50 :第三帝国:2013/11/18(月) 23:22:42

注意:このSSはネタです。
注意:第三帝国が得意なのは近代史です、古代史は山川出版の「詳細日本史研究」を片手に勉強しつつ書いています
注意:銀髪美少女は男のロマン(キリッ!)という人はどうぞ
注意:ワロスワロスと読んでください。


大陸日本史:銀髪美少女のための考察――――古代編2

西日本と同様に国家の形成が促された背景には人口の増加があげられる。
同じ遊牧民のライバルが存在しなかったこともあるが、彼らから見て先住民、そして中華世界から北方貿易経路で連れて来た労働力としての農奴や技能者が農業、漁業に従事して、接取可能なカロリーが増大、これにより人口の増加とそれらを纏める国家組織への形成を促した。

とはいえ、古代世界ゆえに西日本同様に部族社会を複数纏めたような形でしかなかった。
また、北の海産物や十勝平野の大平原での牧畜をもっても西日本より人口の増加率が低い値を示した。
特に面積当たりに接取可能なカロリーが高い米が栽培できないのと、平野部は牧畜のためにリソースをさいたことが大きい。
また、その国家像については現在でも邪馬台国以上に不明であり、謎に包まれている。

が、人口の増加で生まれた余剰人口のはけ口として西日本同様に戦争の発展、そしてさらなる南下を促しした。
弥生時代、紀元1世紀には津軽海峡を横断して現在の東北各地へと散らばってゆき、中には『魏志倭人伝』でいうところの倭国大乱で騎馬傭兵として雇われたと思わしき箇所すら存在している。

閑話休題

とにかく、人口の増加が蝦夷亜大陸から本州の東北への進出を加速させた。
縄文時代、現在より気温が暖かかったため東北は狩猟生活においては人口の享有量は西日本より優れていた。
しかし縄文時代後期より気温の低下と大陸からの稲作の伝来により徐々に養える人口の量は逆転しつつあり、寒冷化は蝦夷亜大陸の農業による人口増加もあってコーカソイド系遊牧民の南下を促して激しい戦争が繰り広げられた。

青森県の三内丸山遺跡では麦の栽培、牧畜が行われた大規模な集落で知られているが、その下の地層から焼け落ちた柱に弓矢が刺さった多数の遺体などが発掘されており、一度戦争によって壊滅、そして占領による再建がされたのではないかと言われている。

また、西日本で青銅や鉄が大陸からもたらされるのとほぼ同時期に、鉄や青銅の製造方法が北方貿易を通じて伝わったらしく西日本に匹敵する大規模な鋳造場などが作られた。

こうした技術革新が為されたのは春秋戦国から秦による中華世界の統一と、その後の三国志に至るまでの混乱で大量の流民が発生し大量の亡命者が日本を目指したことが大きい。

春秋時代の思想家、孔子曰く「筏に乗りて海に浮かばん」(※『論語』公治長)
と悲観的に語ったように、中華世界でドイツ30年戦争にも匹敵する破滅的な戦乱が起きるたびに海の向こうの大陸へ亡命した。
(※特に酷いのは華やかな英雄が活躍する三国時代である、人口が戦前の7分の1、別の説によれば10分の1まで減少した)

特に秦の始皇帝を不老不死の薬を持ちかえると除福が半ば騙す形で、中華世界統一の過程で滅んだ各種民族の童女3000人を引きつれて日本への亡命に成功したのが、当時の中華世界で知られており、戦乱から逃れるべく新たな新天地を目指してあらゆるルートで日本を目指した。

そして、弥生時代前半から後半にかけて東北地方では米に稗、粟だけでなく麦栽培が急速に広がっており、羊や山羊の骨が発掘される範囲が年代が進むごとに広がりを見せているため、西日本を中心とした支配とは別の支配権が確立されたのは間違いないだろう。

『魏志倭人伝』では陸続きに倭国の北から羊毛や乾物、乳腐を交易の品とした北狄に似た民族について言及しており、彼らの国は倭国同様30程存在し、倭国同様に戦争が絶えず鼻が高く、肌が白いなど外見の違いから白匈奴、赤匈奴と命名された。

かくして、日本は大陸からの亡命者、渡来人を受け入れつつ次の段階へと移行する、3世紀後半の西日本でより王権が強いヤマト王権が誕生し、権威を強調する古墳が造られだし、これは、肌が白いが距離の関係上交易のみでしかかかわりがなかった彼らとの関係について変化する切っ掛けになった。
 

最終更新:2014年01月25日 21:54