時代を振り返る~戦時下
アメリカに置ける物資の窮乏~その1
1941年8月より始まる太平洋戦争。
多くのアメリカ人にとって日本などという国は、名前を知っていればいい方で、その実態を知るどころか興味を持つ者すら少なかったとされる。
しかしながら史実以上の急速な成長や、金融攻勢による悪名によって、民衆の中に憎悪や恐怖だけは潜在的に蓄積されており、
後の識者には太平洋戦争の開戦もその辺りの不満が原因ではないかと言う指摘も多くある。
どちらにせよ独り勝ちを続ける日本人は、既に名前だけが一人歩きし始めており、
政府が情報操作し、その色のない日本という名前に敵という色を付ければ、それだけで民衆は一気に日本の名を認知出来る状況にあったと言えよう。
開戦の経緯については批判が多く、ハルノートを始め中華共産党の政治工作の暴露などのセンセーショナルな事件により、
当時の大統領や議会の暴走と捉えられがちではある。
だが民衆そのものも漠然とした不安と恐怖を払拭するため、開戦を強く望んでいたと言う当時の政治背景は見逃すことは出来ない。
開戦の下地自体は当の日本、その人によって耕されていたとも言えるだろう。
もちろん、日本側の視点から見れば、アメリカは武力や経済力を武器に、脅しをかけてくる粗野な国であり、
譲歩すれば譲歩するだけ踏み込んで来る上に満足せず、挙句の果てには理不尽な理由で喧嘩をふっかけてきた野蛮人である。
日本側もまた、火がつけば抑える事の出来ない一触即発の不満を溜め込んでおり、溜まりに溜まった不満のぶつけ処が出来れば制御は難しかった。
そもそも、アメリカは豊かな国であるというイメージが日本側視点ではあり、彼らの貪欲な物欲や支配欲の源泉を誤解していた面もある。
日本視点では、アメリカと言う国のハングリー精神は単なる過ぎた強欲であり、理性の箍の外れた化物のように映っていたかもしれない。
しかし実際にはそれは、アメリカの上澄みだけを見た印象である。
史実でもルーズベルトが言っているように、この頃のアメリカ国民の3分の1は食べ物が少なく、粗末な住居に住み、衣服も足りていなかった。
ただし、
夢幻会によって経済的に痛めつけられた憂鬱アメリカでは、手痛い損害と共に得た教訓から中央銀行の能力を強化しており、
ことこの問題に関しては寧ろ、史実世界よりも経済的弱者の数は少なかったと言えよう。
残念ながら、それでも全人口の4分の1程度が困窮していたと思われるが。
しかしこれらの末期的状況は戦時経済により、食糧や消費財の統制が進む中である程度解消される事となる。
物資統制によって、共産主義染みた発想であるがある程度富の偏在が正された形となり、一時的にはむしろ低迷していたアメリカ経済を賦活する効果があった。
(そもそもこの時代、アメリカは共産主義染みた政策を連発しており、それがますます戦後、共産主義勢力との繋がりに関して説得力を持たせていたと思われる。)
また一連の流れは経済的に弱者であった者たちに、寧ろ戦争によってアメリカと言う国が豊かになったかのような錯覚さえ与えたのである。
それは開戦から中国大陸にあった勢力が瞬く間に排除され、両海洋に置ける通商破壊が本格化するまでの儚い夢想ではあったが、
そこには確かに熱狂に足る火があり、アメリカの旺盛な闘争心を支えた源となったのは想像に難く無い。
301 :駆動戦士:2014/01/20(月) 17:07:26
そうした背景もあり、戦況がアメリカの不利に推移し、物資が欠乏して行く中でも、低所得層からの支持は比較的厚かった。
自身が苦しいのは変わらないが、それは開戦前からの話であり、寧ろ安定した職が得られる戦時経済を歓迎していた節もある。
そもそも彼らは疑う能力の低い低学歴者の集団であり、良くも悪くもプリミティブな大衆であった。
政府公報を鵜呑みにしがちな彼らは、終戦まで大統領を支えた密かな勢力の一つだった。
しかしながら無論の事、残りの4分の3の民衆の中には反戦活動などをおっぱじめる者たちも居る。
こうした活動の中心となるのは何処の国でも、若き学生と中産階級である。
彼らの活動もまた何時になく苛烈なもので、アメリカ当局の頭を悩ませた。
彼らの不満の源泉は主に、徴兵の恐怖を別とすれば消費財の統制であり、特に自動車のユーザー層の不満は大きかった。
日本軍は石油を山程搭載した船舶及び航空機をバカスカと見事に撃ち落としてくれるので、石油の消費は莫大なものである。
輸送船は作る端から漁礁と化し、軍艦は海に重油を撒くだけの巨大な一斗缶と化しつつある。
また、いくら1940年代、テキサスに莫大な油田の埋蔵量があろうと、それを取り出し精製する産油能力には限界があった。
短期間に莫大な需要を強いられ、国外からの輸入も通商破壊によって停止して居る中では、ガソリンの供給統制は非常に厳しい物とならざるを得ない。
その上製鉄所もフル回転であり、それに伴い火力発電所に要求される発電量も無茶なまでに増えていた。
もはやいくら石油があっても足りない状態である。文字通り、ザルに流し込むがごとき有様であった。
しかし、それよりもさらに深刻な問題が直ぐに浮上する。それは《ゴム》である。
アメリカはほぼ全ての戦略資源を自給可能な恐るべき国であり、ヘリウムなどに至ってはこの時代、
アメリカ以外の産出はほぼ不可能であるなど、逸話にはこと欠かさない。
しかし、1941年当時のアメリカでは、《ゴム》だけは輸入に完全に頼り切っていた。
無論、開戦前からイギリス領東南アジアから輸入する天然ゴムに頼りきりの状況を憂い、合成ゴムの研究に邁進するものの成果はイマイチである。
結局、史実世界では七年以上の研究期間が必要であり、1945年の研究完了までは、
密かに敵国であるナチスドイツの企業から合成ゴムを、莫大な石油を対価に輸入しながら戦うと言う有様であったのだ。
その上この世界においては史実以上の経済的困窮から、優先度の低かった合成ゴム研究は下火であり*1、
そういう背景もあって、アメリカは憂鬱日本の企業*2やドイツ企業の持つ合成ゴム技術を喉から手が出る程欲していた。
しかし結局、終戦まで研究は続けられたが全てが甚だ空振りに終わり、
衝号抜きアメリカではナチスドイツとの密約によって合成ゴムの技術を得ると言う計画も浮上していたが、
終戦までに形になる事は無かった。
302 :駆動戦士:2014/01/20(月) 17:09:11
では、そんな衝号抜きのアメリカでは、どのようにしてゴムを調達していたのだろうか?勿論、開戦初期に保有していたゴムの貯蓄は早々に尽きている。
船舶にも航空機にも戦車にも、爆弾や特殊燃料にも無くてはならない《ゴム》。
史実日本では東南アジアを早期に傘下に収めていた為、(精度はともかく)パッキンや燃料添加剤、戦車のキャタピラ、エンジンの緩衝材、タイヤ、ゴムタイルなどには、輸送が壊滅するまであまり困らなかった。
だがこのアメリカの手の届く範囲には何処にもゴムが、無い。
日本は主要なアメリカ行きの航路全域に戦争水域宣言を出し、近づく船は船籍に関係なく拿捕、あるいは撃沈のさせていた為、ゴム流通も停滞している。
カナリア諸島を放棄したため、大西洋の航路には穴が生まれていたものの、
ドイツは順調に欧州を攻略しており、総統は寧ろアメリカの窮乏化を良しとした為に、輸入が求められない状況下であり、
戦況が日本有利に進むにつれ、英国もアメリカと距離を置きつつあった。
最終的には日本からの要請もありアメリカから供給される物資と、日本と敵対するリスクをギリギリまで天秤にかけた結果、植民地の被害を恐れてゴムの輸出を控える事となる。
(勿論、そのための取引で日本は強かに毟られたが)
ここに来てアメリカのゴム供給の道は途絶えた。
そこで、仕方なくアメリカの取った道は《再生ゴム》の使用である。
民間の自動車用タイヤに始まり、ゴムパッキン、ゴムシート、チューインガム*3、輪ゴム、衣料用ゴム、長靴、靴底に至るまでが《徴発》され、
アメリカの街からはゴム製品が一斉に消えた。
この政策はニューヨークの重役が爆弾で消し飛んだ後に更に過激化し、強権によって各州にノルマが課せられ、必死にかき集められたゴムの量は莫大な量に登る。
「明日履いて行くパンツが無い。」
とは、正にこの時代を表した言葉だと伝えられる。
また、人々の家に押し入りゴム製品を押収して行く連邦警察と暇な陸軍によって構成されたゴムの回収部隊は、通称「パンツ狩り部隊」と呼ばれ揶揄された。
(日本では未だに褌が主流でありこの問題は発生し得ない為、同時代のアメリカの特徴をよく捉えているとも言えよう。)
皮肉な事に、史実日本の金属の徴発の焼き回しの如く、ゴムの消えた街では代用品が求められ、窓枠や炊事場などの気密部品では主にセメントや鉛*4が用いられる事となった。
タイヤは圧縮成形した木製の物や、プラスチック製や塩化ビニル製の物が盛んに流通し、
これは代表的な戦時下のテンプレートイメージとなる事となる。
また、この事実を例に上げ、後のアメリカでは日本に勝てる訳が無かったのだ等と演説を振る人間が多数生まれた点も皮肉であろう。
■
兎も角、このような末期戦そのもののアメリカ政府の行動が、市民に強い不安を与え、敗戦の予感を想起させたのは想像に難く無い。
また、前線に置いても再生ゴムの多量に使われた品質の劣悪な兵器を見て、兵士は祖国の窮状を悟る事となる。*5
口さがない兵士などは、「俺たちはチューインガムとパンツで出来たデザートに乗ってジャップと戦争するのか!」と怒鳴り散らす有様である。
品質の劣悪なゴム製品はすぐにヒビが入り、熱や直射日光で溶ける。
そのためガソリン漏れやパンク、キャタピラの断裂などにアメリカ兵は悩まされ、
火気厳禁の領域が増え過ぎたせいでタバコを吸う兵士たちからは大きな不満が上がった。
それは戦後、見事に稼働しガソリン漏れに神経を尖らせないで済む日本製兵器を見て、あるアメリカ兵は納得のいかなかった敗北を受け入れたと言う逸話が残る程だ。
そしてここではゴムを大きく取り上げたが、戦時下のアメリカでは鉄製品や石油由来の衣料品、
医薬品に至るまでもが徐々に欠乏して行き、真綿で首を絞められるかの如く、徐々に敗戦に至る事となるのだ・・・・。
303 :駆動戦士:2014/01/20(月) 17:09:43
第一回、時代を振り返る~戦時下アメリカに置ける物資の窮乏~
をご覧頂き、ありがとうございました。
それでは、また会う日まで。
※1(瞬く間に東南アジアが占領され、輸入ルートが日本によって破壊されるとは、史実アメリカも想定していなかった)
※2(潜水艦用の硬質ゴムタイルの開発から、持っていると判断)
※3(ガムの原料であるサポジラの樹液からは、効率は悪いがゴム製品を作れる)
※4(アメリカではこの時点でもまだ鉛に困ってはいなかったと思われる)
※5(言うまでも無く、再生ゴムは極めてゴムとしての性能が悪い)
どうだったでしょうか?年末頃に約束した作品で今更ですが、アメリカの窮乏化の一端を書かせて頂きました。
設定を盛った部分や、独自の推測などが含まれるため、矛盾点なども有りましょうが、ご笑覧頂ければ幸いです。
それでは。
最終更新:2014年03月26日 13:20