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衝号ぬきの太平洋戦争~第3章「南海への攻勢」
10日程で上海の米軍を撃破させ、開戦初日で
アジア艦隊は全滅。
満州の米軍も中国軍の精鋭部隊ごと3週間で完全に駆逐させてしまい、さらに開戦1ヶ月半後には、
残る青島、奉天などを包囲すると中国軍の残党が進んで降伏。
日本全土でお祭り騒ぎとなったが、
夢幻会は予想外に順調に進んだ戦争のため、今後取るべき戦略について今一度確認し合った。
夢幻会が開戦前に構想した対米戦略は、
第1段階:フィリピン及び中国に展開する米軍の撃滅。
第2段階:ハワイの真珠湾基地の破壊と無力化及び米艦隊の撃滅。
第3段階:アラスカへの侵攻とミサイルによるアメリカ政府への脅迫。
で、あり。
第1段階のアジア艦隊、上海、
満州の米軍は3週間以内に駆逐され目標はほぼ達成されたといってよい。
第2段階の前段階として、グアム、ウェーキ、(参考本編32話)
ミッドウェーといった
アメリカの太平洋上の各拠点の占領をする必要があるが、現在達成されたのはグアムの占領だけである。
しかし、ウェーク攻略作戦を11月中に発動する準備を整えており、来年1月にはミッドウェー攻略。
さらに全てが予定通りに行けば43年春に真珠湾攻略作戦の発動が可能であった。
1942年予定
11月 :ウェーク攻略
1943年予定
1月 :ミッドウェー攻略
3月~5月:真珠湾攻略
第3段階は上記第2段階の達成が前提であるが、11月下旬には2発目の原子の炎が完成する予定で。(参考本編33話)
1943年中には4発の核爆弾が完成する予定であり、原爆を運搬する爆撃機『富嶽』の開発も同じく43年に完成する。
さらには弾道ミサイルも42年の末ごろには発射実験が行える体制になっていた。
1942年予定
11月下旬:2発目の原子爆弾
12月ごろ:3式弾道弾の発射実験
1943年予定
爆撃機『富嶽』完成
4発の原子爆弾が順次完成予定。
加えて戦時の生産体制として、(参考本編32話)
42年11月には空母隼鷹、飛鷹が完成予定で、12月には大鷹型空母2隻、
さらに最大排水量7万トンの超大型空母『大鳳』が順次連合艦隊に編成される予定であり、
来年からは祥鳳型空母合計8隻を筆頭に各種改装空母群が戦力化され、
アメリカがフラついている間に来年行われる真珠湾攻略作戦で太平洋艦隊を殲滅する予定を立てていた。
1942年予定
11月:隼鷹、飛鷹
12月:大鷹型空母2隻
1943年予定
祥鳳型空母8隻
空母『大鳳』
未だ油断は大敵であったが、
おおむね予定通りに戦争計画は進んでいた。
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が、ここでフィリピンの無害化について意見が対立した。
杉山元参謀長総長率いる陸軍は予定通り3個軍を以てフィリピンへと侵攻すべきと考えていた。
いくら基地の破壊し、艦隊を撃破したとはいえ、確実に南洋航路を確保するにはフィリピンの占領が不可欠であるからだ。
対する海軍と日本を統括する嶋田繁太郎大将は、
早期にアジア艦隊が壊滅した以上封鎖に止め、太平洋へと進撃すべきであると考えた。
なぜならフィリピンは策源地として不合格な土地であり、
逆に周辺国から輸入で支えられている土地で、史実では日本の侵攻と現状を理解していない統治のため、
経済が壊滅してしまい、抗日ゲリラが蔓延る土地へとなってしまった。
現実の歴史がそうなった要因として、史実日本陸軍上層部のフィリピン人観が、
『東洋人にして東洋人にあらず、西洋人にして西洋人にあらず、最も始末の悪い民族』
とかなり偏見に満ちたもので、そのような態度で統治にあたってしまった。
加えて、長年ソ連を仮想敵国とした陸軍。
太平洋で艦隊決戦を行うことを想定した海軍と統一された戦略はもとより、
そもそも東南アジアへの軍事的侵攻計画自体、両者ともに開戦1、2年前に急きょ作成された代物で、
占領後の統治については当然のことながら調査不足により統一されたマニュアルはなく、
各司令官の人的素質によって左右されるものであったので、例外を除き日本の占領統治は極めて下手であったと言わざるを得ない。
(参考:歴史群像太平洋戦史
シリーズ60『本土決戦』などより)
閑話休題
だが、デメリットとして常に有力な艦隊を一定数派遣しなければいけない上に、
衝号が発動されることがなかったため、フィリピンを完全に無視するわけにはいかない。
また、例え偶然の産物で太平洋艦隊が真珠湾で逼塞状態でも、
アメリカの工業力を考慮するとサルベージした上で直ぐに復旧し、やってくるだろう太平洋艦隊のこともあるため、
さらには大陸で青島、奉天が戦わずに降伏して余裕が出たこともあり、夢幻会は戦前に予定された通りにフィリピンへの攻勢が決定された。
1942年、10月1日。
フィリピンへの侵攻、『魁一号作戦』が発動された。
この時動員された日本側の兵力は
第1艦隊
第3艦隊
第12航空艦隊
遣南艦隊
3個軍、約6~8個師団
であり、遣南艦隊は大陸の沿岸沿いの拠点が全て陥落したため、
急きょ派遣された遣支艦隊の名を変えたものである。
対するマッカーサー率いる在比米戦力は(参考ウィキ、フィリピンの戦い1942-1942より)
現地の植民地人を戦力化させたいわゆるフィリピン・スカウトを主力としており、
フィリピン師団
フィリピン第11歩兵師団
第21歩兵師団
第31歩兵師団
第41歩兵師団
第51歩兵師団
第61歩兵師団
第71歩兵師団
第81歩兵師団
第91歩兵師団
第101歩兵師団
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の合計11個師団、
さらには独立した重砲や騎兵連隊、戦車大隊を合わせると兵力は15万を数えたが、
現実世界ではあくまでも書面上で戦力化されていただけで、史実では編成途中のものが多く。
さらには武器の支給も途中で日本の侵攻を受けてしまい、それはこの世界でも似たようなものであった。
この憂鬱世界でもマッカーサーは幾度も戦力の増強を本国に訴えたが、
本国のチャイナ重視路線と既にアジア艦隊が駐留していたので陸軍の強化は史実同様遅れており。
日本侵攻時にはなんとかルソン島の北部、中部、南部に分れて防備を固めて配置についたが、
元々植民地軍にすぎないこともあり、たちまち日本軍によって蹴散らされた。
植民地軍にありながらも第26騎兵連隊に戦車第192、194大隊は果敢に突撃したが、
遠距離から日本の戦車に一方的に撃破されるという悲劇が満州同様再度発生しただけに終わった。
史実のような貧乏ゆえに生まれた銀輪車部隊ではなく、
機械化された軍団の破壊力はマッカーサーの予想を大きく超えており。
やむおえずバターン半島、コレヒドール島で持久する方針を打ち出し本国の救援を待つことにした。
半島と言う地形特性と地元の特性を生かして米フィリピン軍は勇戦し、
少なからず日本軍は犠牲を払ったが制空権、制海権は既に日本の手にあり火力差で徐々に追いつめれていった。
コレヒドール要塞に立てこもったマッカーサーは大統領命令により脱出を準備したが、
それより前に野中五郎少佐率いる爆撃機『連山改』から投下された100式地中貫通弾32発の攻撃を受け要塞は大破。
(参考本編30話)
マッカーサーはこの攻撃で死亡すると共に、
時間を置いて第2撃として同じくマニラ湾を防衛するフォート・トラム要塞も地中貫通弾の攻撃を受ける。
元はただの小島だったのを1909年から9年の時間をかけて14インチ連装砲塔2基を背負い式に備え、
外観もコンクリートと鋼鉄で出来た本当の意味での軍艦島として存在したそれも、あえなく大爆発を起こして沈黙。
(フォート・トラム参考、学研太平洋戦史シリーズ28『日VS米徹底分析陸海軍基地』)
主要な沿岸砲台でもあったそれらが沈黙したのを見計らって、
夜間マニラ湾へ第1、第3、南遣艦隊の戦艦群が突入し、それでもなお粘るバターン半島の敵に対して艦砲射撃を実施。
合わせて陸軍の重砲も火を噴き、砲撃を加えた結果。
翌朝には生存者よりも死者の方が多いという惨場で在比米軍は降伏。
上陸から35日でフィリピンの戦いは日本の勝利で終わった。
夢幻会はフィリピン攻略成功に安堵すると共に、
新たな市場が生まれたことに歓喜する企業とは逆にフィリピンの民生について頭を悩ませた。
そして、史実の『バターン死の行進』を知っていた夢幻会は捕虜のための膨大な物資を用意したが、
バターン半島への艦砲射撃、要塞ごと爆破。
といった極端までもの火力のせいで短時間で万単位の死者を出したせいで、
思いのほか捕虜が出ず、それらの物資は次の攻勢のために保管され気まずい思いを一同は共有した。
対するアメリカは、アジアにおけるアメリカの拠点は全て失い。
小癪なジャップをメキシコと同様にしてやると鼻息の荒かったアメリカ市民は騒然となる。
大統領支持率も開戦時9割であったそれも大陸の拠点が排除された事と合わせて一挙に3割近くも下落。
軍部もアジア艦隊が壊滅した以上、
フィリピンは見捨てる方針であったとはいえ、
最低でも半年は持つと観測していたがまさかの1か月程で陥落。
また真珠湾の逼塞と日々強まる日本の通商破壊により、
騒ぐ市民の不安をなだめるべく西海岸の防衛にリソースを消費してしまう。
またこうした状況が、ロング大統領の焦りを生み。
ニミッツが提案した大西洋艦隊によるカナリア諸島の攻略、
ハワイへの戦線後退、戦力が回復したしかる後に反抗といった堅実な案ではなく、
より投機的な作戦にでる遠因となったと言われている。
最終更新:2014年03月23日 13:48