179. yukikaze 2011/12/23(金) 18:42:14
取りあえず『オペレーション・ポーラスター』後のアメリカの状況投下。
英国無双は次回まで待ってね。(需要があればだが)

ハワイ陥落とそれに伴う日本の宣言に対し、アメリカ政府内での混乱は
殆どないと言っていいものであった。
彼らにしてみれば、既にハワイ陥落は織り込み済みの事であったし、
化学生物兵器利用のカウンターとしてのみ核兵器を使うという宣言では、
むしろ「日本がわざわざ強力な兵器使用に枷をはめた」と、嘲笑したくらいであった。
勿論、日本側の宣言によって、化学生物兵器の使用は実質不可能となっていたのだが、彼らにとってみれば、正直プラフのカードで向こうの有力なカードが封殺できたのだから、許容範囲であった。

そしてアメリカ側は、最低でも半年は時間を稼げたと判断していた。
その根拠としては、ハワイ降伏直前に行われた『D指令』が完全に成功したことが報告されたからだ。
これにより、ハワイの港湾施設関連は軒並み破壊されることになり、
元の状態に戻るまでには、最低でも半年近い時間が必要であるとされた。
(これは日本側も同じように結論付けていた)
仮に日本が西海岸に攻め込む際には、その前線基地となるのはハワイであり、
そしてハワイの基地機能がまるで利用できない以上、西海岸へと日本が攻め込むのは
遅れに遅れるであろうし、そしてその間に、こちらは堅固な防衛ラインを構築することができる、
というのが、アメリカ側の判断であった。(アンカレッジからの侵攻を危惧する声も出たが、
アンカレッジは、泊地として見た場合、ハワイよりも問題が生じている関係上、
大艦隊が停泊する可能性は低いと見なされ、それほど重要視されなかった)

かくして、アメリカ側の方針は、以下のように決定づけられた。
まず、最前線である西海岸の工場群の疎開を推し進めることにしている。
これまでの戦況から、徐々に内陸部や南部へと工場のシフトを図っていたのだが、
今回のハワイ陥落を契機に、それを大々的に推し進めることにしたのであった。

次に、防衛ラインの構築である。
アメリカ側からすれば、強大な空母機動艦隊の目の前で戦闘をするのは自殺行為そのものであり、
艦載機の足が届かない内陸部での決戦による勝利を狙っていた。
その為、内陸部での決戦に勝利する為に、西海岸から内陸部に至る拠点に、
堅固な防衛ラインを構築し、そしてそこで日本軍が疲弊したところを、一気に叩こうと考えたのであった。
無論、その為には西海岸の防衛を半ばあきらめることになる訳で、連邦政府は、西海岸の州知事に対して、
「敵軍が上陸した場合の無防備都市宣言」を許可する命令を内々にだしている。
連邦政府にしてみれば、「西海岸を見捨てた」という批判をかわす為と、西海岸住民を抱え込ませることで、
日本軍に対して、補給の増大と住民とのトラブルでの疲弊を狙う物であった。

さて、こうしたアメリカ政府の方針に、とうのアメリカ市民はどうだったのか?
結論から言えば、政府の方針に比較的好意的だったのは、戦災が殆どなく、
工場の疎開先に指定されたことで発展が見込まれる南部地域だけで、
津波の被害から碌に回復していない東海岸や、戦場の矢面に立たされる西海岸の住民は、
「いつまでダラダラ戦争をしているんだよ」の声で満ち溢れようとしていた。

特に東海岸の住民の不信感は深刻であり、政府に対するデモ行為や暴動が頻発し、
それを取り締まるべき州警察や州兵ですら、彼らの行動に対して共感を覚えており、
取り締まりもおざなりのレベルであった。
その為、連邦政府としては連邦軍の投入も行い鎮圧に動いたのだが、そうした行動が
ますます東海岸住民の政府への敵意を抱き、一部地域では連邦軍と州軍の間で小競り合いが起き、
州軍の指揮官が罷免される騒ぎにもなった。
勿論、連邦政府もそうした不満は分かっており、救援物資の配給を行ったり、
「戦争を長期化させているのは日本のせいだ」と、日本に責任転嫁をすることで、
彼らの不満を抑えようとしていたのだが、彼らの不満は少しずつではあるが
確実に溜まっていくことになる。

このように、内に少しずつ綻びを見せつつも、本土決戦に向けての準備を計画する
アメリカ政府であったが、彼らの計画を根底から覆す事件が勃発することになる。
1943年6月20日。スウェーデンのストックホルムで行われた、英独首脳会談である。
識者は、これを以て、太平洋戦争が世界大戦になったと評することになる。

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最終更新:2011年12月31日 23:56