600 :石人:2014/01/06(月) 00:20:50
当たり前の話であるが、歴史が変わることで本来ならありえなかったことが実現しているというのはよくある。
憂鬱世界における1944年1月10日、世界がどうなったか知っていれば納得できるであろう。
世界屈指の超大国がたった数年で呆気なく滅んだかと思えば開国して100年も経っていない国が世界最強になる。
そんな冗談としか思えない事態が実際に起きていた。
さて、国家ですらそうなのだ。本来は現存する人・物が消滅しその逆もまた然り。
史実では世界一周を達成し伝説を築くも戦争の長期化により解体され資材として使われたある飛行船もまた、
極東の秘密結社が歴史に抗うべく暗躍するこの世界でその数奇な運命も大きく変化していた。
1932年某日 ドイツ フリードリヒスハーフェン ツェッペリン飛行船製造有限会社(以後ツェッペリン社)
物々しい警備が会社の外に置かれる中、2人の人物と他数名の関係者が応接にて対面をしている。
「はじめまして。私は三菱元社長の岩崎久弥と申します」
「こちらこそはじめまして。ツェッペリン社代表取締役のフーゴー・エッケナーです。ようこそドイツへ、そしてわが社へ」
従兄弟の岩崎小弥太に社長の座を譲った久弥は、それ以来国内はもとより国外にもその足を運び商談をするようになっていた。
今回ドイツに訪問したのもその一環であり、目的は後で語る。
公然とナチス批判を行い党の活動協力に抵抗してきたドイツ屈指の著名人と、現在進行形でこの国の富を片っ端から毟り取り、
一部の不心得者が女性を買いあさる行為まで起こり反日感情が高まっている中訪れた、日本有数の財閥重鎮の会合。
ナチスの過激派が嬉々として殴り込みをかけ宣伝の天才が得意のプロパガンダで編集・演出しかねない顔ぶれであり、その対策としての
警備と護衛であった。
ダミー会社や協力的な現地企業を使う手段もあったが、三菱が今回の会談を熱望したこと、相手が欧州屈指の会社であることを考慮してこうなっていた。
ここで少しこの時代における飛行船の情勢について説明させてもらう。
601 :石人:2014/01/06(月) 00:21:25
1937年5月6日、ヒンデンブルク号が爆沈するまでドイツの民間飛行船産業はかなりの人気を誇っている。
狂騒または黄金の20年代と呼ばれた1920年代、飛行機は急速に発達していくが未だに飛行船より危険な乗り物であった(本編3話、嶋田の発言)。
それ故に非軍事用に飛行船を保有する国家もまだあり、軍事用としては言うまでもない。
そしてその利点を生かして民間では富裕層の旅客と郵便配達の2点を主な収入源として空の安全と魅力を提供していた(※1)。
大恐慌があってもなおその人気が衰えていなかったのもそれを証明している。
だが、憂鬱世界ではその状況も大きく変化していた。
夢幻会の介入で一層激しさを増した世界恐慌はより多くの富裕層を天空へ逝かせた。
唯でさえ第一次大戦で日本からも数多く毟られていたドイツは、どこも財政難に陥っていたのである。
当然、飛行船産業もその影響で大幅な減収となりその損失を埋めるべく運航回数を増やしていた(運賃値上げは論外)。
ところが飛行船は環境に左右されやすい。危険を承知で運航すれば事故と故障に繋がる。
それが余計な出費と悪評を生み信頼を落とす。そんな悪循環が続いていた。
それに追い打ちをかけるように、更に発展した飛行機が台頭してきて次第に競合しつつある。
1930年代、軍民両方で飛行機は飛行船に取って代わるようになってきたのだ(※2)。
かつてその名を知られたツェッペリン硬式飛行船もその例に漏れず、非情な言い方をすれば名声だけで何とか食っているような状況であった。
史実1933年、ナチスが政権をとるとツェッペリン社はすぐに内部を掌握され1935年国営化される。その後社内でも親ナチ・反ナチで意見が割れるのだが
憂鬱世界では既にナチスに迎合してでも私益を確保。会社の生存を優先し危険を承知で運航を強行する一派と安全を優先しあくまで反ナチを貫く一派で
社内分裂が始まっていた。
そこに付けこんだナチスが乗っ取りを仕掛けていたこともあり、もはや瀕死状態でもあった。
会社と飛行船は党の宣伝材料として狙われ続けていたのだ。
話を戻す。
「それで、こんな落ち目の会社に何の御用ですかな?願わくば双方に満足な結果で終わりたいものですが」
それに対し久弥はまっすぐに答える。
「お話が早くて助かります。……我が社に、貴社の飛行船技術を売って頂きたいのです」
「それはつまり支社、いや合弁会社の設立依頼ですかな?」
「はい」
「……失礼ながら、日本はそれほど飛行船に熱心ではなかったと記憶しておりますが……」
「ええ、その通りです」
エッケナーの質問にあっさりと久弥は答える。
また話がそれるが、気球や飛行船の技術的限界を知る夢幻会はあまりそれらを重視しておらず早々と飛行機の分野に力を入れていた。
気球は気象観測やアドバルーンといった民間分野の技術として研究は続けられていたが軍事技術としては細々と続く程度(※3)。
飛行船に至っては基礎研究以外は影も形もない(※4)。
第一次大戦の戦争賠償でも他国が飛行船の現物を取り立てる中、日本はエンジン・部品・設計図・格納庫といった主要部分しか手に入れておらず
(その分他の分野で分捕ったが)、飛行船全盛期の1920年代でも目立った噂は入っていない。
602 :石人:2014/01/06(月) 00:23:02
(一体何を求めている?後5年、いや3年もあれば悔しいが完全に飛行機が空の主流となるだろう。今年上海でそれを証明した彼らが一番よく知っている
はずなのに何故今更?)
この年上旬に起きた上海事変で、日本軍は空海立体戦術を実現している。
航空分野に携わる者ならこの戦果から飛行機の重要性を理解するには十分であった。
だからこそ目の前にいる男は斜陽産業に資金を使う愚か者にしか見えなかったのだ。
「(聞くしかないか)では何をお求めですか?技術ですか、評判ですか。生憎両方とも近頃は今一つですよ」
「正直に話せばどちらも欲しいですが、評判を我が社、いや我々は求めています」
「と、言いますと?」
「白状します。貴社の名前とLZ127 グラーフ・ツェッペリン(以後ツェッペリン号)。
何としてでもその二つが欲しいのです」
「――!!」
一瞬で湧きあがる激情を辛うじて抑える。 まだ話は終わっていない。
「日本において、我が社の航空部門は決して貧弱ではないと自負しております。……ですがいつもその上には壁があるのです
――倉崎という壁が」
堅実さが売りの三菱重工だが、日本で初めて飛行機を飛ばし、飛行機作りの片手間に会社経営をしているような飛行機狂い、倉崎重蔵率いる倉崎重工に航空分野では一歩譲っていた。
大幅に劣っている訳ではないのだがインパクトが足りない、相手が悪すぎると色々と理由はある(※5)。
とにかく、その影響で地味だの永遠の2番手だのそんな扱いを陰で受けていた。
この当時の三菱社員の心情を某世紀末風に描くなら
『倉崎!倉崎!倉崎!どいつもこいつも倉崎!何故あちらを認めてこちらを認めない!?』
といったところだ。
ならば、航空分野の技術は及ばずとも世界一周を達成し日本を熱狂させたツェッペリンの名前とその飛行船の広告を使えば強力な宣伝と三菱の存在感を示せると考えるのは当然だろう。
「残念ながら我々は空において倉崎にどうしても劣ります。だからこそ貴社を頼りに本日来たのです」
「……そうですか」
企業宣伝。確かに辻褄が合う。
少なくとも今建造中の長年の夢であった新型飛行船に鉤十字が描かれ、1番艦の名前が忌々しいその党首の名となることが決まってしまった(※6)今、姉妹船も同様の扱いを受けるだろう。
そしてこの会社を立ち上げた伯爵の名を冠した彼女もまた、それを逃れられなくなってしまう。
そんなことになるよりは余程マシである。
603 :石人:2014/01/06(月) 00:24:55
日本にも反感が無い訳ではないが、他の列強やこの恐慌を作った張本人や他の国々と比べればまだ良心的といえよう。
ツェッペリン号の姉妹船で今はアメリカ海軍に所属する LZ126 ロサンゼルス の例もある。
「こちらにとっての利益は何でしょう?」
「我が社、いえ我がグループの宣伝専門企業として飛行船事業を一手に引き受けてもらいたいと考えています。米国のグッドイヤー・ツェッペリン社のように事
実上子会社化してしまうとは思いますが…。
もし貴社から社員を派遣していただけるのなら、その方の家族含め生活に不自由させないことを約束します。
外国ということで不安があると思いますが、社運を賭けて改善していくことを誓いましょう。
あ、当然ですがツェッペリン号や飛行船の技術などはなるべく法外な値段以外を除いて買い取りたいです」
破格の条件といっていい。
簡単に言えば日本での生活は保障するしこちらの技術は交渉次第だが高く買い取ってくれる。
そしてナチスの影響を受けずに飛行船を飛ばすことができる。
すぐにでも喰いつきたい話だが、そうもいかない。
「そちらの要望はわかりました。その熱意も、目的も。ですが我々が新しく作る機体、それでは駄目ですか?
ツェッペリン号はこのままだとあのナチスに利用される、それは嫌です。しかし彼女は我々の、いやドイツの希望です。
絶望の底にあったこの国に夢を与えてきた彼女を手放す訳には……。
失礼、会社をここまで追い込んだ人間が言う台詞ではありませんな」
心のよりどころを売る。
貧すれば鈍するといわれるが、それでもやってはならないことがある。
かなり意味は違うが廃刀令を通告された時の士族の心境を考えてもらえばわかりやすい。
それほどワイマール時代、ここの飛行船がなしてきた偉業は大きい。
「お気持ちはよくわかります。利益を求めるだけでなく、夢や希望を与えることも企業の責務です。そのことを知った上でこれを読んでいただけませんか?」
「お借りします。……これは!?」
久弥が取り出したのはとあるスクラップブック。ドイツ語で書かれたそれには、ツェッペリン号が来日した時の各新聞社の記事で埋め尽くされており、一面がど
れもその話題で埋め尽くされていた。
「我々がツェッペリン号を望む理由はそれです。あの日、日本中がこれに湧きました。生憎私は出立する所しか直に見ていませんが。
――圧倒されましたよ。頭で知っていたとはいえあんな巨体が空に浮かぶのですから。
確かに世界中で飛行船は消えつつあり、飛行機が取って代わっている。それは認めましょう。
ですが、あれほどの機体が将来出来ると思いますか? 私は出来ないと思っています(※7)。
このままだと私があの時味わった衝撃が未来の人達に感じてもらえないのは残念ですし、空が持つ可能性を見てもらいたいのです。
その時に私は言いたい。 これが『あの』ツェッペリン号だ、と。
私を駆り立てた飛行船なのだと」
「!!」
一心不乱に記事を読むエッケナーの手が止まる。
604 :石人:2014/01/06(月) 00:27:04
「愚かな妄想と笑って構いません。飛行機だけが空に生きているのではないと知ってもらいたい、そんな子供じみた考えと企業の利益に適う。
それらが合わさった今回の提案です。それでも「ヘル・イワサキ」なんでしょう?」
自身の思いを語っていた久弥の発言が止められる。
「申し訳ないが本日はここまでにしてもらえませんか。そしてこの記事、お借りしてもよろしいでしょうか?」
「それはもちろん。良い返事がもらえることを期待して待っています」
その夜、エッケナーは1人応接室で考え込んでいた。
(会社の存続を考えるならコルスマン(※8)やレーマン(※9)の考え方が正しかった。私の所為で今こうなったのだから。
どんな状況でも安全を優先させていたのも、結果を見れば現状が全く分かっていない老害の発言だったのかもしれん(※10)。
だが、だがだ。
飛行船とはそういう物でなければならず、空への憧れを届けるのとこの地球を空から切り拓いていけるのは飛行船であると私は信じていた)
フェルディナンド・フォン・ツェッペリン伯爵から会社の後を託された故の誇り。
それが敗戦しながらもなお世界最高の飛行船会社として君臨し続けてきた。
しかし、飛行船を信じすぎたツケが大きな弱点にもなる。時代が飛行船を不要とするところまでやってきたのだ。
いや、不要とまではいかずともそれ以上に人に役立つものが現れたため主流から外れたとでもいうべきだろうか。
産業革命で手工業の職人が機械に駆逐されたように、飛行船にもその順番が回ってきただけである。
誰もいない中、葉巻を手に取り吸う。
(ハインケル社や宇宙旅行協会の面々は既に日本へ向かうことを決めたと聞く。それだけあの国も熱心にそういった者を呼び込んでいるのか?
それなら少なくともお払い箱になることはあるまい。
このままドイツにいても今の熱狂が続けばいずれナチスがこの国を牛耳り我が社も追従するだろう。
そんなとき最後まで奴らに抵抗し続けた私がいればどうなる?会社に対する報復、いやその後も商売で冷遇され倒産させられかねない。
これを防ぐのに一番良い方法……何だ、あったではないか。
結局、我が身が可愛いだけで自分が間違っているかもしれないのを認めたくなかっただけなのかもしれないな。
だが、私の名が地に落ちたとしても伯爵は、あの方の名だけは奴らと――ナチと同類と世界に見なされてはならない)
屈指の教養人であり国際人でもあった彼(※11)はアーリア人至上主義を掲げ他民族を貶めるナチスを心から嫌悪していた。
当然このままでは自分も含めこの会社全てがその手先と化すだろう。それだけはどうしても避けねばならない。ならば。
「伯爵、皆、申し訳ありません。私は愚か者と非難されても飛行船の未来を、その自由に飛ぶ姿をどうしても守りたい。
そしてイワサキが語った可能性と情熱。それに魅かれ、賭けてみたくなりました。
東洋の神秘であるあの国へ、もう一度」
――それがたとえ、彼女を他国へ売り渡すという暴挙に至ったとしても――
この時漏らした一言がドイツを、世界を大きく揺るがす。
605 :石人:2014/01/06(月) 00:28:53
同年下旬、ついに会社は破局を迎えた。
重役会議においてエッケナーがスクラップを手に、ツェッペリン号売却と三菱との合弁会社設立を提案。後に悲劇と称されるほどの溝がグループ内で出来あがった。
当然これはドイツ中に広まる。
反日気運が高まっていたこともありすぐにこれを阻止する動きが始まろうとしていたが、時の人であるヒトラーがこの動きを止めた。
曰く、国が弱いからこのような横暴が許される。だからこそ我々は強いドイツを取り戻さねばならない。
残念ながらまだ今回の暴挙を防ぐ力を持っていないので何もできないが、その無念をばねにより強大な力を我々は所望すべきである、と(※12)。
これは知名度で自分を上回り目の上のたんこぶであったエッケナーの失点を政治に利用し、ナチスへ共感する人を増やす狙いがあった。
それは見事的中し、よりナチスへ傾倒する人々が一層増加することになる(※13)。
一方、ツェッペリン号はそうした動きもあって当初三菱が提示していた買収額を上回り、あわや阻止されるかと思われたがここで日本政府が援助資金を出したことも手伝い無事買収された。
この一件からツェッペリン社内でエッケナーと彼を支持する人たちは国を代表する英雄から一転、国の誇りをよりによって黄色人種に売った文字通りの売国奴として罵倒されるようになる(※14)。
さて、もう一件の合弁会社であるが先程話したほぼ全てのメンバーとその家族を中心とした事実上の反ナチ派社員が本社を退職、日本で三菱・ツェッペリン社を立ち上げることで合意した。
エッケナーがこれを率いることになり、言って見れば祖国の非難に耐えきれず亡命した人々が新天地にて同名子会社を創った。
これにより、1933年ナチスが政権を奪取すると共にドイツ・ツェッペリン社はその影響下に入り、すぐに国営企業として歩むことになった。
そしてツェッペリン号は1933年10月、シカゴ万博に足を運んだ後日本・霞ヶ浦へ到着。亡命した元ツェッペリン社員と同様新たな人生を歩み始める。
その時日本に到着した面々は驚愕する。
そこには既にツェッペリン飛行船のライバルといえる飛行船の設計者ヨハン・シュッテ教授やイタリアの飛行船業界の権威、ウンベルト・ノビレ博士(※15)がいたのだから。
史実より遅れていた日本の飛行船事業だが、この時から世界へ飛び立つ第一歩が始まった。
606 :石人:2014/01/06(月) 00:30:21
――舞台裏の魔王――
「くひっ、くくくく……。はははははははっ!」
「「「「「「 」」」」」」
夢幻会の会合。そこでは、気が狂ったかと思われるほど爆笑する辻に皆がドン引きしていた。
「つ、辻さん?」
「ぷっ、くくく……。いや、申し訳ありません。あまりに面白くてつい」
腹をまだ抱え、すべてが思い通りにいったかのような表情を浮かべている。
「それで、飛行船の件を今回説明する予定だったな。 話してもらおうか 」
伏見宮が今回不快な表情をする位今回の飛行船購入に納得していない人は多く、急遽辻が無理を言って政府からも資金を出したのだ。
いくら世界中から金を集めたとしても無駄遣いをする余裕は今の日本にない。
ここで復活した辻が姿勢を正す。
「はい、お答えします。突然ですが皆さん、飛行船の浮揚ガスとして適しているのは何だと思います?」
「それはまあ、ヘリウムだろうな。水素は爆発の危険がある」
「では、そのヘリウムは他に何に使われるでしょうか」
ここで辻の意図を察した一部の人たちは一斉に青ざめる。
「確かICや光ファイバーの……まさか!?」
「そう、トランジスタの大量生産に必要な材料。他にもロケットの推進剤、MRI、そして核製造(※16)と以後重点的に研究する分野に無くてはならないモノです」
ここで全員が今回の真意を理解した。ツェッペリン号購入は単なる口実であり、本命はヘリウムの入手であった。
「確か米国はヘリウムの輸出制限をしているから、今までそれほど手に入ってないからな」
「ええ。ウラン等と違い、今世紀は米国からしかヘリウムは供給できません(※17)からね。
大半は自国の軍民両方の飛行船や気球、風船に使われて我が国含め他国へほとんど出回ってはおりませんでしたが……」
再び辻が笑いだす。
「大恐慌で国内のそういった産業がまとめて吹き飛んだらしく、余程困ったのでしょうねえ。備蓄用戦略資源が不良在庫扱いされてるありさまでした。
そうかといって他国に売ろうにも下手に売れない所か輪をかけて貧乏な国々にそんな金はありません。
そんなところに長期かつ大量の購入契約。普通なら怪しみますが同時期に大型飛行船を購入、それに政府まで介入する始末。
おまけにその国は軍事利用は全くしておらず専ら商業用に利用されている。
利に聡い人ならこう思うでしょうねえ――絶好のカモ、と。これからそこでヘリウムの需要が高まり、金儲けができると」
もはや誰もが口を閉ざしていた。
「流石は自由と金の国、国家が破産すれば何もかもあったもんじゃないと財界からの圧力で特例の輸出解禁があったそうです。
そして貴重な大口の取引で足元を見た値段にすれば破談になるのを恐れてか、今までより格安でヘリウムを仕入れることができます。
この時期はまだ飛行船・溶接くらいしか使い道が見つかっていないのでこちらのやりたい放題ですよ。
……しかし、大っぴらにヘリウムを買う見せ金とするために買ったつもりがまさか、すぐに向こうからこちらの顔色をうかがった商談が来るとは!
これだから金儲けはやめられないし、予想以上に上手くいった時は痛快といったところです。
これが笑わずにいられますか!?あっはっはっはっはっ!」
一層大きな声で辻は笑う。
「ドイツは金が手に入って満足、米国は不良在庫がはけて金も儲けて満足。そして日本は希少資源を大量入手して満足。皆が幸せでしょう?」
「「「「「(絶対にこいつを敵に回すのはやめよう)」」」」」
607 :石人:2014/01/06(月) 00:35:18
この時、会合参加者の心は一つであった。
――後日談――
さて、ここで以後の日独それぞれの飛行船の行方を追ってみよう。
まずドイツだが、(ナチスから見て)ツェッペリン社から厄介者が消えたことでより忠実な会社に生まれ変わった。
だが、所謂古参の社員が多く日本へ亡命したことでこれまで以上に経験不足な船長しか残っておらず、またナチスの政治的意向から強引な運航も辞さない機会も増えた。そしてヒトラーの計画に合わせるべく突貫で作られた新型飛行船『LZ129 ヒトラー(以後ヒトラー号、史実のヒンデンブルク号)』はほぼ史実通りに運用が始まる。
ツェッペリンとエッケナーの名はこの時期半ば禁忌とされていた(※18)ので続く2番艦は『フライヘル・リヒトホーフェン(リヒトホーフェン男爵)』に決まった(※19)。
彼女達の活動は当初からナチスを前面に押し出し売却されたツェッペリン号以上にドイツの、いやナチスの象徴として(※20)語られるはずであった。
しかし、無理が祟ったのか史実と同じ時、同じ場所において同じ原因でヒトラー号は爆沈(※21)。
それを受けてリヒトホーフェン号も無期限停止どころか第二次大戦が始まるとゲーリングの命令で解体、航空機用資材に転用され再び飛行船は暗黒時代へ戻ってしまう。
それが意外な形で復活したのは北米崩壊による新国家、テキサス共和国の成立とその衛星国化である。
伊領カンザスと併せ北米の一大ヘリウム産出地を傘下にしたことで、その特性を生かした偵察・哨戒用飛行船が再び日の目を見たのだ。
飛行機と比べればまだ列強・西海岸諸国に脅威を与えにくいことから北米では軍事用として飛行船が重用されることになる。
それはツェッペリン社がより軍事的な方面へ先鋭化、そしてかつての輸送会社としての側面を失うことに繋がっていた。
一方、辻すらあくまでカモフラージュであり将来性が乏しいと思われていたツェッペリン号だが、まさか彼女が日本飛行船業界の原点となるとは誰も予想していなかった。
日本に到着し第2の人生を歩むことになったツェッペリン号だが、直ちに大規模改修を受ける。
ベルリンオリンピックには間に合わなかったものの、未来知識と日本が招集した屈指の技術者達、そしてこつこつと蓄え続けた日本の資金とノウハウが彼女を事実上の別物として再生させた。
こうしてできた新生ツェッペリン号だが、一体どんな活躍をしたのか少し話させてもらう。
いきなり話は変わるが巨大兵器はロマンである。どんなに非効率を分かっていても超巨大戦艦やら超重戦車を妄想した人は多いはずだ。
実際巨大列車砲、50万トン戦艦、ラーテ、マウスなどがある。 ………ハボクック、パンジャンドラム。
一部余計な物もある(巨大ボビン)が、まず置いておこう。
ともかく飛行船もまた飛行機が比較にならないほど大きいからこそ人々の心をつかんでいる所がある。
ましてそれは以前来日し国内を熱狂させたツェッペリン号。
この時点で『飛行船=ツェッペリン』の図式が不動のものとなった。当然ながらそれを有する三菱の名が上がったのは言うまでもない。
その知名度や貴重さから映画やテレビにも出演。飛行機と違い単体でも相当なインパクトを与えることから冒険モノや戦争モノで主人公や黒幕など大物が乗艦する船として度々登場する。
他にも夢幻会が関わった作品はブラックユーモア満載の作品もある(※22)がまあ割愛しよう。
608 :石人:2014/01/06(月) 00:38:05
それとは別に、ドイツの飛行船業界が軍事方面に傾いたことで思わぬ2つの副産物が転がり込んできた。
1つは飛行船による空の旅。
既にその役割は飛行機が担っているが、かつて飛行船に魅せられ憧れた人間は少なからず残っており、普通の人が体験できないようなことをやりたがる人も存在する。彼らがドイツに代わって日本のツェッペリン社に復興再開を嘆願したのである。
古き良き飛行船時代を知る三菱・ツェッペリン社社員一同も乗り気であり、三菱としても赤字になる以上に宣伝効果は大きいと判断。
日本政府も仮想敵とはいえ枢軸と1つでも交流チャンネルを持つのは悪くないと考えたほか、イギリス・北欧・カリフォルニア共和国・東南アジアとも民間交流を行って国際感覚を養い、日本至上主義を少しでも弱める意味も兼ねてこれを支援。
結果、新たな『空の豪華客船』というべき航路が1940年代末に一部完成。
艦齢を考えツェッペリン号の後継艦が1950年代中盤に完成するなど、新たな産業(※23)が生まれた。
もう1つは気球。
言ってしまえば気球にエンジンを取り付けたものが飛行船と定義できる。
そのことを生かし三菱・ツェッペリン社は独自に熱気球などのイベントを主催するようになる。
欧米と違い史実では戦後からようやく実施され始めたマイナーなスポーツであり娯楽でもあったそれは、憂鬱日本において一つのブームをもたらす。
元々舶来品と流行に弱く、面白いものには飛びつく日本人の中にはプロ・アマ問わずその道を目指す者が誕生し、時には海外の気球乗りも経済的に余裕が無くそんなことをやる暇を与えてくれない母国からはるばる来日することも少なくなかった。
そしてその中心には必ず三菱・ツェッペリンの名前とツェッペリン号の姿が載っている。
こういった経緯から転生者の中にはこの時の三菱、そして三菱・ツェッペリン社を称賛する者が多く、航空分野で倉崎を凌駕した数少ないケースとして後の世まで語られるのであった。
609 :石人:2014/01/06(月) 00:38:43
【余談 兼 解説】
(※1) 飛行機の信用性が低いからこそチャールズ・リンドバーグやアメリア・イアハートが大西洋横断で一躍著名人となれたともいえる。
(※2) 史実より早く阻塞気球を除けばイギリス・ソ連・フランス・イタリア・日本は(日本のみ元からだが)飛行船の軍事利用を止めている。
全ては不景気と飛行機の急速な発達が悪い。
(※3) 風船爆弾は流石に無いが、脱出用パラシュートや落下傘といった技術に応用が利いた。
実際、気球製造会社が救命胴衣やそれに似たものを現実でも作っている。
(※4) 史実では発見されなかった何かがあるかもしれぬと一応の研究はされていた。
ただし、それは飛行機でも代替できるという結果が多かったが。
(※5) 何でもできる三菱、航空分野を重視する倉崎だとそのリソースの振り分けにも色々と違いがあるから
企業の規模に差があってもまあそうなるだろう。
(※6) 史実でも同じ動きがあり拒否していたが今回は不景気によりナチの有形無形の援助を受け取らざるを得ず従うしかなかった。。
(※7) この頃の硬式飛行船の全長は200mを超える。戦艦丸々1隻空に浮かんでいるも同義である。
(※8) アルフレート・コルスマン。
DELAG(ドイツ飛行船旅行会社 世界初の航空会社)創設者にしてツェッペリン社の重役。
ツェッペリン伯生前から多角的経営を提案していたがエッケナーら飛行船一本に絞る方針と対立。その後退社した。
(※9) エルンスト・レーマン。
ツェッペリン社重役。エッケナーの事実上の片腕として働く大ベテラン。
だがナチ寄りであり会社存続でもその方針を貫き対立した。エッケナー追放後ツェッペリン社取締役に就任。
ヒトラー号爆沈時搭乗、大火傷がもとで死去した。
(※10) 彼が船長を務めていた時期は無事故期間であったほど安全航行を徹底させている。
しかし安全運転を優先しすぎて赤字になったし何より恐慌時のドイツでそれは致命傷となる。
(※11) クーリッジ・フーバー・ルーズベルト各大統領と親交を結び、
もとは飛行船に何の知識もなかった人物が世界一周を達成しツェッペリンの名を不動のものとした。
ヒンデンブルク大統領が再選しなければヒトラーの対立候補になっていた可能性が大いにあった。
(※12) 『人気はあるが頑固な老犬がいる。そいつが粗相をしでかしてわざわざ買い取りたいという奇特な猿が現れた。
なら我々は精々高値をふっかけて老犬を1頭引き取ってもらい、その金で忠実な若犬を2頭と上等な衣装を買えばよい』
この時の状況をヒトラーはそう例えたとされる。
(※13) 黄色い看板に『娼館』と書かれ入口に出っ歯と眼鏡の人間が立つ店に泣く泣く『ツェッペリン』の名入りの帽子を被った婦人が入る。
それを『ヒトラー』『リヒトホーフェン』の帽子を被った姉妹が手に金を持ちながら涙目で見ている――
当時ドイツで流行り、反日感情を増幅させた風刺画である。
(※14) エッケナーをかばい続けてきたヒンデンブルク大統領すらこの時暗に非難する形で声明を出したほど、
ドイツの精神的支柱を売却した事実は重く、深刻だった。
(※15) この世界では偶然を装った夢幻会の介入により北極点遭難事故の犠牲は少なく終わったがやはり帰国後
政府の対応を巡りムッソリーニと揉める。
その後ソ連は飛行船を造る予算など無かったので史実と異なり誘いもあって日本へ亡命する。
610 :石人:2014/01/06(月) 00:39:44
(※16) 実際は半導体・光ファイバー製造時の強制冷却・不純物除去用ガス、ロケット推進剤の加圧、低温工学、
超電導電磁石・原子炉の冷却材、シリコン・ゲルマニウムの保護材、マンハッタン計画でも使用された
ヘリウム質量分析計やアーク溶接など、色々と細かく分類されているがどうか大目に見てほしい。
(※17) 事実、21世紀になっても全世界のヘリウム総生産・供給の約8割は米国が握っている。
他の場所は1990年代に稼動開始したが採れる差が大きい。
(※18) 海軍で構想されていた新型航空母艦もペーター・シュトラッサー級に命名変更された。 恐慌で計画は消滅したが。
(※19) この時期空軍内部ではかつて彼の部下だった人間が多く存命かつ高官となっており、まだゲーリングが
綺麗さを残していた時代でもあったため満場一致で決まった。
(※20) 史実と同様ベルリンオリンピックを筆頭に国内外の一大イベントには必ず参加している。
その外観から露骨にナチズムを表す船としても有名になったが。
(※21) この一件は世界中で報道されヒトラーの面目を大いに潰した。これ以降ヒトラーが国内で飛行船運航を厳格化
するようになったのは安全性を危惧する以上にこうした理由があったからだとされる。
(※22) 近衛がその腕を活かしヒトラー号爆沈事件の再現映画を作ったり、対米戦直前で英国の裏切りが確定した時
「いいこと考えた、ツェッペリン号をモチーフに軍がロンドン襲撃する映画作りましょう!
ロケットで有名どころ破壊した後降下作戦を実施します。タイトルは当然
『ロンドン大爆発!!ぶっち……』ぎっ!」
と会合中に錯乱、途中で気絶したとされる。
床に血文字(偽物)で
『しまだ』
と書き残されていたが一体何のことだろうか?
この時の仕返しも兼ねて彼はある提督を次期首相に任命することになる(嘘です)。
これが救国の大宰相誕生の真相である(嘘です)。
とにかく、話題に欠けるようなことはなかった。
(※23) 客船と比べ重量制限もありそしてサービスが悪いのに高額という矛盾したものではあるがその人気は高かった。
また、限定切手や記念手紙などプレミア品が復活したことも拍車をかけていた。
611 :石人:2014/01/06(月) 00:43:27
【あとがき】
以上です。また無駄に長くなってしまった…。支離滅裂かつ駄文で申し訳ないです。
ヘリウムをどうやったら大量に獲得できるかと考えた結果こんな感じになりました。
飛行船は残念ながら航空機にその座を奪われますし材質の改善をしないと他の用途に使えないんです。
ただ、迫力満点ですから娯楽や空の旅には使えると思います。
ttp://www.youtube.com/watch?v=0G_jgtkOfoQ
これ見たら一気に飛行船が廃れてしまった理由が分かるというか…、どこの国でも荒天で爆沈・墜落した結果飛行船廃止が決まりました。
ただ、ジャンボジェットが比較にならない巨体が空を舞う姿が見れるのは面白そうですし憂鬱世界ならではの出来事となるのではないでしょうか?
誤字脱字あれば後で訂正します。
最終更新:2014年01月07日 21:19