502 :フォレストン:2013/10/26(土) 13:36:52
英国の優秀な技術者に変人が多いのには全体的に同意します(マテ
英国では戦前より、ジェットエンジンの開発が進められていた。レシプロエンジンではいずれ性能向上の限界が来ることが分かっていたからである。
英国の技術仕官であるフランク・ホイットルは、1920年代からジェットエンジンの研究を始め、1937年にはパワージェットと呼ばれるターボジェットを完成させた。
その後、パワージェット社を設立し、遠心式ターボジェットの開発に邁進したのであるが、パワージェット社には生産能力が無かったため、軍需省は自動車メーカーのローバー社に量産化を委託した。しかし、ここから迷走が始まるのである。
確かにホイットルはターボジェットエンジンの先覚者の1人であったが、自信家で偏狭な性格が災いし先々で軋轢を生み、何かと問題を引き起こしたのである。
やたらと設計に介入してくるホイットルはローバーの技術陣と激しく対立し、開発が進まないのに業を煮やしたホイットルは、独自にロールス・ロイスの航空機エンジン部門の責任者アーネスト・ハイヴスと、同社でレシプロエンジンの機械式過給器の専門家だったスタンリー・フッカーに接触し、部品調達の約束を取り付け、ローバーとは別に独自改良版の製作に着手するなど、好き勝手に開発現場を混乱させたのである。
その後のバトル・オブ・ブリテンの実質的敗北と巨大津波による戦力回復のために、既存のレシプロ機の生産が優先された結果、ついに第2次大戦中に実用的なジェットエンジンを開発することは叶わなかったのである。
503 :フォレストン:2013/10/26(土) 13:40:06
戦後になり発足した円卓でも、当然この事態は問題視された。
眼前の欧州枢軸の脅威に強権を発動してこれに対処したのである。
まずホイットルを開発現場から外し、パワージェット社で遠心式ジェットの開発に専念させた。
さらに開発をローバー社からロールス・ロイスへ移管し、スタンリー・フッカーらのチームに開発を引き継がせたのである。
シースルーモデルで気流解析を重ね、ホイットル式遠心式ターボジェットの本質的欠陥を把握したフッカーらは、ローバー社で半完成状態にあったエンジンに技術的洗練を加え、蒸発管式燃料噴射、反転型燃焼器、外部水冷タービンに固執するなど、経験論に拘泥し反進歩主義に陥ったホイットルへの皮肉と、エンジン内の気流が「川の流れのようにスムーズ」という意味を込めて、工場の傍を流れるウェランド川の名を借り、この同社初のターボジェットにウェランド (Rolls-Royce Welland)の愛称を付した。さすがは英国紳士。皮肉の使い方を弁えている。
英国のジェットエンジン開発のもう一つの流れとして、デ・ハビランド発動機(de Havilland Engine Company)の存在があるが、こちらは円卓の主導により、ロールス・ロイスの発動機部門に吸収合併されていた。人材と技術を集約し、早期のジェットエンジン実用化を目指したためである。
諸々の原因でエンジン本体の開発が進まなかっただけで、技術的蓄積は十分過ぎるほどあったので、人材と予算が潤沢になると、今までの停滞が嘘のように一気に開発が進むことになった。
ウェランドは少数生産されただけで、1944年の6月になると、改設計されて性能が向上したダーウェント (Rolls-Royce Derwent)が実用化され、これが英国第1世代ジェット機に搭載されたのである。1944年10月には遠心式ジェットの決定版といってもよい、ニーン (Rolls-Royce Nene)が実用化された。
ちなみに、現場から外されたホイットルであるが、執念染みた努力で、自らの遠心式ターボジェットを実用の域にまで到達させたが、性能的にも技術的にも既に限界に達していた。しかし、その過程で開発された予燃式気化器、クリスマスツリー型遊合フランジによる組立式タービンディスク、筒内圧力分布の考察、動翼の捻り等、幾つかの重要な要素技術は後のエンジン開発に活かされたのである。
なお、余談であるが、ソ連との取引をする際にこのエンジンが使われたという裏話がある。
ソ連の新型重戦車の情報を入手して新型戦車開発を進めるための取引材料とされたのである。
手放しても惜しくない技術を、重戦車開発技術と交換したその手腕は、さすが腹黒紳士といったところである。
504 :フォレストン:2013/10/26(土) 13:42:38
エンジンと共に機体の開発も進められていた。エンジン選定を行ってから機体を開発するのが常であるが、早急な実用化が求められたため、そんなことは言っていられなかったのである。
主要な航空機メーカーが、新型スピットと爆撃機の開発で忙しかったため、機体開発はグロスター社とマイルズ・エアクラフトに絞られたが、実際に指名されたのは、グロスター社であった。
当時のグロスター社には第一線機がなく、下請生産中のホーカーハリケーンも終息間近であったためであるが、両社が提出した設計プランで無難なのを選んだというのが本当の理由である。
マイルズが胴体内にエンジンを内蔵したのに対し、グロスター社は主翼下に装備しており、いざというときのエンジン換装が楽に済むのが決め手となったのである。
幸いにして、ジェットエンジンの開発は成功し、ウェランド(Rolls-Royce Welland)が実用化されたため、大幅な設計変更をすることなく開発が完了したのである。
グロスター ミーティア
乗員: 1名
全長: 12.57m
全幅: 13.11m
全高: 3.96m
自重: 3700kg
運用: 6260kg
動力: ロールス・ロイス ウェランド遠心式ターボジェットエンジン×2
出力: 各770kg(1700lbf=7.55kn)
最大速度:660km/h(410mph)
航続距離: 800km(500mi)
最大運用高度: 11500m(34000ft)
武装:AN-M3 20mm機関砲 4門
エンジンと機体の並行開発という賭けに勝っただけのことはあり、1944年の2月に実戦配備が始まったものの、1944年の7月にデ・ハビランド ヴァンパイアが開発されたため、300機足らずの生産に終わった。その凡庸さ故に従来のプロペラ機からの乗員移行が容易だったため、ジェット練習機に改修されて英空軍に長く使用されることとなった。
505 :フォレストン:2013/10/26(土) 13:47:09
グロスター ミーティアが性能的に凡庸であったため、制式採用される前から次の戦闘機開発がスタートしていた。
ミーティアの件を反省してか、一転して冒険的な機体を採用することになったかどうかは定かでは無いが、デ・ハビランド社が開発した機体が採用された。
デ・ハビランド ヴァンパイア(初期生産タイプ)
全長:9.4m
全幅:11.6m
全高:2.69m
自重:3290kg
動力:ロールス・ロイス ダーウェント遠心式ターボジェットエンジン
最大速度:800km/h
航続距離:1610km
武装:AN-M3 20mm機関砲 4門
爆弾225kg×2 または 爆弾454kg×2 または ロケット弾×8
デ・ハビランド ヴァンパイア(後期生産タイプ)
全長:9.4m
全幅:11.6m
全高:2.69m
自重:3450kg
動力:ロールス・ロイス ニーン遠心式ターボジェットエンジン
最大速度:910km/h
航続距離:1900km (増槽付2200km)
武装:AN-M3 20mm機関砲 4門
爆弾225kg×2 または 爆弾454kg×2 または ロケット弾×8
初期生産型のヴァンパイアは、それなりの性能を示したが、余剰推力の少なさによるコントロールの難しさや、燃料搭載量が少なく航続距離が短すぎる点が指摘されたため、燃料タンクを増量し、エンジンをダーウェントからニーンに換装したタイプが1944年の11月から後期生産型として生産された。
デ・ハビランド シー・ヴァンパイア
全長:9.4m
全幅:11.6m
全高:2.69m
自重:3550kg
動力:ロールス・ロイス ニーン遠心式ターボジェットエンジン
最大速度:890km/h
航続距離:1800km (増槽付2400km)
武装:AN-M3 20mm機関砲 4門
航空魚雷×1 または ロケット弾×8
軽量小型な機体に、大出力なニーンエンジンは相性がよく、(初期ジェットにしては)優れた機動性を発揮した。以前から海軍もニーン搭載型のヴァンパイアには興味を示しており、まだ設計段階であるのにも関わらず、海軍仕様の機体を発注していたのである。
後期生産型は、陸上機と艦載機の2つのタイプを並行して設計するという事態になったが、初期型ジェット機故にエンジン本体や補機類の取り回しも楽であり、元々機体強度も高めに設計されていたため、機体の補強は最小限で済み、着艦装備を含めてもわずかな重量増で収まった。
空母での運用に際しては、燃料と武装に制限がつき、これが運用の制約となったが、後にスキージャンプ台を使用することで、負荷を軽減させることに成功している。
かくしてこの時代の英国のジェット機は、ヴァンパイアで占められることとなる。
第1世代ジェット機としては、完成の域に達しているヴァンパイアはレシプロ機をあっという間に駆逐していくことになるのである。さすがに一度に全廃することは出来なかったが、機種転換が急速に進められていくこととなる。
これには政治的な理由もあり、ドイツがジェット艦戦を開発中であるという情報と、1945年に開催される英日合同観艦式にお披露目するという目的があった。
このため、1944年末には海軍ではヴァンパイアを運用する空母部隊が編成されたのである。
強引なまでに急いだため、部隊錬度に懸念が出たが、そこは元スピット乗りのベテランや軍学校の教官を掻き集めることで対処したのである。
こうして空軍はもちろん、海軍も実用的なジェット艦載機を手に入れることが出来たのである。
しかし、それも束の間の1945年にインド洋で開催された英日合同観艦式で悪夢も見ることになる。
後世に疾風ショックとして伝えられるその事件は、英国のみならず、欧州枢軸の軍関係者のSAN値を大幅に削ることとなるのである。
それでもヴァンパイアはジェット黎明期の機体としてはかなりの成功作であり、各形式合わせて約1500機以上が生産され海軍と空軍に導入された。英連邦の中でもオーストラリアとカナダでライセンス生産され、それぞれ独自の改良を施していったのである。
ヴァンパイアといえば、蝙蝠。蝙蝠といえばどっちつかずのイメージである。
英国の過去の所業に相応しい名前というのは言い過ぎであろうか。
506 :フォレストン:2013/10/26(土) 13:50:22
あとがき
というわけで、憂鬱英国の第1世代ジェット機について書いてみました。
史実ではとっくに実用化されている年代なのですが、憂鬱世界だとバトル・オブ・ブリテンに負け、巨大津波の被害も受けて泣きっ面に蜂状態で、さらに新型スピットに開発リソースを奪われるとか、ドMにも程がある状態だったりするわけで、今回はかなり無茶をしています。
まぁ、円卓による資材と人材の集中でなんとかしたということで。それに政治的な理由(英日合同観艦式)もあるのでやらないわけにはいかないでしょうし。
英国のジェットエンジン黎明期には、ロールス・ロイスとデ・ハビランドの2つの系統があるのですが、この世界ではロールス・ロイスに1本化しました。これで技術融合が進んで早期開発につながる…はず。決して史実コメートの悲劇を回避しようとしたとか、そんなんじゃないので念のため。
エンジン開発のスピードが速過ぎないかという意見もあるでしょうが、実際ダーウェントからニーンに至るまで5ヶ月しかかかっていないので全然OKですw
まぁ遠心式ジェットに力を注いだ分、英国の軸流式ジェットの開発は遅延するでしょうけど(汗
対抗馬となるドイツのMe262の艦載機バージョンの性能がどのくらいになるかは分かりませんが、素のままだと離陸すら覚束ないので、エンジンの推力強化は確実にしてると思います。というか、あちらは最初から軸流式積んでるはずなので、推力強化はしやすいはずですし。
あとはカタパルトかなぁ?こちらのシー・ヴァンパイアも着艦はともかく、離陸となるとかなりの制限が出てしまうので、スキージャンプでごまかしています。
第2世代以降のジェット機を艦上運用するとなると、蒸気カタパルトは必須となるのですが、
アメリカ亡きこの世界だと日本以外には無理かも…と思ったら、史実フランスのクレマンソーの蒸気カタパルトは英国製なのでなんとかなりそうですε-(´∀`*)ホッ
ドイツは場合は無理やり火薬式カタパルトで撃ちだすんでしょうかねぇ?
それとも、史実アメリカで実用されたフライホール式とか採用してみたりしたら面白いかもw
でもそうなると…
『フライホイール定常回転数到達』
『クラッチ接続。発艦っ!』
…なんて素敵なやりとりが出来るわけで、是非ともやってほしいものです(オイ
肝心の英日合同観艦式ですが、自分達がシー・ヴァンパイアをお披露目するつもりだったのに、逆に疾風を披露されて、涙目状態になりそうです。きっとあれですね、改訂前の戦後編にあったスピットが疾風になすすべもなく捻られる、あの光景が再現されることかと…(泣
最終更新:2013年11月04日 15:43