351 :名無しさん:2014/01/21(火) 02:14:20
現在第二話を製作中だったんですが、第一話を読み直すうち少々説明不足だった点や、駆け足過ぎた点などに気付きました。
なので、ひとまず筆を置き、前回のゴムの話の続きからをさせて頂くとする事にします。
時代を振り返る~戦時下
アメリカに置ける物資の窮乏~その1.5
通称破壊が軌道に乗った事により、徐々にゴム不足の状況を把握しつつあったアメリカは、
これまで軽視していた様々なルートからゴムの輸入を強化しており、また代替品の開発や発掘の努力を欠かさなかった。
しかしその涙ぐましい努力の結果集められたゴムで誤魔化せたのは、ごく限られた期間であり、いわゆる焼け石に水であった。
結局の所絶対量が足りなかったのだ。
結果として混ぜ物で水増しされ劣悪な粗悪品と化してしまうと言う、悲しい経過を辿るのである。
当たり前の事だが、再生ゴムによる水増しの割合は戦争中、時間の経過と共に指数関数的に酷くなっていった。
終戦後の帝国軍の調査では、後期型のアメリカ製兵器に用いられたゴムからは、最大で80%の再生ゴムの割合を記録したと言われる。
そのアメリカの涙ぐましい努力の一部をここに紹介しようと思う。
1
□メキシコ北部に自生するキク科一年草の灌木であるグアユールゴムノキからの調達。
この木は砕いて煮詰める事で多少のゴムを産するが、樹脂の含有量が多く精製に手間がかかり、性能が低い。
また、これまでゴムの生産の為に栽培されていたり、収穫されたいた経験があまりないため、不整地に自生するそれらの回収効率は当然ながら低い。
それでもアメリカの要請で、メキシコ人は苦労して運搬して工場に持って行くものの、その生産効率の悪さから賃金に泣く事となる。
当然ながら、戦争の推移と共にアメリカを見限ったメキシコが憎きアメリカの言うことなど聞くはずも無く、
特に原爆投下以後は供給が完全に途絶える。
2
□中央アメリカに自生するクワ科高木のパナゴムノキからの収穫。
中央アメリカも、パナマ運河の利権がどこにあるかを考えれば明白な事であるが、アメリカの傘下である。
樹皮の再生が遅く年に数回しか切りつけられないので、ゴムの収穫効率は絶望的。
アメリカの要請により、限度を無視してゴムを採取された多くの木が枯死し、一時は絶滅を危惧された。
また同地域にはサポジラと言うガムの原料の木も生えており、こちらは大々的に栽培もされていた。
しかし戦況の推移と共に以下同文。
3
□リベリア・プランテーションからのゴム輸入。
史実に置いてもアメリカのゴム需要を支えたリベリアゴムであるが、衝号抜きアメリカのような消耗戦で無かった史実でさえ、
その生産力では戦線を支えることは出来ていない。
大量の兵器を使い捨てにする消耗戦に推移した衝号抜きアメリカでは当然、焼け石に水である。
また、開戦中期に置いては大西洋航路までもが大きな被害にあったため、一時供給が途絶したことも。
プランテーションで黒人を奴隷同様に酷使し尽くし、戦後アメリカの悪名の一角を築いた。
便宜上独立してはいたものの、実質は植民地同然であり、開戦後は暴動の連発。
蜂起した民衆は戦争の推移と共に以下同文。
352 :駆動戦士:2014/01/21(火) 02:15:09
■
その他、英領でも枢軸勢力でないゴムの産地からの輸入や、パラゴムノキ以外の代替ゴム(サポジラ・アフリカゴムノキなど)の使用、
ソビエトに倣い、ロシアタンポポの栽培によるゴム精製など、打てるだけの手は打っていたが全ては結果が物語っている。
一時はアメリカの学校という学校の校庭がロシアタンポポの畑と化し、生徒が世話をしていたとも言われるが、それも宜なるかな。
この時代、ゴムの産地に関しては、その多くが英領であるか枢軸勢力のものであったからして、アメリカの選択の余地は少なかった。
武力で獲りに行ってただでさえ少ないゴムの消費に拍車をかけるのも馬鹿らしい話であるし、
実際、日本を相手に二正面作戦を行うなどというのは悪夢そのものであると、そこは珍しく軍部も政界も意見が一致していた所でもある。
イギリスだけでなく、ナチスドイツとの交渉についても粘り強く行われていたものの、
イギリスは前述の通り植民地の人質を前に屈したし、ドイツはドイツで、アメリカが負けた所で、
日本が本気で広大なアメリカ全土を掌握できるなどと微塵も思っていないので楽観的である。
欧州の大戦も佳境であり、合成可能とはいえ貴重なゴムの消費は自国で全て行いたいという思惑もあるし、
アメリカがもっと弱り切った頃にぶん殴る気まんまんのドイツは目の前で調理されつつある牛の命乞いなど聞く耳を持たなかった。
そもそもが前大戦の仇敵である。
こうしてアメリカのゴム供給は、終戦までついぞ回復する事は無かったのである。
最終更新:2014年03月26日 13:20