628 :フォレストン:2014/01/28(火) 10:52:25
腐ってやがる。遅すぎたんだ…!

提督たちの憂鬱 支援SS 英国病(Sick man of Europe)

英国病という言葉がある。
史実英国の経済が、停滞していた1960年代以降、充実した社会保障制度や基幹産業の国有化等の政策によって社会保障負担の増加、国民の勤労意欲低下、既得権益の発生等の経済・社会的な問題が発生した現象を例えた日本における用語である。

史実より早く、この世界でも英国病なる言葉が誕生したのであるが、意味合いは史実のソレとは大きく違っていたのである…。

1950年。
英国において、1冊の雑誌が産声をあげた。
月刊『JAPAN』という名で刊行された、その雑誌は、当時の英国人にとって、未だにミステリアスな国家であった日本の文化や風景、流行などを紹介する貴重な情報源となったのである。

当時は、現在のようなインターネットを使用した、画像やテキストの伝送などが出来るわけもなく、原稿は関係者が、その都度、日本から英国へ持ち込んでいたのであるが、戦争の傷跡も癒えてきたとはいえ、史実のような自由な海外旅行など出来なかった。

渡航制限こそ無かったものの、英国と日本との行き来には、それなり以上の旅費と資格が必要だったのである。
そのようなご時勢に、月刊とはいえ英日間の行き来が可能だったのは、駐日英国大使館が全面協力していたからである。
というか、取材や撮影、編集その他諸々を担当していたのは、大使館スタッフであった。原稿は日本で作り、出版のみ英国本国で行い、流通させていたのである。

なお、英国での出版元は、当時は中堅出版社であった、ピアソン社であった。
売れるかどうか分からない、怪しげな出版物を大手が尻込みするのを横目に、社運をかけて望んだ結果、大成功を収めたのである。

ピアソン社は、その後も日本を題材にした書籍を出版し続け、後に日本からの書籍の輸入・翻訳まで手がけた結果、20世紀末には、世界有数のメディア・コングロマリットにまで成長するのであるが、それはまた別の話である。

肝心の雑誌の出来なのであるが、カラー大判刷りの日本の四季の風景やファッション、サブカルチャー等、当時の英国人には非常に新鮮で、大好評であった。
特に若者世代には、アニメや漫画といったサブカルチャーの人気は絶大であり、後に専門誌が刊行されることになる。

629 :フォレストン:2014/01/28(火) 10:56:05
日本のサブカルに人気が出れば、輸入しようとする動きが出るのは当然なのであるが、当時の英国と日本の関係は、良くて中立と言った程度であり、戦前の裏切り行為もあってか、日本側の反応は今ひとつ芳しくなかった。
さらに、著作権や翻訳などの問題もあったため、作業は遅遅として進まなかったのである。

漫画やアニメを見たくても、諸所諸々の事情でそれは不可能。ならばどうするか。
答えは同人誌の輸入である。正確には同人誌の翻訳出版なのであるが。
同人誌の場合、ファン活動の一環として著作権問題は回避可能であり、版権は同人作家に存在するので、本人と直接交渉すれば良いのである。

同人作家との交渉は、現地の駐日英国大使館のエージェントが行ったのであるが、興味は示してくれたものの、出版となるとほとんどの作家が尻込みした。
従軍経験のある同人作家からしてみれば、裏切り者の英国に媚を売る行為であったし、そうでない者にしても、今後の同人活動に影響が出ることを危惧したのである。
それでも粘り強く交渉を続けた結果、少数であるが、翻訳出版の許可をもらうことが出来たのである。

許可がもらえたら、あとは翻訳出版するだけなのであるが、事はそう簡単に運ばなかった。
日本の同人誌と、当時主流だったブリティッシュコミックでは、あまりにもスタイルが違い過ぎて、そのまま翻訳出版出来なかったのである。

日本の同人誌は、文章が縦読みのため、ページは右から左へと読んでいくのであるが、当時のブリティッシュコミックは、テキストが英文のため、左から右へ読んでいくスタイルであった。
そのまま翻訳しても、読みにくいうえに、作画の構成上不自然なので、根本的な対策が必要となったのである。

この問題を解決するために、ピアソン社は英国大使館のスタッフ(同人作家)と協議を重ね、同人誌の翻訳出版のためのテンプレートとでも言うべきものを確立したのである。

  • 印刷サイズの拡大(B5→A4)
  • 作画の左右反転
  • 擬音、擬声の処理

細かい修正点は他にもあるが、主な変更点は上記3つである。
これらの変更により、同人誌の翻訳出版が可能となり、広く英国内で読まれることになるのである。

同人誌の標準印刷サイズであるB5は、江戸時代の公用紙であった、美濃紙由来の日本独自の規格であり、英国には存在しないため、近いサイズであるA4サイズに拡大された。
これは、表意文字である漢字を使う日本語が、文章を短くまとめることが可能なことに対し、アルファベットのみの英文は、文章が長くなるために、印字スペースを広く取る必要があるために取られた処置でもあった。

英文は左から右方向へ読むため、ページも左から右へ読み進めるスタイルが望ましかった。
そのため、作画を左右反転して吹き出し位置とサイズを調整して、ページ構成を違和感無いようにしたのである。

日本の漫画の特徴である擬音や擬声の表現であるが、当初は枠外に対応する英語を挿入することで対処した。
後の翻訳同人誌では違和感が無いように、擬音・擬声を英文にリデザインしている。
その完成度は高く、初めて翻訳同人誌を手にした日本人が、英国の同人誌のレベルの高さに驚いたという逸話が残っている。

630 :フォレストン:2014/01/28(火) 10:58:41

「本当にこの内容を出すのですか!?」
「こんなのが流通しているなんて、日本の公序良俗はどうなっているのだ…!?」
「本人は表現の自由だと言っていましたが…」
「この修正っていらないんじゃ?そのままにしたほうが良いよなぁ」

幾多の困難を乗り越え、遂に英国で初の翻訳同人誌が出版された。
今までにない斬新なスタイルと、美麗な作画、ストーリー、そして手ごろな値段で瞬く間に大ヒットとなったのである。

出版と同時に大反響を呼んだそれは、なんとエロ同人誌であった。
なぜこのようなことになったのかというと、翻訳出版に尻込みする大半の同人作家の中で、了承をくれた数少ない作家が、そっち系だったからである。

当然、取り締まるべきだ、即刻回収すべしという声が挙がったのであるが、当時の英国には取り締まる法律は存在せず、若者世代の絶大な支持もあり、事実上野放し状態となったのである。

紳士の国である英国ならば、このようなシロモノが爆発的に拡がることなど有り得ないのであるが、戦後の孤立と閉塞感による抑圧の反動が、このような形を取ったのではないかと、後世の歴史学者は分析している。

この手の本としては10万部という、驚天動地のベストセラーを記録したおかげで、件の同人作家は印税で一財産を築いたのである。それだけで終われば美談で済むのであるが、そうはならないのが、憂鬱世界である。
成功者に続けとばかりに、日本の同人業界で、少数派や陽の目を見ない同人作家が、駐日大使館に作品を持ち込む事例が多発したのである。

持ち込まれた作品であるが、正統派な2次同人誌は少数派で、801やレズなどのエロ同人誌が大半であった。
大使館スタッフの厳しい評価をクリアした同人誌は、大使館内で翻訳、英国本国で校正されてから出版され、その全てが大ヒットした。
現在になっても駐日英国大使館に、作品の持ち込みが絶えないのは、このような理由があったのである。

英国内に急速に拡がった翻訳同人誌は、良い意味で、旧来の英国の性的価値観を破壊した。
特にこの時代、英国では同性愛は違法であり、801同人誌並びにその出版元に対して批判が殺到したのであるが、取り締まる法律が無いためにどうにもならなかったのである。
社会的価値観の変化により、その後英国では、同性愛を禁じる法律が撤廃され、多くの同性愛者が、生き甲斐を見つけることになるのであるが、それはまた別の話である。

631 :フォレストン:2014/01/28(火) 11:00:48
英国内に同人誌が広く流通すると、自ら同人誌を作ろうとする人間が増えてきた。
それに応えるように漫画作成のハウツー本が出版され、同人作家が急増したのである。
漫画を描くために必要な道具は、最初は日本からの輸入に頼っていたのであるが、やがて国内の文具器メーカーが生産を開始し、同人誌を描く環境が整うことになるのである。

最初は翻訳同人誌を模倣するところから、始まった英国の同人誌であるが、1960年代になると、独自のスタイルを確立し、大いに隆盛することになる。
特にエロ同人誌は、本家日本の同人誌よりも過激な表現(無修正)が増え、総カラー刷りであるために実用性も素晴らしく、日本に逆輸入されたのであるが、これが問題となるのである。

当時、英国と日本の貿易は燃料や食料が主であり、その他の物品については、商社を介して、その都度輸入するという形を取っており、英国製同人誌も最初はそのルートで輸入された。
しかし、表現が過激であるため、法的には問題無かったものの、商社側の自主規制により輸入が禁止された。そこに目をつけたのが、裏社会の住民達である。

戦前戦後を通して、夢幻会の主導で国内治安が保たれている日本であるが、それは同時に裏社会の住民にとっては住みにくい世の中であった。
収入源を断たれた日本のヤクザは、国外の犯罪組織と連携することになるのであるが、そこに絡んでくるのが、英国製(エロ)同人誌である。

英国から華南連邦へ持ち込まれた同人誌を、公海上で日本のヤクザが受け取り、国内へ流したのである。
華南連邦の犯罪組織としては、貴重な外貨獲得手段となり、日本のヤクザからしてみれば、いくらでも高値で売れるので、金蔓と化したのである。

海上保安庁は取り締まりに追われ、休む間も無いほど忙しくなり、特に第7管区は戦場と言われるほど壮絶な状況となった。
新型巡視船を優先配備するなどして対応したものの、焼け石に水であり、海上保安庁長官である某海軍大将の頭を悩ますことになる。

632 :フォレストン:2014/01/28(火) 11:04:14
1960年代後半になると、日本だけでなく、国内の人物やキャラクターを題材にした同人誌が増えてきたのであるが、特に熱狂的でカルトな人気となったのが、ホー○ズ×○トソンな801同人誌である。
元来からの、熱烈なホームズファンである、シャーロキアンな女性が描いたものなのであるが、瞬く間に女性信者を増やし、ホームズファンの集まりでは、淑女達がどちらが先かで論争となることが常であったという。

その他にも、英国で伝承されている妖精の擬人化などが盛んに行われ、妖精図鑑なるものも刊行された。
グランパスやブラウニー、デュラハンなどが、萌え絵で擬人化されており、大ヒットしたのである。
ちなみに後に翻訳され、『萌え萌え妖精図鑑』の名で日本でも発売されている。

最初は英国本国内のみの流通であった、翻訳同人誌であったが、後に英連邦内全域に流通し、その規模は既に同人レベルでは済まなくなっていたのであるが、名称が変更されることは無かった。

自主規制をかけている、日本の同人とは違い、英国面的な変態、かつフリーダムな英国製同人誌は世界に広がり、かくして、同人誌は『Doujin』として、世界に認知されたのである。
現在同人誌は『Doujin』として英語化しており、意味はコミック(Comic)と同義とされている。

この一連の状況を後世の日本人(転生者)たちは、英国病と称したのである。
史実の英国病とは、ベクトルが違うものの、病気という意味ではまさに、そのものズバリな形容であった。

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最終更新:2014年02月19日 21:47