548 :ルルブ:2013/11/24(日) 07:19:41
提督たちの憂鬱支援SS ~日出るところの自動車帝国~



自動車と言う言葉を知らない人間は1940年代以降の史実にも憂鬱世界にも存在はしないと私は思う。
そう、人類が『足』の延長線上に作り上げていく道具として最も成功し、手ごろな存在になったものだ。

私の前世とでもいうべき妙な感覚、いや、記憶が目を覚めたのは、1930年代の満州と呼ばれた中国東北地方の視察時だった。
父は名古屋帝国大学工学部卒業の南満州鉄道の高級役員で母は戦国時代に生まれ、江戸時代、明治、大正を生き抜いてきた生え抜きの華族の三女。
この両親に連れられ、東条という陸軍の将校が一緒だった。もしもあの記憶が本当なら15年後に敗戦する大日本帝国の首相の一人。

そう言った環境の中、私が最初に感じた違和感は分からなかった。

とにかく思い出すのは貧しかった、と言う事だけ。
ぼろぼろの廃墟の中で汗水流しながら建設工事に従事していた自分。
漸く遅い結婚をするかと言う時に、その相手が別の官僚出身の高収入な男性と逃げた自分の情けない過去。
バブル景気と呼ばれた外車、高級車に乗る小中学校の同級生。それを横でしか見れない、いや直視できない自分。
毎日油まみれ。毎日深夜まで新車、新機軸、新システムの勉強。自動車整備工場の下請けの期間工員。
更には時給800円台のアルバイトとしてのガソリンスタンドの行員業務。その傍らに停車される一台1000万円はする高級車両。

あの時悟った。

『学問こそ全て。例えどれ程の才能があっても学問が無い人間は、学問がある人間に見下される』と。

まあ、その話はひとまず横に避けておこう。
自動車の発明、発展が人類社会に大きく寄与した事は間違いなく、それは戦争にも当てはまる。
いや、戦争が自動車をより進化させたのかも知れない。進歩では無く進化させたのだ。
こうして彼は遅まきながらに気が付いた。

『ここがどうなろうと関係ない。世界が小さくなろうと関係ない。自動車はこれから恐竜になる』

そうして、彼はあの手この手で自動車業界に参入する。

『ビッグ3? 劣等種族? それがどうした!! 日本舐めんな!!』

549 :ルルブ:2013/11/24(日) 07:20:15
ここから先はある外国人が日記帳である。

1942年X月XX日

1930年代から1940年代の世界自動車産業と言えば、言葉にするのも忌まわしいあの『アメリカ合衆国』だった。
これに続いたのが欧州の覇王にして枢軸の盟主、我がドイツ・・・・・突然変異の日本、それに斜陽の帝国イギリスだろうか?
あとの国々だが、確かに独自生産はしていてもそれが世界に大きな影響を及ぼすとは到底思えない。

1942年12月24日
信じられん。なんだ、この高性能な自動車は!?
まるで戦闘機のコクピットの様なメーター配置に、全てのメーターに小型の蛍光灯を入れる事で夜間走行の安全性を図っているだと!?
しかもマニュアル操作ではなく、もう一台は完全オートマチック車とは・・・・・日本人め、やはりあなどれん。

1943年1月31日
日本でモーターショーなるものを開催する様だ。この間、国家元首の個人用車として送られてきた車は素晴らしいとしか言いようがない。
確かにやつらは黄色人種だが恐るべき突然変異を遂げた人間どもだ。警戒せぬばならぬ。情報部や各自動車会社に命じて日本の自動車技術を盗むように厳命した以上・・・・まあ、それなりに成果は上がるだろう。

1943年2月20日
私は今日ほど目の前のドイツ技術陣を罵倒した事は無かった。
あの予算だけを寄越せと叫ぶ無能らは、日本人が平均的に達しつつあるステレオタイプのラジオやオートマチック採用式の自動車の量産は我がドイツ第三帝国の国情を鑑み、現時点では極めて困難であると言い切った。
帝国の拡大政策と対ソビエトや新領土慰撫の為に予算を割く、それはまあ仕方ない。
だが、あの似非技術者らは日本車への対抗が極めて困難なのは予算では無く、技術であると言う事を臆面も無く堂々と言い放ったのだ。これは許せん!
だから、余は厳命した!!
何としても富嶽や疾風、それに新幹線計画やモーターショーとやらに大量に出てきた日本車を駆逐するべく行動するのだ!!、と。



これは半世紀ほど前のある国家元首が残した日記である。
これにより日独対立に自動車と言う側面が出てきた。
枢軸の初代盟主に何故あれ程高性能な自動車を贈答したのかは推測の域を出ないが、或いは強力な敵を作る事で国内の引き締めを図ったのだろうか?
もう故人となった自動車業界の皇帝と呼ばれた男は、トヨタ、ニッサン、ミツビシ、クラサキ、マツダ、スバル、スズキという7つの巨大複合自動車産業を作った。
これらはそれぞれが傘下に収めるダイハツ、カルフォルニア・フォード、JGM、いすゞ、日野、日本クライスラー、台湾・現代らなどを総称し、日本自動車界の7本槍と畏怖される。
この経済規模は巨大の一言であり、史実では整地された国土優先の自動車がオフロード車になったり、欧州陣営への対抗馬や英援助などを目的としたディーゼル車の普及、南洋諸島使用の完全電気自動車、大陸パトロール用のHV車、実戦の洗練を受けた軍用車両、災害救助用、要介護車両など多数の車両が憂鬱世界を駆け巡る。
それは欧州枢軸の勢力圏内部にも入り込み、多くの有色人種は希望と期待と未来をこめて、多くの白人は脅威を感じながら、20世紀後半に見られる多くの都市部をこう述べた。

『日章旗、はためく』


名もなき男。
ただ、皇帝と怖れられた、夢幻会にても最も自動車に詳しかった現場の男は確かに築き上げたのだ。

彼にとっての帝国、自動車帝国『日本』を。

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最終更新:2014年01月07日 20:52