553 :ひゅうが:2013/12/29(日) 02:02:19

大陸日本ネタSS――「米空母マフィアにアイをこめて、あるいは傾向と対策と時々喜劇」




――西暦1920年代から30年代にかけて、アメリカ合衆国海軍は大きな苦悩に直面していた。
対日戦勃発時の海軍の戦力不足が理由である。
日本海軍の自主的軍縮宣言によって8割程度におさえられているものの、日英同盟という強固な関係が米軍の全力投入をためらわせていたのだ。
通称を「鉄血の絆」あるいは「クロスアンドライジングサン」といわれる海洋同盟の片方への対抗上、アメリカ海軍は大西洋艦隊を対日戦に全力投入できない。
そのために一度の決戦によって日本側主力艦隊を撃滅し、一気に日本本土へと侵攻する「オレンジ・プラン」といわれる作戦が策定されていた。

だが、その最終段階において日本側が用意した切り札がアメリカ海軍を大いに迷わせていた。
日本陸海軍「列車砲兵軍団」こそがその脅威の名であった。
日本本土は戦略物資のほとんどを算出するという北米大陸と同様の豊かな資源地帯である。
また、食糧自給率も150パーセントを超えており慢性的な飢餓に苦しむ中華中原への食糧供給基地としての役割を果たしているほどだった。
そのため、対日戦においては政治的中心地たる帝都東京への直接攻撃と関東地方への侵攻作戦が予定されていたのだが、そのためにはどうしても通らねばならぬ関門があったのだ。

「日本本土近海の海上交通路の遮断」

「ことに対馬・関門・豊予・紀淡・津軽・宗谷の五海峡の封鎖」

「日本の工業力の破壊」

これがその内容であった。
このためには、超大型爆撃機の集中投入がまず考えられる。
だが、日本側は本土の工業力でいくらでも迎撃機を量産できるだろうし、そのような悠長なことをしていれば英国や日本の友好国となったドイツに後ろから殴りかかられてしまう。
そのため、艦隊の投入による直接攻撃が考慮された。
だが、そこに立ちはだかったのが列車砲兵軍団と、彼らの親玉である要塞砲部隊であったのだった。
何しろ、彼らが保有するのは戦艦用の41センチ砲を改造した巨大な列車砲が約200~300門、さらには上に挙げた五海峡にはそれぞれ100門ともいわれる無数の要塞砲が配備されている。

特にやっかいなのが、日本本土の主要要塞には多くのトンネルが掘られており、そこから要塞全域を網羅するように鉄道の軌道が慎重に海からの死角になるようなところに張り巡らされていることだった。
それは、艦隊による直接攻撃を試みたとしても、すぐに鉄道を通じて全土から大量の巨砲が集結し、速やかに坑道網を通じて陣地変換を行いながら海上へ巨弾を見舞うことを意味する。
300門、数で言えば簡単だ。
しかし、それは1隻あたり12門と仮定しても25隻もの超弩級戦艦の砲撃に匹敵する。
それらが、高所からの正確な観測を得て砲撃を加えるのだ。
堅固な要塞陣地に対するには最低でもその5倍の火力を海上から投入するのが定石である。
列車砲であることを考慮したらそのハードルはいくらか下がるのだろうが、要塞陣地に集中していたらあらぬ方向から砲撃を浴びて対処不能になることは確実である。

「どうやって対処せよと?わが戦艦部隊に死ねというのか!?」

それが、日本本土における大演習で明らかになった概要を聴いた米海軍首脳の心からの叫びだった。

「戦艦のみではこれに対抗できない。」

という結論に米海軍が達するのは当然であった。


――混乱した米海軍が、航空戦艦やロケット砲艦といういわば「ゲデモノ」に手を出したのは、こうして考えれば当然であったのかもしれない・・・
最後に、このとばっちりを受けて苦労したことで、ようやく空母の専門家として出世することができたある人物の言葉をもって本稿を閉じたいと思う。


「我々はこうして空母機動部隊を建設することができた。しかし、それは合衆国海軍航空隊から対艦攻撃能力を大きく奪う結果となった。
英国流に言えば、『魚雷はとても高価である』
この一言、あのキング長官が忌々しそうに吐き捨てたあのくそったれな陸軍の言葉がすべてを物語っているといえるだろう。」

なお、日本側が掘った坑道は、米軍が戦前に想定した20分の1以下の距離であるという事実を付記しておく。
出口と上空から見えるレールを敷いた「見せ金」をご丁寧に敷設し、日本側は「見せ金」としての列車砲軍団の価値を大きく高めていたのだった。
最終更新:2014年05月21日 22:07