555 :四〇艦隊の人:2013/11/21(木) 18:11:01

さて、需要があるのかはわからないけどユナイテッド・ステーツの最終話が出来てしまったので投稿しようと思う。
とりあえずこれで終わり。
前話以上に突っ込み所だらけだが、笑って流すなり、ズケズケ突っ込むなりしてほしい。


556 :四〇艦隊の人:2013/11/21(木) 18:15:27

・博打
一九四五年三月、アメリカ合衆国は敗北しつつあった。
陸軍は日本側の上陸を防ぎ続けてきたが、アラスカから飛んでくる連山、富岳がばら撒く大量の三〇キロ爆弾の前に限界が近づきつつあり、海軍はサンフランシスコからの脱出に失敗し、港内に浮かぶ対空陣地と化し、新鋭ジェット戦闘機P-80が開発され戦場に投入されていたが、日本側の主力戦闘機疾風との性能差は歴然としていた。
この状況を打開するべく米国は最後の大博打に打って出る。

アドミラル=パイ級戦艦(二〇in砲三連装四基、一三〇〇〇〇t、二八kt)アドミラル=パイ、マシュー=ペリー
ルイジアナ級戦艦(一八in砲三連装四基、九五〇〇〇t、二七kt)ルイジアナ、ジョージア、
モンタナ級戦艦(一八in砲連装四基、六五〇〇〇t、二八kt)メイン、
アイオワ級戦艦(一六in砲三連装三基、五六〇〇〇t、三三kt)イリノイ、ケンタッキー、
以上七隻の戦艦を中心にエセックス級航空母艦ランドルフ、フランクリン、ハンコック、ベニントン、グアム級大型巡洋艦グアム、フィリピンズ、ハワイ、巡洋艦一五、駆逐艦五三の第四艦隊をドレーク海峡経由で太平洋に回航、西海岸周辺を遊弋する日本海軍を撃破して西海岸を救援する。
またこれに呼応させて現在サンフランシスコで唯一外洋作戦行動が可能な大型艦、アイオワ級戦艦ミズーリに巡洋艦一、駆逐艦九をつけて第三七任務部隊とし、日本側輸送船団を狙う陽動を行う。
後の戦史にアメリカ合衆国海軍最後の全力出撃と記されるOperation Dawn Hammer(オペレーション・ドーン・ハンマー、夜明けの鉄槌作戦)である。

・大和
一九四五年三月一六日、大西洋、ノーフォーク軍港を出撃した米海軍第四艦隊を最初に発見したのは英王立海軍所属の潜水艦トライデントだった。
トライデントはこの艦隊出撃の目的を欧州情勢への介入ではないかと推測し英海軍省へと急報、一時英国政府を恐慌状態に叩き込んだ。
そこから英政府、駐英日本大使、外務省、海軍省、連合艦隊司令部、ハワイの太平洋艦隊司令部と続いた伝言ゲームの結果、回航してくる米第四艦隊の規模は、艦形不明の超々弩級戦艦四隻、アイオワ級四隻、エセックス級八隻とトンでもないものに変わっていた。
この艦隊に対抗するべく日本海軍は二月に就役し、本土近海で訓練中だった大和型戦艦(五六cm三連装三基、一七〇〇〇〇t、二八kt)大和、武蔵を西海岸に派遣、他上総型戦艦四隻、紀伊型戦艦二隻、天城型高速戦艦四隻を中心に戦艦部隊を編成、また早池峰、瑞穂、大鳳をはじめ総計一六隻を数える空母部隊も、後詰として瑞穂、飛鷹、大鷹を残して南下、迎撃準備に取り掛かった。

・捕捉
一九四五年四月三日、イースター島沖で警戒中だった、呂八七五号潜水艦(艦長:海江田四郎中佐)が北上する米第四艦隊を捕捉、以降実に八七時間にわたって付け回し、様々な詳細情報を司令部に送信した。
その過程で艦形不明とされていた、米新鋭戦艦アドミラル=パイ級戦艦(当時の日本海軍は仮称としてヴァージニア級と呼称していた)の写真撮影に成功している。
同年四月七日早朝、日本海軍第一機動艦隊から放たれた偵察機が米第四艦隊を発見、航空攻撃を開始、同時に戦艦一三を中心とする第一艦隊が南下を開始。
会敵は八日早朝と予測された。


558 :四〇艦隊の人:2013/11/21(木) 18:23:41

・血路
日本海軍に発見された米第四艦隊は戦艦中心の輪形陣と空母中心の輪形陣の二つに別れ空母部隊を前に出した。
日本空母部隊の攻撃を吸収し、戦艦部隊が無傷で砲撃戦に突入できるように。そのために攻撃機を全て降ろして戦闘機を積んできたその目論見は見事に成功し、七日の日没時全ての空母の喪失と引き換えに、日本軍艦載機に甚大な被害を与えており、翌日以降の反復攻撃に支障が出ていた。
空母部隊の切り開いた血路を戦艦部隊は全速で突き進み、四月八日の夜明け前、ついに米第四艦隊は日本海軍第一艦隊を捕捉した。

・死闘
一九四五年四月八日〇七四〇時、日本海軍第一艦隊旗艦戦艦大和が主砲を斉射、死闘の火蓋が切って落とされた。
砲戦は熾烈を極め、砲戦開始二四分後、日本艦隊の7番目を走っていた戦艦尾張がルイジアナの砲撃で轟沈。
その五分後にルイジアナが上総、下総の攻撃で大爆発炎上。
砲戦開始四三分後には戦艦マシュー=ペリーが武蔵の砲撃より艦橋倒壊。
両軍に激しい損害を出しつつ砲戦は六時間にわたって続いたが、一三〇二時、マシュー=ペリーの沈没により大勢は決し、日
本海軍第一艦隊司令長官山口多門中将は阿蘇以下の水雷戦隊に突撃を命令、掃討戦に移行した。

最終的に米第四艦隊は戦艦七隻、空母四隻を喪失。大型巡洋艦ハワイ、駆逐艦七隻が洋上で降伏した。
一方サンフランシスコを出撃した第三七任務部隊は瑞穂以下の後詰部隊に向け突撃を敢行、航空攻撃で大きな損害を出し、最終的に加賀、長門との砲戦に敗れて太平洋に沈んだが、一時は瑞穂から五〇メートルほど離れた場所に砲弾が着弾、仮に直撃していれば瑞穂は轟沈していただろうと言われている。

・原子
一九四五年七月、ここまでされても手を上げない米国に困り果てた日本はついに原子爆弾の投下を決定。
一九四五年八月九日、アラスカから発進した富岳二機は洋上で瑞穂、大鳳から発進した戦闘機隊と合流、ラスヴェガスに原子爆弾を投下した。
死者二十万人、負傷者多数、金融的損失計測不能。
この被害によりついに米国は継戦を断念。八月一五日アメリカ合衆国は大日本帝国に降伏。太平洋戦争は終結した。

・桑港
一九四五年八月十八日、瑞穂はサンフランシスコに入港、瑞穂の艦橋から見える範囲に戦前の面影は既に無く、後に残されたのは一面の廃墟と無数の死者、そして怨嗟の声だけだった。

・戦後
ユナイテッド・ステーツは戦後、戦時賠償艦として正式に日本に譲渡され、そして戦後の大軍縮で除籍、予備艦指定となり、一九五〇年解体が決定された。
元アメリカ合衆国海軍航空母艦ユナイテッド・ステーツは横須賀造船ドックで二五年の生涯を終えた。
戦後舵輪と錨がアメリカに返還されるという話があったが、アメリカ側がこれを拒否。
ユナイテッド・ステーツの舵輪と錨は今でも横須賀に保存されている。

・逸話
夜に艦内を歩いていると女の啜り泣きや狂笑が聞こえる等の幽霊話が多い艦として、一部では有名な存在。


560 :四〇艦隊の人:2013/11/21(木) 18:27:23

あとがき
……疲れた(精神的に)。
憂鬱な気分のときに妄想するとろくな発想が生まれませんね。
ここまで滅茶苦茶にやらかしましたが、まあネタという事で……。
……170000t級戦艦とか何考えてたんだ、俺?


587 :四○艦隊の人:2013/11/21(木) 20:01:07

あまりにもUSが哀れすぎるので、短いですが。
携帯で書いてるので、少し書き方が違います。

・帰還
二○XX年、二つの超大国が未来と誇りをかけて全力でぶつかりあった戦争が遠い過去の出来事となり、世界が緩やかな平和を手にしていたとき、横須賀海軍博物館の中庭に早池峰の錨と共に保管されていたUSの舵輪と錨を、彼女を建造した造船所が引き取りたいと申し出た。
日本側はこれを受け入れ、この翌年、USの舵輪と錨はアメリカに移送され、造船所の中庭に保存される事になった。
あの戦争から実に八〇年が過ぎた夏の日の事だった。

最終更新:2014年01月22日 20:17