676 :ななしさん:2014/05/03(土) 14:46:43
お久しぶりです。とある劇場の続きを書いているうちに浮かんだものを投稿させて頂きます。


とある劇場にて 六月の公演余話

「月間音楽」六月号 日本音楽の魅力 著 中野独人 ※抜粋

「Northern Alliance Orchestra」の公演は控えめに評しても世界的な人気を博している。
彼らの魅力は彼らの奏でる音色はもちろんのこと、それを下地にした新音楽の開拓、さらには幅広い広告媒体への出演。
極めつけはそれらを録音したレコード盤の完成度の高さが彼らの人気の原動力であるといえる。
この楽団の創設者はいわずと知れた吉村貫一郎であることは読者諸君はご承知のことであろう。
だが、彼が冥界の門をたたいてから十年以上になる今となってもわれわれが知らないことがある。
何故に彼のような才能がこの国に生まれ、何故に彼のつむぎだした音楽がこれほどまでわれわれを魅了しているのか。
さらにいえば、彼一人で成り立っているこの楽団の音楽性の他者への継承がこれほどまでに円滑に進み、発展しているのか。
今回われわれはその知りえないことを知るために吉村氏の下でコンサートマスターを勤め、
現在は指揮者である斉藤一氏にお越しいただき彼の業績を改めて見直してまいりたいと思います。


発売前の雑誌のページをめくる手を止め、わしはふと、あの日々のことを思い出した。
なんの因果か、あやつとは馬が合わぬのになんだかんだと終生までの付き合いとなったことに苦笑を禁じえなかった。
そして、あの時ついつい語ってしまったことは幸いにもしっかりとわしの意図を汲んでくれたことほっとした。
もし、あのときのことを汲んでくれねば池田の小僧や永倉にいい年してどやされる羽目になる。

677 :ななしさん:2014/05/03(土) 14:47:14
会津へとひたひたと死神の足音が迫りくる中で、どのようにしてかいくぐってきたのかわからぬ飛脚が持っていた楽譜。
その名を見れば、あやつの名がしたためられ、ためしにとそこいらにあった楽器で演奏をしてみればその音色のなんと勇壮なことか…
会津の人々は景気づけ代わりとしか見ていなかったが、新撰組の連中はそこに秘められていた感情、すなわち激情に共感したのだったか。
思いのすべてをささげんとして、腐り果てた彼らに見捨てられ、分不相応にも武士という身分を炎の中へと投げ入れる役割となった我ら。
その言い知れぬ激情にぼろぼろになった我らはこの音色にどれだけ救われただろうか。その役割を演じきってこそ我らは最後にして最高の侍となるのだと。
小さく楽譜の隅に書かれた「この音色こそ我らなれば我もまた音色とともに同道す」その文字にこそあの音色の根幹なのだと信じて疑わぬ。
その音色は、残念ながら記者諸君が真っ先に思い浮かべる曲ではない。
あの曲はわれわれの中では最も尊いものなのだ。基督教でたとえるならば福音がもっとも相応しいだろうな。
われわれがあの時震えた曲は「同盟軍賛歌」朝敵とされた我々列藩同盟の公式軍歌。
あの曲は今では帝国によって「帝国軍賛歌」改変されたが今でも知っている人は知っている曲だ。
それに加えてあの旋律は、三年間に成立したアイルランド自由国の国歌になっている。
あやつが作り上げた曲の中には必ずといっていいほどに激情が秘められている。
虐げられ、抑圧された怒り。それこそがあやつの源泉なのだとわしは見ている。
その根底を知り、記者諸君が思い浮かべた曲を聞いてみたまえ。
あやつの作曲した「御旗の下に」は遠くフランスの軍にも使われるほどのすばらしさがそこにある。


らしくもなくあの時は饒舌になった。本当のところ、あそこまで記者にしゃべるつもりはなかったが……
やはり、体の老いが知らぬうちにわしを急かしたのだろう。誰もが知り誰もが知らぬあのときのことを。
虐げられ、抑圧されそれでもなお叫ばねばならない怒り。薩長は確かにこの国を一等国にした。
それは認めねばならない。だが、その中で切り捨ててきたものが未だにいるのも事実なのだ。
その事実を忘れたとき、そのときこそがあやつの音色が刃になるときなのだろう。
人というものは忘れっぽいのは事実、だが忘れにくいのも事実。特に抑圧されたものにとっては…

この曲が忘れられることを恐れ、わしは会津での戦の後あの曲と共に函館まで追うことを決めた。
函館陥落の間際までに暗譜で覚え、限られた紙の中でそれを書き写しフランス軍顧問に託した。
戦を間近で見た彼らに拝みながら押し付けたが正しいかもしれないが、彼らは力強くうなづいた。

函館降伏の後、わしは牢の中で吉村と再会し沙汰を待った。死は免れぬと端からわかっていた。
しばらくするとなぜかわしらは赦免となり、娑婆の中で同じく生き残った永倉に聞くと外圧で生き延びたことを知った。
何でも彼らは帰国すると一切を剽窃することなく軍楽隊に楽譜をたたきつけ彼らを救ってくれと頼み込んだらしい。
そして、軍楽隊は上層部に。伝が会った音楽家は王侯貴族に頼み込み外圧がかかったそうだ。
外圧によって戦が起こり外圧によって救われた皮肉。あの時あやつは珍しく蔑んだ笑みを浮かべていた。
心の内側までわかる神仏でないがおそらくと名づけての推察はできる。だが、そればかりはしたくない。
あやつがその後世界各国へわしらを引き連れての巡業や積極的な広告媒体の出演が物語っている。

我々を忘れるな

それこそが最もあやつが言いたかったことなのだろう。そして、それを最も知った息子は函館で命を落とした。
そのときのことを未だに私は語ることができない。
語るにはあまりにも辛い事は明白で、結局あやつにも語らずに今に至った。
語らずともいいだろう。あの少年はあやつと生き写しなのだった。あやつもすぐに思い立ったのだろう。
だからこその蔑んだ笑いは自らとそこまでにいたったもの総てに向けられた。
そして、欧州の破局。おそらくはこれで終わると思う輩もいるが必ずもう一度起こるだろう。
それを思うと、わしは思わず笑わずにはいられなかった。

あやつは死んだ。だが、あやつの音楽は永遠になった。この楽団もまた大野千秋に受け継がれる。

陳腐な表現だがそれこそが恐ろしい呪いに等しい。わしらは魂を揺さぶる音楽を奏でるのだから。

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最終更新:2014年05月03日 21:56