430. ひゅうが 2011/12/17(土) 01:24:07
半分ネタSS――「海から来た怪物」その1

――西暦1941(昭和16)年8月6日  伊豆  差木村


「夏の伊豆は、怖いくらい青いわね。」

女性はひとりごちた。
第2次5カ年計画に続く道路整備事業によってアスファルト舗装されたばかりの道を、女性は三菱の陸神(米国名ジープ)に乗って走っていた。
運転しているのは、大島署から案内人を仰せつかった警察官であったが、伊豆大島の海岸線を見ながらも表情はあまりよろしくなかった。

「はぁ。しかし、あんなところに、しかもあの女性に会うために行かれるとは・・・」

「ま、仕事ですからね。」

どうもこの女性――教師のようなモダンガァル風の白いブラウスとチェックのチョッキにあずき色のスカートを履いているにもかかわらず、白いオーバーニーブーツとトレンチコートをあわせている人物は気だるげで、胡散臭かった。

それに、彼女が差し出した帝国神祇公安官の身分証も、伊豆育ちである彼は聞いたことがなかった。


「本当に行かれるんですか?」

署長室に呼び出された警官はいささかテンポの外れた声を上げた。
応接セットの奥では、署長が困ったような表情を浮かべている。
最近の経済的発展で導入されていた館内冷房の、ききすぎなくらいの室内でも冷や汗が残っているのをみると、ずいぶん上からの声がかかったのだろうと警官は推測した。

「ええ。同じ宮仕えの身です。上からの命令には逆らえないんですよ。」

声は思った以上に若い。
20代半ばといったところだろうか?
モノクル(片メガネ)を光らせた彼女の顔は、気だるげだったがどこか人懐っこかった。
これで緊張感を持ったのならさぞかし美人だろうに――と警官は残念に思う。

「神祇公安官ってのは名前しか聞いたことがないのですが・・・」

「ああ、文化財や寺社仏閣に関わる業務を主にやっているんです。ほら、この間の高松塚古墳の発掘みたいな重要な発掘調査の警備や正倉院や三の丸文書庫の警備をやっています。」

「皇宮警察の仕事ではないのですか?」

警官は純粋に驚いた。

「ええ。帝国憲法では政教分離の原則がありますから。主上(おかみ)が行っておられる祭祀の警備に内務省のような政府機関が関与してはまずいので。ああ・・・そのままそのまま。主上も形だけガチガチの敬意は嫌っておられますので。」

いきなり直立不動になった警官と署長を女性は手でなだめた。
どうやら、この女性は思った以上にかしこき処に近い立ち位置にいる偉い人であるらしい。
431. ひゅうが 2011/12/17(土) 01:24:37
「皇宮警察は主として皇居の中や大使や国賓の送迎に。そして神宮や伊勢、それに近畿の御陵(みささぎ)警備は私たちがやっております。それに、宗教上の問題があったりする場合にも私たちにお呼びがかかります。一応、文部省の資格も保有していますので。」

女性は肩をすくめた。
神祇院とは、明治期に設立されていた神祇省が宮内省に吸収されていたものを明治末期に再独立させた機関だった。
女性によると、この機関は文部省と内務省、それに宮内省の複雑な関係に一定の区切りをつける必要から生まれたらしい。
かつての陰陽寮などの律令制以来の機関は近代に入り文化的なもの以外ではなくなり、廃止が検討された。
しかし、幕末から明治初期にかけての外国人による文化財の掠奪に対抗すべく、文部省の文化財行政の施行に平行して、いわば「文化財警察」として旧神祇省の職員たちは公安職の権限を与えられ治外法権下で「宗教上の重要な存在」の「回収」という名目で文化財持ち出しに対抗することになった。
宮内省神祇局が統括する「神祇公安官」の誕生である。

転機が訪れたのは、明治後期。経済発展や軍事上の要求にこたえて日本全土の測量調査が行われ、道路や鉄道の敷設が行われると、次々に古代の遺跡が発見され始めたのだ。
ここに至り、「神祇に関すること」と規定されていた神祇公安官と文部省文化局(のちの文化庁)、そして内務省警保局の権限がかちあった。

話し合いの末、宮内省は神祇局を神祇院として独立させ、皇宮警察を間接的に所管。
文部省は神祇公安官の保有する資格の取得条件を制定する権利を得、内務省は皇宮警察に関する管轄権(「警察」という名前)を得るという栄誉と引き換えに文化財関係事件に関する神祇院への協力を約束するに至った。

この体制がうまく発揮されたのが、大正3年の仁徳天皇陵発掘に先立ち海外の美術ブローカーに雇われたゴロツキどもが大山古墳を暴こうとしたいわゆる「御陵事件」であった。
あろうことか、明治天皇陵の盗掘まで計画していた彼らを先んじて発見するのに、彼ら神祇公安官が威力を発揮し、それまで日蔭の存在だった神祇公安官と考古学へ注目を集める結果となったのである。

もっとも、この大島ではそういう存在がいるという以外のことは知られていない。
本土で、危険な新興宗教団体に対する潜入捜査を行い、特別高等警察とともに摘発を行っているという業務も、決して表に出ることのない裏の業務についても。


「そういうわけだよ。君。ひとつ案内して差し上げてくれ。差木村へ。用件については私には知る権限はない。君が聞いていいことだけ案内の途中で訊いてくれ。」

署長はそう締めくくった。

「了解しました。差木村ですね?ええと――」

「ああ。」

女性はにこりと笑った。

「神祇院捜査部  中級職(ちゅうきゅうしき)一等神祇公安官  加藤八千代と申します。どうぞよろしく。」

差し出された彼女の手には、五芒星(ドーマンセーマン)が染め抜かれていた。
433. ひゅうが 2011/12/17(土) 01:27:01
【なかがき】――ネタSSで登場した神祇院に関してちょっと考えてみました。
史実では1940年の皇紀2600年事業のひとつとして作られた機関ですが、こちらの世界では文化財保護の観点から生まれたという名目です。
また、執筆していたら長くなりましたので今回のネタは何回かに分割して投稿させていただきます。
ネタ元わかる人いるかな(汗

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最終更新:2012年01月01日 00:19