670 :高雄丸の人:2014/04/30(水) 19:39:58
大祖国戦争。
ドイツを中心とする枢軸軍による、ソビエト連邦への侵攻に始まった戦争である。
この戦争で、ソビエト赤軍は必死の抵抗を行い、侵攻してきたドイツ軍に大きな損害を与えたものの、自らも大損害を受けて敗北した。
亡国となることだけは避けられたものの、食糧生産の中心地であったウクライナ・ソビエト社会主義共和国や白ロシア・ソビエト社会主義
共和国など東欧地域のソビエト連邦加盟国を失い、劣勢巻き返しを狙って行われた
アメリカ共産主義者への支援などを理由に
国際的な信用すら失った。
しかし存亡の縁に立ったこの国の、国政に携わる人間たちはその程度で諦めることはなかった。
―
支援SS 人造国家ソビエト連邦の新たなる夜明け―
戦争に敗北し、面積としては僅かだが政治・経済的には重要な大部分を失ったソビエト連邦は改めて自らの立ち位置に恐怖
したといえる。
1939年までの間、国内の大規模な粛清劇があったとはいえ、規模で言えば世界最大規模の陸軍戦力を有していたソビエトは、
軍内部の実情はどうあれ、他国との戦争では一時の苦戦はあっても敗北などあり得ないと考えられてきた。
1939年冬に始まった冬戦争では、日芬連合軍によって手痛い被害を受けたものの外交の場で何とか盛り返し、(損害には
見合わないものの)領土などの成果を得ていた。
重工業化政策は躓いたものの、KV-1などの機甲戦力や各種火砲の開発と製造を行う力のあったソビエトは、自らの戦力に自信を
持っていたのだ。
ところが、大祖国戦争ではその重工業化失敗が大きく祟ることになる。
冬戦争で日本軍が持ち込んだ九七式中戦車相手に火力不足だったKV-1の改良と共に、機動力を高めたT-39の開発や九六式
戦闘機と渡り合えるような戦闘機の開発など、冬戦争での戦訓を活かして粛清によって質の低下した軍の立て直しを図っていた
最中であった。
これらの兵器は確かに、侵攻してきたドイツ軍に少なからずの被害を与えた。しかし、戦争とは一定以上の質を持つ兵器をいかに
大量に前線へと送り込めるかというものである。前線での果敢な防衛戦闘と、戦争を予期していなかったが故の準備不足から
ソ連軍はそうした有力な装備の多くを失った。
そして、なによりもその失った有力な装備を補充するだけの力が、ソビエトにはなかったのだ。
671 :高雄丸の人:2014/04/30(水) 19:43:32
無理やりにも装備の補充をした結果が、戦争末期に多く見られた、大小火砲の暴発事故やまともに起動しない各種車輌などと
いった事案である。
すべての問題が、重工業化政策の失敗に起因しているといえた。
結局、そのような装備をそろえられなかった赤軍に効果的な反攻作戦などできるわけがなく、大規模反攻作戦「バグラチオン」
の頓挫によって戦争に敗北した。
ソビエト連邦上層部を含め、ソビエト連邦に住むロシア人たちはドイツ軍の占領地(もしくはドイツの衛星国)でのスラブ系人種に
対する弾圧の厳しさに、恐怖を覚えた。
自分たちを守るための矛であり盾である赤軍が、大祖国戦争で大打撃を受けた以上、明日は我が身という危機感が非常に強かったのだ。
そこで赤軍は、ソビエト連邦再建を目指した8月トロイカ体制が行う日本との取引で行う重工業化に合わせて、軍の機械化と再建を目指す
「ヴァスホート(日の出)計画」を計画・実行した。
内容は至ってシンプルである。
1.安定した品質の兵器の配備
2.ドイツ軍(または日本軍)と対等に戦える性能の兵器開発
1は大祖国戦争中期以後、戦時量産による品質悪化によって兵器が使用できない、または暴発事故を起こすなどの問題から来ている。
具体的には、比較的品質が落ちても問題がないように機構の簡略化や部品点数の減少、設計段階から一定以上の余裕を持たせると
いった方針である。
2はより単純に、日独が日進月歩の勢いで開発する各種兵器に追いつくべく新兵器の開発とその生産を行うというものである。
たとえば、製造を優先されて新規開発のできずにいた空軍機の新規開発(対富嶽用迎撃機からIl-2の後継襲撃機など)や日独陸軍の
新型戦車を圧倒できるT-44の後継戦車開発など、様々な兵器の開発を推進するというものである。
このヴァスホート計画はあくまで、8月トロイカ体制が推進する重工業化に合わせた進捗であったが、スラブ民族の奴隷化という
危機感から政府の密接な協力もあって1については比較的早期(具体的には1945年末)には一定のめどがついた。
モシンナガン騎兵銃型のM1938に折りたたみ銃剣を装備したM1944型やF-22 76.2mm野砲を強化したBS-3 100mm野砲などが
製造・配備されるなど、軍再建は順調に進んでいた。
672 :高雄丸の人:2014/04/30(水) 19:45:35
しかし、匪賊討伐(という名目)で侵攻した中華民国領内で鹵獲したり製造設備を接収した一九一八年型
75mm野砲(三八式野砲の中華民国生産型)などの旧式日本製兵器が、日本はもとよりソビエト内でも旧式化が
明らかであるにもかかわらず、「あの日本軍が使っていた(もしくは日本製だから)」という理由で現場では運用され続けた。
結局、赤軍の各部隊では自国製兵器の信頼性を取り戻すために長い時間を擁することになった。ヴァスホート計画後の
信頼性を高めた兵器であってもそれは変わらず、新兵が最初に教えらることは「配備された自国製兵器は暴発の
危険性を持て」というものだったとまで言われる。
しかし、軍上層部や技術部などは信頼性回復と上記の2を達成するために必死の努力を続け、ソビエト連邦崩壊と内部
情報の確保によって得られた各種兵器の情報は、一度瀕死の体にまで落ち込んだ国家とは思えないほどの復興ぶりを
見せていたという(独パンターⅡの対抗馬であったT-52がパンターⅡと比較してやや優勢という性能だったり、配備されていた
小銃や機関銃はドイツ製と比べて故障率が低かったなど)。
史実において、宇宙という広大な希望を見せた「ヴァスホート計画」と同じ名前のこのプロジェクト。
宇宙という希望を見せることこそできなかったものの、一度沈んでしまったソビエトという国家に、国家再興と国民の安寧を
守りうるという点で多くの人々へ希望を見せることができたことを考えれば、確かにそれはその地にすむ人々の心に見えた
『日の出』だったのかもしれない・・・
673 :高雄丸の人:2014/04/30(水) 19:47:11
あとがき
お久しぶりです。
戦後編12話でソ連が中華民国へ侵攻したことを受けて、「大祖国戦争の影響で自国製兵器は信頼されてなさそう」「日本軍が運用した兵器って
中華民国にも売ってるよね。となると、日本製ってだけで信頼されてそう」という二つの考えから生まれた話となりました。
戦後編でのソ連製は信頼されてなさそうだったので、鹵獲したり接収した製造設備で自国向けに製造させた元日本軍運用の旧式兵器を
使用してそうだな、なんて考えたのですが兵器国産は国防上重要なことなので、赤軍がそれでよしとはしなさそうと考えた結果がこのようになりました。
共産主義的な思考はあまり好きではありませんが、ソ連軍(またはロシア軍)の兵器ってかなり好みの部類なので、ソ連支援もかねて
投稿させていただきました。
次回のSS投稿でもよろしくお願いします。
最終更新:2014年05月03日 21:49