488 :フォレストン:2013/10/07(月) 06:23:54
朱に交われば赤くなる(Bad company ruins good morals.)
東京は千代田区一番町、皇居の半蔵門近くの内堀通り沿いにシンメトリー・ルネサンス様式の建物が存在する。言わずと知れた駐日英国大使館である。
史実では太平洋戦争の勃発と共に、日英の国交が断絶されたために閉鎖されたが、この世界では閉鎖されることなく活動を続けていたのである。
当時の駐日英国大使館の陣容は以下のとおりである。
駐日大使
ロバート・レスリー・クレイギー卿(Sir Robert Leslie Craigie)
商務参事官
ジョージ・ベイリー・サンソム卿(Sir George Bailey Sansom)
駐在陸軍武官
フランシス・スチュワート・ギルデロイ・ピゴット大佐(Francis Stewart Gilderoy Piggott)
史実では戦前最後の駐日大使であったクレイギー卿は、当時の英国宰相ネヴィル・チェンバレンの意向を受けて派遣されたこともあり、元々日本寄りの立場を取っていた。それゆえに日本が
アメリカに宣戦布告した際には、解任も取り沙汰されたのだが、巨大津波による国際事情の激変により、留任していた。
商務参事官のサンソム卿は、親日派で日本の文化の研究も行っていた。
史実と同様に日本文化の研究を行っていたが、この世界ではサブカルチャーの研究・考察も行っていた。
駐在陸軍武官のピゴット大佐は、幼少期を日本で過ごしたためか、非常に親日的であり、クレイギー卿とも旧知の仲であった。
駐日英国大使館は、上記3名とその家族、随行してきた若手官僚と現地の日本人職員で構成されていたのである。
489 :フォレストン:2013/10/07(月) 06:25:20
(ふむ、やはり書籍だけでは研究が進まないな。やはりフィールドワークが必要だな…)
駐日大使館の一室で文献を漁っていた商務参事官のジョージ・ベイリー・サンソム卿はため息をついた。
商務参事官であり、日本文化の研究者でもあるサンソムであるが、日本文化の研究は芳しくなかった。
直接敵対したわけではないとはいえ、土壇場での裏切りの記憶は未だ鮮明であり、英国人である彼は戦前みたいに気軽に現地調査が出来なかったのである。
年始に開かれたサンタモニカ会談によって、ひとまず戦争は終結したものの、国民の意識がそう簡単に切り替わるはずもなく、日本に駐在している彼ら英国人は肩身の狭い思いをしていたのだった。
(外見や肌の色で彼らは差別はしない。しかし私が英国人だと知ると途端に本音を隠してしまう。もっと大勢の日本人が本音を、生の感情を出している場所に触れることが出来れば、私の研究も捗るのだが…)
どうしたものかと悩むサンソムであったが、そのとき扉越しに日本人職員の会話が聞こえてきた。
『今度のコミケだけど、どうする?』
『行くに決まってるだろう!欲しい新刊があるんだ。徹夜してでも…!』
『いや、徹夜はまずいだろ。このあいだはそれやって、とっ捕まったやつがいたし』
サンソムは日本人職員を呼び止めると『コミケ』なるものの詳細を問いただした。
自分達の上司である存在の唐突な質問に恐縮しながらも、疑問点に答えてくれたのだが、要約すると以下のようになった。
- とにかく人が多い。(人が多いに越したことは無いな)
- コミケは戦争だ!(戦争というからには、日本人の生の感情を見れるかもしれない)
- 新刊ゲットだぜ!(新刊?ブックマーケットなのか?)
話を聞いてみると、とにかく人が多い、熱狂的なイベントであるらしい。
フィールドワークの題材としては、まさにうってつけであった。
490 :フォレストン:2013/10/07(月) 06:26:25
戦前から続いている憂鬱日本のコミケであるが、会場は東京都中央区にある晴海であった。
史実同様に大規模イベント用に広大な土地が整備されていたが、この当時はまだ出来たばかりで、空き地が大量にあったため、急速に規模を拡大しているコミケの開催に都合が良かったのである。
普段は寂れていると言ってもいい、この区画もコミケ当日になると長蛇の列が出来る。その先頭に、ネクタイにベストとスラックスで身を固めた長身痩躯な英国紳士と、その従者が2名。良くも悪くも目立ちまくりであるが、言うまでもなくサンソム卿と、巻き込まれた日本人職員である。
コミケ参加を決意した後のサンソムの行動は迅速であった。その日のうちに各方面への根回しと通達を終了させ、会場近くのホテルに陣取り、当日の早朝に公用車でコミケ会場へ向かったのである。
史実よりは改善されたとはいえ、公共交通機関に乏しいのは変わらなかったため、徹夜組を除けば真っ先に並ぶことは不可能では無かった。今回は徹夜組が1人もいなかったために幸運にも先頭を取ることが出来たのである。
(なんでこんなことに…)
巻き込まれた日本人職員らは頭を抱えたが、もはやどうにもならなかったのである。
491 :フォレストン:2013/10/07(月) 06:27:50
午前10時。
開場のアナウンスと共に拍手が巻き起こる。
そして始まる戦争----!
(なんだこの勢いは!?この熱気は!?)
サンソム卿は混乱していた。
開場と同時に殺到した一般参加者の波に流されたのである。
その凄まじさに彼は圧倒されていた。同時に理解もした。
この力こそ、今の日本の原動力であると。
(だが、私も英国紳士なのだ。この程度で屈するわけにはいかん!)
もみくちゃにされながらも、必死になって学術的資料(同人誌)を買い漁る英国紳士であった。
お昼近くになると、開場直後の熱気も多少は落ち着き、周りを見る余裕も出てきた。
はぐれてしまった、日本人職員とも合流に成功し、とにかくどこか落ち着ける場所で一休みするべく、会場内を彷徨っていたサンソム達であったが、突如囲まれてカメラを向けられたのである。
「あのコスプレ、レベル高いな!」
「ウ○ルターだよ!そっくりすぎる!」
「なんという執事っぷり!」
なんと彷徨っているうちに、コスプレエリアへ迷い込んでしまったのである。
最初は訳が分からず混乱していたのであるが、同伴していた日本人職員がヘ○シングの同人本を見せてくれた。
自分の格好を省みると、長身痩躯に銀髪、メガネ。そしてネクタイとベストにスラックス。どこからどうみても手にした本に載っている、某執事の姿である。
史実のコスプレもそうであるが、基本的に主人公やヒロインのコスプレを演じる者は多くても、脇役を演じる人間はあまり多くない。それも老齢のキャラとなればなおさらである。
細部を見れば、あまり似ていないのであるが、長身痩躯に銀髪という体型的特長がそのままコスプレとなっていたのである。
「目線ください!」
「ポーズ取ってください!」
ぎこちない様子ながらも、ポーズを取ると歓声と共にシャッター音があがる。そうしているうちに心地よく感じてきたのである。
(なんだこれは…しかし、これは…気持ちいい…!)
英国紳士がコスプレに目覚めた瞬間であった。
その後アー○ードやセ○ス役のコスプレイヤーと共にノリノリで写真撮影に興じつつ、思う存分に取材をしたサンソムであった。
492 :フォレストン:2013/10/07(月) 06:29:09
『ありがとうございましたーー!!』
午後4時。
コミケ初日が終了した。
「か、閣下…大丈夫でありますか?」
「お怪我とかされてませんか?!」
「うむ、最初は戸惑ったが、このコミケというやつは実に素晴らしかった!」
心配しまくり恐縮しまくりな、日本人職員らであるが、当のサンソム卿は上機嫌であった。
日本人の生の感情に触れることが出来たし、学術的資料(同人誌)も大量にゲット出来たので、ある意味当然とも言えたが。
その後、手に入れた資料を読み漁った結果、コスプレだけでなく、あっち方面にも完全に目覚めたサンソムは、大使館内での布教を開始した。
英国随一の日本文化研究者という権威と、国益という名目で理詰めで説得されて墜ちない人間がいるはずなく、本国から来た職員はもちろん、駐在武官やその友人である駐日大使まで籠絡したのである。
その結果、大使館内でコスプレ撮影(多くはヘ○シング系)や同人誌作成が盛んになったのであるが、このことが日本人職員を好意的にさせた。
考えて見て欲しい。史実でもそうであるが、自分達の文化(腐っているが)を積極的に理解しようとする外国人を見て微笑ましく感じない日本人はいないのである。
サンソム自身もウ○ルタールックを極めるべく、小道具を作ったり、メイクや変装に詳しい職員(じつはMI6職員)に指導を受けたりしている。
ちなみに、駐日大使のクレイギー卿は某円卓議長のコスプレを、陸軍武官のピゴット大佐は某中将のコスプレがお気に入りだった。
日米開戦時以来、どことなく余所余所しかった日本人職員達であったが、これを機に急速に打ち解けていくことになる。
その最中に起こった、とある事件が駐日英国大使館の日本における立ち位置を決定付けることとなる。
493 :フォレストン:2013/10/07(月) 06:30:34
某月某日。
とある大手新聞社系列の週刊誌にショッキングな見出しで、大使館職員のコスプレをしている写真が掲載された。望遠レンズで撮影したと思われる写真は、大使館の庭先でコスプレをしていた駐日大使とサンソム卿の姿を確かに捉えていた。
見出しには『落ちぶれた老帝国!日本に媚びる!』とあり、文章も全体的に英国を貶める内容であったが、これが大問題になった。
週刊誌側としては、ショッキングな内容ほど売れるし、落ち目な英国なら抗議もしてこないだろうという目算があった。しかし、このことは日本最大最強の権力を敵に回すことになったのである。
『コスプレは文化だというのに、腐れマスゴミめが…!』
『よろしい、ならば戦争だ!』
『ひゃっはー!マスゴミは消毒だー!』
言うまでもなく
夢幻会、その最大派閥であるMMJである。
彼らの怒りは怒髪天をつく勢いであり、それはそれは盛大な社会的制裁が加えられた。
その内容はここでは割愛するが、少なくても関係者が二度と出版関係の仕事に就けなくなったことは確かである。
この事件後、近隣住民を含め多くの日本人から、同情や励ましの電話、手紙が殺到して職員が対応に追われることになったのであるが、このことが大使館側にある決断をさせた。
大使館の一部を一般人向けに開放したのである。ノーマルな人は本場の紅茶とスコーンを味わい、ヲタな人間はセ○スやセ○バーのコスプレイヤーと写真撮影に興じる。駐日英国大使館は、忌み嫌われる存在から観光スポットへとクラスチェンジしたのであった。
同時に大使館関係者に対する感情も好転し、近隣住民から余所余所しい態度をとられることも無くなったのである。サンソム卿も戦前のように、気軽にフィールドワークが可能になり、日本文化の研究も捗ることになった。
その後、史実より早く新館が建築され、日本の技術と文化の研究のために利用されることになる。職員も増員(主に技術者と学者)され、貴重な情報を本国へ送り続けたのである。
494 :フォレストン:2013/10/07(月) 06:31:46
あとがき
今回のテーマは、大使館関係者が大手を振って日本国内を移動するための理由作りだったわけですが、結果として大使館全体がヲの字の染まってしまいました(汗
しかし、あくまでも許されたのは大使館関係者だけであって、英国ではありません。
日英関係が修復するまでには、未だ時間がかかることでしょう。
駐日大使では無いとはいえ、VIPに違いないサンソム卿が護衛も無しでコミケ会場を歩き回るのは奇異に思われるかもしれませんが、これは根回した際に、表立った警護はやめてほしいと要請したからです。警護を引き連れたらフィールドワークに支障が出ますし。代わりに特警(SP)がスタッフに扮したり、物陰からこっそり警護していました。事前に知らされた運営スタッフの心労は並大抵のものじゃなかったはずですw
ヘ○シングは、きっと転生者の同人作家が作っているから問題無いはずw
史実の海外のコスプレも凄いレベルに達していますが、考えてみれば外人キャラをコスプレするなら外人が向いているに決まってますね。キャミィのコスプレとか凄すぎです(汗
英国人がヘ○シングのコスプレしたら憂鬱日本のコスプレイヤーは逆にカルチャーショックを受けるかもしれませんね。
史実の駐日英国大使館は、1987年にオフィス用として新館を建てていますが、これを早めて日本の技術と文化の解析に充てています。きっと日本の流行のファッションを着てみたり、テレビゲームに熱中するんじゃないですかね。もちろん解析もしますが、きっと二の次でしょうw
最終更新:2013年10月11日 11:31