが主流となった。
とはいえ、並列化するのにも限界があり、既にこれ以上の動作速度向上も不可能なこともあり、より高速で動作する素子が求められていたのである。本命はICなのであるが、開発が難航している以上、その繋ぎとして新しい素子が必要だった。
技術者達が新たな素子を開発すべく、奮闘しているところに、トンネルダイオードを使用した高速論理素子とその概論が日本からもたらされた。
日本からもたらされたといっても、日本が技術援助したわけではなく、神田の神保町で技術書を漁っていた大使館関係者が、発見しただけの話である。
技術書はマイクロフィルム化され、トンネルダイオードも巧妙に隠されて、大使館職員の帰国の際に英国に持ち込んだのである。
日本では既にトンネルダイオードの基本特許が切れていたために、直ちに実用化された。その結果パラメトロンに代わる、高速論理素子(史実ゴトーペア)の実用化に成功したのである。
この新型論理素子はMhzクラスで動作するため、Khzクラスで動作していたパラメトロンとは、桁違いの速さを誇った。
生産が安定してきた、トンネルダイオードは、パラメトロン並に安価であり、同様に動作部分も無いために信頼性も非常に高かったため、徐々にパラメトロンと置き換わっていったのである。
ちなみに、当時の英国の技術者が苦労したのは日本語で書かれた文献の翻訳であった。
当時の極秘プロジェクトとして、英国中の日本語に堪能な人間が集められて、翻訳に勤しんだのであるが、その後も翻訳プロジェクトは継続され、結果として英国における日本語の研究と、日本文化についての理解が深まっていくことになる。
484 :フォレストン:2013/10/04(金) 13:32:54
新型の高速論理素子(史実ゴトーペア)が実用化されたことで、メモリにもより大容量、高速化が求められた。
既に英国ではウィリアムス管を利用したメモリが実用化されていたが、求められた性能に追いつかなかったため、新たにパラメトロン技術を応用した磁気コアメモリが開発された。
磁気コアメモリはウィリアムス管より、遥かに高速で大容量であったが、量産性に難があった。
コア配列は人間の手で顕微鏡と精密なモーターを使って組み立てられていたからである。
技術者達は頭を抱えたが、結局人海戦術で対応することとなった。
人件費の安い華南共和国に、大規模なコアメモリの製造工場を建設したのである。
大量生産効果で最終的にはビット当たりの単価は1/100にまで下げられた。
磁気コアメモリは瞬く間に、水銀遅延線とウィリアムス管を駆逐していったのである。
なお、磁気コアメモリ技術の派生として、コアロープメモリが開発された。
RAMとして使われていた磁気コアメモリとは対照的に、コアロープメモリ内のフェライトコアは単に変圧器として使われおり、あるコアを通るアドレス線に信号が流れると、同じコアを通るデータ線に信号が生じ、2進数の1として解釈され、そのコアを迂回するデータ線には信号が生じず、これは2進数の0と解釈される仕組みになっていた。
磁気コアメモリとコアロープメモリの実用化によって、小型高性能化に成功したが、ICが実用化されると、更なる高速・大容量メモリが必要になることが分かっていたため、技術者達は研究開発に邁進することになる。
485 :フォレストン:2013/10/04(金) 13:38:12
黎明期の電子技術において、意外と重要視されないのが、実装技術であるが、英国ではこの面も重要視していた。
その理由は当時の英国のコンピュータの中身を見れば一目瞭然である。
細かいパラメトロン素子がびっしりと基板に実装され、その隙間を縫うように大量のコードがのたくっているのである。いくらパラメトロン・コンピュータが故障しにくいとはいえ、量産性やメンテナンス性を考えると問題であった。
日本では既にプリント基板が実用化されていたため、このようなことは無かったのであるが、実装技術が真空管時代の延長線に過ぎなかった英国では、部品をラグ板に取り付けて、配線は空中線で済ますのが、当時の常識であったのである。
この問題に取り組んだのが、ポール・アイスラーである。
オーストリア出身のポール・アイスラーは、ユダヤ人であったため、家族と共に英国へ逃れてきたのであるが、このころにはプリント基板のアイデアを着想していたのである。
第2次大戦勃発時に、敵性人として拘留の対象になったが、その後釈放されて独自のプリント基板を利用した機器の生産を細々と行っていた。
転機が訪れたのは、富嶽不時着事件である。
回収された部品の中に、彼が生産していたプリント基板に酷似したものがあったのである。
直ちにBCSに召集され、解析を任されることになったポールは、自らの技術を発展させ、より細密で量産に適したプリント基板の実用化に成功したのである。
プリント基板の実用化によって、煩雑な配線からは開放されたが、部品の実装そのものは未だに手作業で行われていた。
磁気コアメモリと同じく、当初は人海戦術で対処したのであるが、より細密な回路になると手作業では限界があったので、部品実装の自動化が模索されたのである。
最初に自動化されたのはハンダ付けであった。
ハンダ槽に溶かしておいたハンダの表層にプリント基板の下面を浸すことによって、ハンダ付けを行う方式が実用化された。(史実のフロー方式)
ちなみに、既にICを実用化している日本では、SMT(表面実装技術)が主流となっていたが、ここでは割愛する。
ハンダ付けは自動化されたが、肝心の部品の実装技術は未だに手作業であった。
当時の英国のコンピュータの構成部品は、いわゆるリード部品がメインであったため、リード線のカット、折り曲げの自動化が必須だったのであるが、その技術開発が難航したのである。
日本からの技術情報や、福建共和国へ移転された、IC実用化により旧式化した生産装備に工作員を紛れ込ませることにより、苦心の末にアキシャル/ラジアル部品自動実装機を実用化したのである。
こうして英国は苦心の末、コンピュータ生産をほぼ機械化することに成功した。
量産性が上がり安価となった、史実ゴトーペアを使用したコンピュータは、英国で軍民問わず広く利用されることになる。
486 :フォレストン:2013/10/04(金) 13:40:20
新型の論理素子を使用したコンピュータは、英国社会に多大な影響を与えた。
真っ先に使用されたのは、軍向けの用途であった。重くて故障しやすい真空管の代替がメインであったが、その後誘導装置や信管の小型化に貢献した。
予期しなかったメリットとして、トンネルダイオードは放射線に極めて強いという特性があり、核戦争においては有利に働くという点があった。そのため、民間でICが使用される時代になっても、軍用として、長らく現役にとどまる事になる。
後世の歴史書において、英国が核戦争を強く意識していたと記述されるのはここらへんが原因なのであるが、それを聞かされた当時の関係者は、なんとも言えない表情になったという。
民間ではNC装置や工場ラインの管理に使用された。
NC装置により、部品精度が確保され、ライン管理用のコンピュータによって、より効率的なラインの稼動が可能になった。
IC実用化は未だ成らなかったが、実用化されても問題無い程度に周辺技術を向上させることが出来たのである。
英国がようやく初期型ICの本格的量産に入ったころ、日本との本格的な交流が再開された。
英国側の技術者は既に実用化されていた、日本の超LSIを見て卒倒したが、日本側の技術者(転生者)も史実では歴史の影へと消えたパラメトロンとゴトーペア搭載のコンピュータを見て驚愕したという。
487 :フォレストン:2013/10/04(金) 13:46:10
あとがき
思っていたより反響が大きかったので、第2弾です。
パラメトロンでは限界があったので、ゴトーペアを実用化してみましたw
問題はゴトーペアの構成要素となる、トンネルダイオードの特許ですが、推定で史実よりも20年は早い憂鬱日本のコンピュータ技術を考えると、特許は切れているから問題無いと判断しました。でもこの世界だと『エサキ』の名は冠されないでしょうね…(汗
大使館職員がやらかした件ですが、これはいずれ書こうと思いますw
CPUが高速化すれば、当然大容量のメモリが必要となります。
ウィリアムス管など論外なので、新しいメモリを考える必要があるのですが、この時代だと磁気コアメモリが妥当と判断しました。
磁気コアメモリの開発者は上海生まれのアメリカ人物理学者であるアン・ワングとWay-Dong Wooですが、この世界だと確実に上海の戦闘に巻き込まれているでしょうし、史実よりも早くハーバード大の研究所で研究していたとしても、巨大津波からは逃れられそうもないので、パラメトロン技術の応用して開発ということにしました。
史実でもパラメトロン・コンピュータのメインメモリとして使われていたので、開発には問題無いでしょう。
磁気コアメモリは史実でも人海戦術で大量生産してコストを大幅に下げていますので、そのまま採用しています。華南共和国という安価な労働力が確保出来る国があったのは幸いでした。
コアロープメモリは、コンピュータのROMの一種です。
史実ではマサチューセッツ工科大学で設計され、レイセオンが製造し、NASAの初期の火星探査機やアポロ誘導コンピュータ (AGC) で使われています。機構的に磁気コアメモリと似通っているので、これまた開発には問題無いと思われます。
磁気コアメモリ性能が不足するようなら、ワイヤメモリの出番でしょうが、史実では日本独自の技術なので、開発のためには神保町通いするしか無いかもしれませんw
もっとも、日本だと磁器コアメモリもワイヤメモリも一足飛びで通り越して、半導体メモリを実用化していそうですが(汗
実装技術を実用化するには、何は無くともプリント基板の実用化が必要なのですが、史実でもポール・アイスラーが英国で実用化しています。もっとも、米国が近接信管を開発するために見出すまでは、脚光を浴びなかったみたいですが。
プリント基板を独自に開発したポール・アイスラーですから、富嶽の墜落部品を見れば概要はすぐに理解出来るでしょう。より量産と自動実装に向いたプリント基板を開発してくれると思います。
自動ハンダ付け機は、初期に採用されていたフロー式を採用しました。原理的にも難しく無いですし、リード部品がメインに実装されている基板ならこれで十分でしょう。
でも、既に日本は表面実装を実用化しているんだろうなぁ。これを知ったらますます英国技術者のSAN値が削られることでしょう(泣
部品実装機はアキシャルとラジアル、兼用のアキシャル/ラジアル実装機があるのですが、量産技術が発達していた米国ならともかく、英国で独自に開発出来るとは思えないので、日本からの情報&福建共和国に移転したラインを盗み見たという設定にしました。アウトラインさえ掴めれば開発は捗るでしょうが、苦労すると思います。
黎明期のオートメーション化に欠かせない、NC装置ですが、史実の三菱電機が1960年にパラメトロンを使用したNC装置を工作機械見本市に出展していますので、開発は問題無く出来るでしょう。
実用化出来れば、精度も工作速度も格段に向上するでしょうね。
最終更新:2013年10月04日 21:09