940 :第三帝国:2013/09/26(木) 00:15:24

第1章「大陸戦線」

海軍が戦史における偉業を成し遂げる一方で、
陸軍は大陸における米中連合軍を早期に撃破すべく上海で攻勢に出た。
この時展開していた陸軍は、

山下奉文中将
第25軍:第5師団
     第18師団
     近衛第2師団

塚田 攻中将(ウィキより推測)
第11軍:第3師団
     第6師団
     第34師団
     第2戦車師団

の合計7個師団、
夢幻会派の東条英機大将が率いる上海攻略部隊は杭州湾からを上陸し、
上海に展開したスティルウェル中将率いる4個師団

第25師団
第23師団、
第1海兵師団
中華民国軍第12師団

を包囲すべく進撃を開始した。
対する米中連合軍は持久戦のために上海放棄を決定。
南京まで撤退を図るがそれよりも先に上海ごと日本軍に包囲されてしまう。

連合軍は包囲網の突破を図ったが自動車化された米正規軍と違い、
中華民国第12師団は馬匹牽引の徒歩型師団しかも士気が低い2線級師団で、
その攻撃力と継戦能力に欠けており、日本の包囲網を破るどころか逆に弱点として攻められる始末であった。

米軍は頼りない味方を罵りながらも海兵隊のM2、M3中戦車を前面に押し立てて突破を図ったが、
戦車からは最大装甲100mm、主砲はマズルブレーキ付きの65口径76.2mm砲の97式中戦車改の歓迎に、
歩兵からは和風バズーカの九五式対戦車噴進弾二型の待ち伏せ攻撃の前に攻勢がとん挫してしまう。

この当時未だ歩兵への支援をドクトリンとし、
最大装甲28.5mm、主砲は16口径75mmでしかないM2中戦車が、
最悪満州平原でソ連のJSシリーズとの交戦を想定した97式中戦車に叶うはずがなかった。

その後連合軍は上海へと逃げ帰るように撤退を図ったが、
中華民国第12師団が弱点と知った日本軍は第2戦車師団による戦線突破、包囲を図る。
これは士気が崩壊し、まともな対戦車火器が存在していなかったこともあり成功。
逃げまとう中国敗残兵を追いぬく形で、連合軍が上海に逃げる前に包囲を完了。

941 :第三帝国:2013/09/26(木) 00:16:03
中華民国第12師団はこの時点で完全に軍隊としての体をなしておらず、地図から消滅する。
包囲された残る米3個師団は日本軍による追撃と撤退の過程で重装備の大半を失ってしまったが、
彼らはタコツボを掘り、軍人としての義務を果たそうと努力した。

特に第1海兵師団の師団長であったヴァンデグリフト少将は自ら小銃を手にして陣頭指揮にあたり、
上海郊外のクリークを巧みに利用した防衛戦と海兵隊の旺盛な士気と合わさって日本軍を手古摺らせた。

この時の米軍は後の日本側の証言において米軍侮りがたし、
と口を揃えて言う程の勇戦ぶりを見せたが、既に制空権、制海権は日本側であり。

空からは山本五十六率いる空母5隻の遣支艦隊、さらに陸軍第3飛行集団の空爆。
海からは戦艦『山城』『扶桑』の艦砲射撃と抵抗するのも馬鹿らしい程の火力の前には叶わず。

結局日本軍が上陸して10日程度でスティルウェル中将以下米軍は降伏した。
が、彼らの奮闘ぶりは夢幻会の油断大敵方針と合わさってに盛んに宣伝され、今日もなお語り継がれ、

軍人として賞賛される一方で、
中華民国第12師団の敗残兵が便衣兵となり上海の米国租界で虐殺をおこなったことは、
米軍の奮闘と比較され最悪の事件として人々の記憶に残された。


一方、上海で日本軍が上陸したと同時に満州でも戦火の火の手があがった。
開戦初日に行われた日本軍のあまりにも隔絶した攻撃力に危機感を覚えた米中連合軍は、
連帯して日本軍の拠点である旅順を目指して進撃を開始。

この時の兵力は

中華民国:12個師団
アメリカ:第1騎兵師団

の合計13個師団であり、対する日本側は

第4軍
第5軍
第6軍
関東軍

の、
6個歩兵師団
2個戦車師団
1個混成旅団

合計8個師団、1個旅団が展開していた。
数の上では圧倒的に連合軍の方が上で、しかもこの時の中華民国軍は、
1線級の精鋭部隊であり内2、3個師団は米国の支援で自動車化されていた。

942 :第三帝国:2013/09/26(木) 00:16:40

普通ならば日本側は防衛を優先すべきだが、
戦車師団はアメリカの1個師団のみ、中華民国は2、3個師団こそ自動車化されていたが、
残りは馬匹牽引型の徒歩歩兵師団であり、なんとか参加している全師団の機械化が間に合った日本と比較すれば、
火力と機動力の点で連合軍は劣っており、制空権が既にこちら側にある以上負けることはないと日本側は考え、現にそうなった。

後世『遼陽会戦』と呼ばれた戦いは、
遼陽を三方向から攻め込むように陣を引いていた日本軍に対して、
熱狂的に進撃する第1騎兵師団とそれを支援する2個自動車化歩兵師団による連合軍の攻撃から始まった。

が、日本側は残り僅かな連合軍の戦闘機を蹴散らすと、
嬉々として各種航空機が地上を進撃する連合軍に襲いかかった。
大口径機関砲に対地ミサイルによる嵐のような襲撃はまるで史実の西部戦線におけるヤーボを沸騰させた。

加えて前進した第1騎兵師団は平野部で真正面から日本の第5戦車師団が保有する、
最大装甲100ミリ、65口径76.2mm砲装備の97式中戦車改と交戦してしまい、
史実のチュジニアでティーガーと遭遇したのと同じ結果がもたらされた。

本来ならば頭数を生かして第2派、第3派と連続して攻勢を仕掛けるはずだったが、
短時間で第1派が壊滅したためパットン少将はこの時点で撤退の殿となることを決断。
兵力を温存して次の機会を待つことに決めたが、カートゥーン風に派手なノーズアートを施した双発の襲撃機によって、
彼が乗っていた指揮車ごと吹き飛ばされ、この世界ではついに英雄となることなくこの世から消えてしまった。

パットン少将の戦死は組織的な撤退が失敗に終わると共に、
事態を把握した張景恵大将は第2派の攻撃を中止すると共に全面撤退を命令したが、
指揮官死亡で混乱する上、浮足立った所を日本軍は即座に全面攻勢に転じ連合軍は潰走してしまう。

この当時、間違いなく世界最高レベルに機械化された日本軍は無敵で。
張景恵大将決して無能ではなかったが受けた教育が前の戦争を参考、延長上の第一次世界大戦型の戦争でしかない。

最先端のドクトリンを体現した日本軍に対抗するのは荷が重く、
対抗できるのは似たようなドクトリンとハードを有するドイツかソ連ぐらいであろう。

かくして、機械化された日本軍の追撃によって、
足の遅い歩兵師団が狩られる形で連合軍13個師団は消耗してしまう。
3週間後には日本軍は遼寧を陥落させてしまいここに満州における連合軍は排除された。

この結果に日本では上海と続く戦勝で全国で万歳三唱が唱えられ、
気の速いものは妄言、妄想としか言いようもない戯言を垂れ流し、夢幻会の胃を痛めた。

そして、一方のアメリカ。
より詳しく言うとこの間にアメリカ太平洋艦隊は何をしていたかといえば、真珠湾で逼塞状態であった。

946 :第三帝国:2013/09/26(木) 00:40:38

さて、今回は本編で明確に明言していない点を突いたり、改変やらで色々やらかしています。
まずは上海戦ですが、本編では1カ月ほど時間が掛っております(本編27話)
これは時間が最大の敵である日本にとってよろしくないので、上海に逃げ込む前に包囲殲滅させていただきました。

次に遼寧戦ではどうせ本編では何時まで経っても行方不明なんだし、
と撤退の殿を務めたパットンを抹殺させて組織的な撤退を失敗させてしまい、
混乱した所で一気に追撃したことで本編よりもやや早く遼寧が陥落したとさせました。

あと、本編では中華民国側は12個師団を集めた、
と明記しているだけだったのと、パットンの進撃に歩兵師団が追い付くのか疑問だったので第一波のは自動車化師団としました。

さらには詳しい編成が明記されてない事をいいことに
『なんとか参加している全師団の機械化が間に合った日本』
と『日本の国力で6個歩兵師団、1個混成旅団の機械化www』と突っこみどころ満載です。

と、まあこのような感じ突っこみどころ満載な代物ですが今後ともよろしくお願いします。
そして、次回をお楽しみしてください

では


次話:第2章~「アメリカの誤算」目次

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最終更新:2014年03月23日 13:46