951 :わかる?の人:2013/11/15(金) 23:00:13

携帯口糧壱型 (大正四年)

携帯口糧壱型(けいこうこうりょう いちがた)は、帝国陸軍で使用される携帯口糧。
ここでは大正四年から採用された最初の携帯口糧壱型を扱う。


〔概要〕
日本帝国陸軍により大正四年(西暦1915年)に採用された缶詰型の糧食で、行軍中もしくは作戦中において手軽かつ迅速に喫食することを目的として開発された。
当時あった携帯口糧(甲)および携帯口糧(乙)と区別するため、携帯口糧壱型と命名された。
その形態によって支給当初から「カンメシ」と俗称され、これは現在まで続いている。


〔構成〕
一食は、主食である飯缶、おかず缶、漬け物缶、乾燥味噌汁からなる。また献立構成によっては菓子がつく場合もある。
飯缶は炊き込みご飯の場合、ビタミン分等が添加されているが、白米の場合は当時兵士の要望に合わせ、通常の白米とされている。またこれに加え、加熱用の携帯燃料缶も支給される。
開発当初は献立構成によって1号~4号まで存在した。前線の兵士からの要望に応え、後に10種類あまりまでに増種された。


〔開発動機〕
日本帝国軍は伝統的に米食へのこだわりが激しいが、炊飯済みの米飯は水分を多く含むため、長期保存性の問題もあった。このため当時あった携帯口糧(甲)では精米済み米を含んでいたが、これは炊飯のための負担が少なくなく、また炊煙によって部隊の存在及び行軍の様子を比較的たやすく確認されてしまうという問題があった。乾パン食である携帯口糧(乙)ではこの問題はないが、これらが続くと兵の士気が低下するという、他国からみると妙に贅沢な、しかし切実な問題があった。
この問題を発展的に解決すべく部隊の士気を維持しつつ、部隊行軍の効率を向上させるための研究から、缶詰式の新型携帯口糧が発案され、実際に陸軍省兵器局により試作開発された。
従来の携帯口糧と異なり、内容が大きく異なる複数の献立構成があるのは、開発に関わった東条英機大尉の発案だったという。
調理済み米飯でありかつ缶詰という構成から重量増による兵および兵站への負担が懸念されたが、明治期より鉄道輸送を兵站に組み込むことが常識とされており、さらに軍用輸送自動貨車の開発・配備が開始されていたこともあり、これらにより負担増を転嫁しつつ利点を享受できる見込み大とみなされ、試作が打ち切られることはなかった。
またこの際、野外炊具や野外入浴具の研究も進められている。


952 :わかる?の人:2013/11/15(金) 23:00:55

〔当時の評価〕
第一次世界大戦において欧州西部戦線に展開した帝国陸軍部隊では、当初、現地国民および自治体、報道機関等の無理解もあって、日本食の喫食が行えない場合が少なくなかった。
また当時の陸軍兵士には欧州式喫食への抵抗も強く、このために士気が低下するという問題があった。とくに食事を給するのが英国本土系の部隊であった場合、これが極めて顕著であった。

この際に緊急的に支給されたのが携帯口糧壱型であった。加熱すれば即座に喫食可能である携帯口糧壱型は、現地への影響も考慮する必要もなく喫食できる「緊急食」として、士気回復に大いに役立ったとされる。反響は極めて大きく「カンメシなくしては欧州戦線の勝利無し」と関係者一同に感状が送られるほどであった。
日本食喫食の問題は、現地軍・外交官の努力、そして現地部隊の大規模化と兵站線の整備進捗などにより次第に解消されていくが、前線においてのカンメシの需要が依然として高かったのもまた事実である。
これには、カンメシが密閉された缶詰であることから、日本から欧州への輸送の際、赤道地帯の高温多湿環境にさらされた場合でも品質劣化が少なかったという事情もある。

なお、炊き込みご飯缶やおかず缶は同じ連合軍兵士からも好評で、兵士間での取引の材料とされることもあった。特に英国本土兵からは酒類・煙草などと頻繁に交換されたという。
後にインド兵らとの関係も考慮し『豚・牛等が使用されているのは缶詰の一覧』など、日本では珍しい宗教上もしくは風習上の問題になる素材の使用を纏めた冊子も配布されている。

また、シチュー丼の起源は、この当時に仏軍から得たシチューと白米缶を組み合わせたものであるという説がある。


953 :わかる?の人:2013/11/15(金) 23:02:04

以上です。wiki掲載OKです。

発想は、自衛隊の戦闘糧食I型そのものですね。

ちなみに東条さんは、これの開発に関与したことが広まり、後に兵達から「俺たちのカンメシ将軍」と親しまれたとか。
ただし本人は「カンメシウマー」と試食をやっていただけという…
史実なら陸大にいる時機ですが、この世界では前世経験によって史実と異なり一発で合格して卒業も一年繰り上がり、部隊配属されたときにお鉢が回ってきたんでしょう。たぶん。
ちなみにこの当時の陸軍省兵器局局長である筑紫熊七少将、嶋田さんの岳父だったりします。つまりカンメシ開発に夢幻会の影が!


史実陸軍の携帯口糧は、乾パンである乙はともかく、甲は主食が精米としての持ち運びで、自前で炊飯する必要があり、水と火の確保だけでなく炊煙が目立つという問題点がありました。実際、南方では炊煙のために見つかった部隊も少なくなく、それを避けるため蝋燭で炊飯したという話もあったとか。火力が足りず不味かった上に、デンプンが満足にアルファ化せずあまり栄養にならなかったようです。
激しく泣ける話はさておいて、遙かに体力のある日本大陸の場合、兵站面での思想が根本的に変化すると思われ、またこれに加えて夢幻会の発想があれば、よりよい携帯口糧が配備できるのでは?と考えまして。
 

最終更新:2014年01月16日 22:20