473 :倉崎ネタの人:2013/11/13(水) 20:04:37

大陸日本航空機開発史-二宮忠八と倉崎‐

1898年(明治31年)3月某日

大阪のとある居酒屋にて一人の男が失意の中で酒を飲んでいた。
「くそう、なぜ陸軍のお偉いさんは俺の考えた玉虫型飛行器に理解を示してくれんのだ。」
彼の名は二宮忠八という人物でつい先ごろ陸軍を退役して、現在大阪で資金集めをしている人物であった。
彼は飛行機械開発という当時ではあまりにも先進的な発想を陸軍上層部に理解されなかったため、自主開発の資金を集め独力で飛行器を完成させるつもりでいた。
「資金さえあれば5年以内で有人飛行機を開発し、空からの偵察や攻撃が出来るようになるというのに。」
そんな、彼の隣の席で一人の男が大声でわめいていた。
「くっそう、あの連中め。何が『現在の状況で飛行機の開発をしたら、列強から注目を集めてしまう』だ。
確かに、現在の状況で列強の注目を浴びるのはまずいかもしれん。しかし、飛行機を開発し特許をこちらが握っていけば十分プラスだろうが!!」
「なのに、あ奴らめこんなに速く日本が飛行機を開発するといろいろとこちらの不都合(歴史知識のチート・技術知識チートがあまり有効にならない)がでてくるから待ってくれだと。ふざけるな!!」
この言葉が忠八の耳に飛び込んできたとき、すぐさま隣席にむかって突撃していった。
「あなた!!いま、飛行器っていいませんでしたか?」すると、隣の男は最初びっくりして目を白黒させていたが
「ああ、飛行機と言ったが、そちらはどちら様かな?」この言葉を聞いた忠八は非礼をわび、自己紹介をした。
「失礼しました、私は二宮忠八と申します。私もいま、飛行器の開発を行おうと様々な企業に出資を求めているのです。」
すると、その男性は「二宮?」とつぶやくとハッとした顔をしたかと思うと、いきなり居住まいを正してこう言ったのだった。
「私は倉崎重蔵というものです。私も飛行機を開発しようと日夜努力をしているものです。あなたも飛行機開発をしているとのこと。是非一緒に飲みましょう。お互い持っている知識やつてでもしかしたら飛行機の開発が進むかもしれませんからな。」
自分の名を聞いたとたんに、表情がイキイキとしだし嬉しそうに飛行機について語りだす倉崎氏の態度に若干の疑問があったが、そこは自分も飛行器を開発しようとしている人間である。一緒になって技術的な話をし始めた。そこで気付いたことがあった。

(この人、俺より何歩も先を行っている。動力のことや素材、物理学のことなんかも考えている。この人と一緒ならきっと飛行器は完成する!!)

彼はこの考えにいきつくとすぐさま共同研究を申し出た。すると倉崎氏はおもむろに一枚の名刺を差し出すと「明日の朝ここに来てください」
と言って帰って行った。忠八は名刺をみると驚愕したそこには、‐倉崎工業 社長取締役 倉崎重蔵-と書かれていたからである。名刺の裏には大阪支社の住所が書いてあった。

次の日忠八は倉崎の大阪支社の前にいた。緊張しながら身だしなみを整えて中に入り受付の人に声をかけた。
これがのちに日本の航空機の父といわれる二宮忠八と航空業界のドンといわれる倉崎重蔵の自重しない開発史の始まりになったのであった。


つづく?

最終更新:2014年01月18日 10:57