613 :高雄丸の人:2014/01/07(火) 14:56:43
あけましておめでとうございます。
昨年末に「年内に」と言いながら、新年を迎えてしまいました。では、さっそく・・・
欧州派遣軍。
憂鬱日本の常識として、その言葉は二度の大戦に送られた戦力を表す。だが一般的に、第一次世界大戦時の陸軍部隊(実際に
「帝国陸軍欧州派遣軍」と命名・編成された)や第二次世界大戦時の海軍(および航空部隊)を指すことが一般的だ。
しかし、欧州の塹壕消耗戦を経験した陸軍やユトランド沖海戦で活躍した金剛型戦艦が有名ではあるが、その陰に隠れて活躍した部隊がある。
大日本帝国海軍特務艦隊。
史実でもイギリスの船団護衛部隊派遣要請に従って編成されたこの部隊は、史実と異なりほぼ全戦力を激戦の地、地中海護衛へ投入する。
これは、第一次世界大戦を陰で支え続けた、海の男たちの記録である――
1917年(大正6年)4月。
地中海の中央に浮かぶ小さな島、マルタ島。
英国が領有する、南アジア・東南アジアの植民地や英連邦構成国のオーストラリアやニュージーランドと欧州との最短航路である地中海ルート。
その中間地点であるマルタ島に英国海軍地中海艦隊司令部が存在する。
日本海軍の地中海派遣艦隊がここにいるのは、1914年9月にイギリスが各海域へ艦隊の派遣要請を行ったためである。1914年8月に
ドイツ地中海艦隊の巡洋戦艦ゲーベンと軽巡洋艦ブラスラウの追跡戦をはじめ、オーストリア・ハンガリー帝国海軍と英・仏連合艦隊
(地中海では仏海軍が指揮権を有していた)の小規模な海戦が幾度も続いている。
大型艦こそ艦隊保全戦略から大規模な出撃はないが、その分潜水艦や水雷艇が地中海航路を脅かしており、1914年12月20日に
仏戦艦ジャン・バールが輸送船護衛中に潜水艦から魚雷攻撃を受けて中破(艦首に2発被雷)する被害も受けていた。
さらに、この年の2月からはドイツ帝国海軍およびオーストリア・ハンガリー帝国海軍は無制限潜水艦戦を実施し、輸送船に被害が
大きく出始めると駆逐隊を主力として派遣されている地中海特務艦隊は輸送船護衛任務に忙殺されるようになっていた。
地中海派遣艦隊の人員交代により、再び司令官に舞い戻った(交代はこれが二度目であり、最初の司令官も務めた)竹下勇海軍中将は
防護巡洋艦「筑摩」を旗艦としてマルタ島から艦隊各艦へ命令を下していた。
そんなある日、帝国海軍樺型二等駆逐艦「榊」は僚艦の「松」とともに英輸送船「トランシルヴァニア」をマルセイユから北アフリカの
アレクサンドリアへと護衛していた。
そのさなか、「榊」の駆逐艦長である上原太一海軍少佐は自艦の右を航行する「松」を見て溜息を吐いた。
614 :高雄丸の人:2014/01/07(火) 14:59:52
自分たちを含む、第11駆逐隊(二等駆逐艦「松」「榊」「杉」「柏」)の司令である横地錠二中佐の乗艦であるが、それ以上に「松」の駆逐艦長が
曲者であることでも有名だ。
いろいろと破廉恥な女性の絵をかくのが趣味という点もあれだが、それ以上に有名なのは新兵器として配備されたはずの
水中音波探信儀・聴音機や投射爆雷の使用方法や艦隊としての運用方法について異様に“詳しい”のだ。海軍司令部から
新兵器の運用について多くの人間が四苦八苦する一方で、彼は僅かな期間で見事に使いこなしてしまっているのだ。
結果として初の派遣以来、「松」は敵潜水艦を撃沈確実1、不確実3という戦果を個艦で挙げ、さらに護衛対象が大きな被害を
受けることが今まで一度もないという実績を生み出した。今ではHIJMS「Matsu」の名は欧州中に広まっている。白人国家フランスの
とある大衆紙は「我が商船団にとって最たる守護天使」とまで語るほどだ。
そんな釈然としないことが多すぎる「松」の駆逐艦長だが、優秀なのは確かだ。僚艦としては非常に頼もしい。
「・・・とはいえ、あの趣味だけは頂けん」
上原は艦橋で静かにつぶやいた。婦女子の、それも不埒な絵を描くなど海軍士官としてはどうかと常々彼は考えているのだ。
「水雷長、新兵装はどうだ?」
「今日は調子がいいです。大きな反応もありませんが」
そばにいる水雷長(大尉)に声をかける。1912年に
アメリカで開発された水中探信儀を軍用に改良した試製三年式水中探信儀は
欧州大戦開戦の直後に完成。試験運用もかねて第二次地中海特務艦隊所属の駆逐艦に配備が始まった。従来の潜望鏡や
潜水中の艦影を探すよりもはるかに発見が容易になったと好評だったが、一方で安定した性能が出せないなどの欠点も多い新兵器だった。
「今日は風が出てる。波で潜望鏡が見えにくいから、探信儀と聴音機が頼りだ。頼むぞ」
「了解です」
比較的穏やかな空気の流れる艦橋に伝声管から聞こえてくる声が状況を一変させた。
<水測室より艦橋、左舷前方に潜水音!およそ800m!>
聴音機が聞き取った、潜水艦の潜水音(タンク内の空気を排出して水を注水するときの音)。これをもって敵の潜水艦の存在とおおよその方位を掴む。
そして探信儀の放った音波が物体にあたって反響してくる反響音。この反響音が探信儀から音波を放ってどれほどの時間で帰ってくるかで、
水中の物体との距離を測る。放った音波がいかに早く帰ってきたかを判断するのが『感○』(丸には数字)であり、探信儀の最大探知距離1kmから
5段階評価とするのが探信儀の運用方法だった。今回の『感2』は探信儀から半径750m圏内に何らかの物体(基本的に潜水艦と判断)が
あるという事になる。
「松とトランシルヴァニアに信号!『我、敵潜水艦ヲ探知セリ』!敵潜発見の信号旗を挙げろ!対潜水艦戦闘用意、本艦は敵潜へ向かう!」
「はっ!取り舵、増速!」
伝声管からの報告に間を置かず、上原は命令を下した。あわただしくなる艦橋。
615 :高雄丸の人:2014/01/07(火) 15:02:45
そのころ、「榊」の後部甲板ではあわただしく準備が始まっていた。
水雷特務少尉を務める岡は本土で対潜水艦戦に用いる新兵器を学んできた一人だ。
彼の学んだ新兵器、それは爆雷である。
敵潜水艦の深度を予測し、深度に合わせて時限式信管を設定、爆雷を投下する。直撃すれば撃沈できるし、至近弾でも水中では浸水によって
潜航不可能かそのまま浮上できなくなる可能性が高い。また、被害はなくとも直撃を恐れ、魚雷攻撃の照準ができなくなるなどの牽制にもなるため、
探信儀による索敵と合わせると非常に強力な装備になる。
開発当初は艦からの投下が主流だったが、現在では一定距離離れた場所へ爆雷を投げ込む、爆雷投射機も開発されており、特務艦隊では
連合軍の要請による輸送船護衛のほか、独自に一個駆逐隊を動員した「潜水艦狩り」を定期的に行っている(駆逐艦一隻が探信儀で索敵。
一隻が護衛し、残りの二隻で潜水艦を狩る、というもの)。
「潜水艦戦闘用意!」
たたき上げの岡の命令に、爆雷が用意されている装填台に数発ずつ運び込まれ、そばに投射機に装填するためのダビットクレーンを設置する。
本来なら2門ある後部8cm単装砲の最後部の1門を取り外し、空いたスペースに爆雷装填台とY砲と呼ばれる爆雷投射機、爆雷投下軌条2本を
備えている。これが、樺型二等駆逐艦の対潜攻撃兵器だった。
作業の合間に顔を上げた岡は、「トランシルヴァニア」を覆うように煙幕を展開している「松」が見える。そして、両艦船がこちらから離れる航路を
取っているのもわかった。
艦橋では戦闘前特有の熱気に包まれていた。海軍軍人の誰もが憧れる艦隊決戦の場ではないが、腐っても戦闘艦艇との戦闘である。また、
二等駆逐艦と潜水艦という小型艦艇同士の戦闘ではあるが、英国へ派遣された金剛型2隻を主力とする艦隊は昨年5月末に発生した
ユトランド沖海戦で戦艦が大損害を受けて修理に膨大な時間を必要としたし、補助艦艇は英海軍と共に出撃することはあっても
それまでのような大規模海戦もなくなってしまい、本来の艦隊運用と異なる運用を強いられているために大した戦果を得られていない。
一方こちらは、駆逐艦に潜水艦、水雷艇などの小規模艦艇との小規模な戦闘ばかりだが、ほぼ毎日どこかで戦闘が起きており、
欧州派遣海軍の主役は自分たちだという自負があった(実際、新聞社は派手で人気の高い艦隊決戦をネタとしたがったものの、
その機会もなくなってきているため紙面を飾る海軍の活躍は、主に地中海が中心になっている)。
<水測より艦橋、100m!>
「よし、爆雷投射開始!」
616 :高雄丸の人:2014/01/07(火) 15:05:31
「深度を50mに設定、投射用意!」
岡の言葉に、水兵たちが装填台の爆雷をクレーンで投射機へ設置する。設置の終わった爆雷の信管を調整して、投射機の炸薬を用意する。
「用意・・・投射!」
Y砲の炸薬が爆発、その燃焼ガスが爆雷を載せた発射箭ごと艦の左右へと飛ばした。すぐさま次の爆雷が準備される。「榊」から数m離れた位置に
着水した爆雷。30秒ほどたつと、爆雷の着水した位置で小さな爆発が起きた。
最初の発射から1分で次弾を発射する。それらを合わせて5回繰り返す。撃沈を狙うならばさらに爆雷の投射量を増やすべきなのだが、対潜装備を
改造によって装備したこの駆逐艦では爆雷の弾数は20発と非常に少なく、輸送船護衛では一度に10発まで投射するとして敵潜が追尾してくるのを
妨害することが目的である。
5回目の爆雷投射が終わると、手すきになった水兵たちは海面を凝視し始める。敵潜水艦を撃沈すると、海面上に積んでいた物資の破片や重油などが
浮かぶ。彼らはそれを探しているのだ。
「少尉殿、あそこに!」
しばらく海面を探っていた兵士たちの一人が声を上げた。その声に、呼ばれた岡はもちろん、周りの水兵たちも声を上げた兵と同じ方向を見始める。
そして、目を凝らすとそこには、海面に浮かぶ重油らしきものが見える。それが見えた兵士たちから、歓喜の声が上る。岡は艦橋へと連絡を入れた。
この日、日本海軍特務艦隊はこの「榊」の戦果を、撃沈不確実と判断した。第一次世界大戦終結後、日本海軍はこの時交戦した潜水艦、U-63が
爆雷の至近弾によって損傷、プーラ海軍工廠で2か月間の修理を余儀なくされたと知ることになる。
史実ではこの時に沈むはずだった商船「トランシルヴァニア」が、この一週間後に英海軍護衛の下で輸送任務中に撃沈されたのは、歴史の修正力なのだろうか。
日本海軍は第一次世界大戦における地中海で、潜水艦10隻、駆逐艦2隻の撃沈を認めている。一方で、特務艦隊は輸送船護衛のために駆逐艦4隻を失い、
軽巡洋艦1隻、駆逐艦7隻を損傷。戦死者は300名を超えた。
ある時は自力航行できなくなった輸送船を敵潜と戦いながら三日三晩曳航し、またある時は輸送船を敵潜の魚雷から身をもって庇う。そうした犠牲をもって、
日本海軍は協商連合各国から、「地中海の守護神」として称えられ、仏レジオン・ドヌール勲章や英聖マイケル・聖ジョージ勲章を筆頭とする各国勲章や
感状を受賞した。
慣れない敵を相手にし、少なくない犠牲を払いながらも見事任務を完遂した男たち。
20数年後に彼らの系譜を継いだ男たちが、再び同じ地で激闘を繰り広げることになるのは、歴史の皮肉なのかもしれない―――
617 :高雄丸の人:2014/01/07(火) 15:07:43
あとがき
という訳で、本編ではわずかな解説で終わった第一次世界大戦。
支援SSでも金剛型戦艦が派遣されたことでユトランド沖海戦ばかりが目立っていますが、憂鬱世界ならば
世界に先駆けて対潜装備の拡張をしていてもおかしくはないと思い、地中海を舞台にしました。
1914年にアクティブ・ソナーの原型ができていることを考えれば、作中のようにライセンスなどで探信儀を
開発・製造していてもおかしくないと思います。
聴音機は距離の測定が難しいため、登場していませんが、アクティブソナーがあることを考えればあって当然かと。
この時の経験が憂鬱日本では生かされたと考えるべきでしょう。
うろ覚えのところも多く間違いがあるでしょうが、ご容赦ください。
最終更新:2014年01月07日 21:22