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靴底のスパイクが見えるほどに上げた足が鋭く踏み込まれ、同時に大きく弧を描いた
右腕から、矢のような速球が投げ込まれる。ここぞという場面でしか見せない沢村渾身の
一球が景浦のバットの上を通過した時、球場は大きな歓声に包まれた。

「ど、どうだ! 今度こそ測定できたか?」
「は、はい。いま結果が出ます…えっと球速、158kmです。」
「158?本当に158だな! うぉぉぉ! やっぱり、やっぱり沢村は速球王だったぞぉ!」

しかしその日の球場で一番盛り上がっていたのは、ボールボーイを退かせてまで大仰な
機械を持ち込み、沢村の一球ごとに大騒ぎしていた連中…夢幻会野球振興部のメンバーであった

ある野球バカ共の挑戦

1946年。日米戦は日本の勝利に終わり、大陸日本は明るい空気に包まれていた。
前世界のような「戦後の後片付けこそ本番」と言う状態でも無かったため、日米戦の為に
結集していた夢幻会一同は、また思い思いの事をやりだしていた。
そんな中、夢幻会でもそれなりの規模を誇る「夢幻会野球振興部」のメンバーは
ある1つの歴史的疑問を片付けるために動き出した。そう、それこそが「沢村栄治の
球速を測定する」ことであったのだ。

プロ野球勃興期における大エースであり、メジャーリーガーをきりきり舞いさせた
右の本格派、そして戦争で散った悲劇の投手と伝説には事欠かない沢村であるが
史実では記録映像が日米戦のキャッチボールぐらいしか無かったため、正確な球速は
謎であり、憂鬱世界においては振興部のメンバーも衝号作戦の後始末に追われれしまい
正確な球速測定が出来るようになった頃には、沢村はすでに衰えて史実においては徴兵で
肩を痛めたことに編み出した、サイドスローの軟投タイプへと転向した後であった。
故に彼らは今回こそはと一念発起したのである。
幸いにも大陸世界でもトランジスタは発明済みであり、さらにそれを用いた弾丸の
初速測定器が完成していたため、彼らはそれに改良を加えて初期型のスピードガンを
でっち上げ、正力松太郎に許可まで得てこうしてスピード測定を踏み切ったのだ。

「いやぁやっぱり沢村はレジェンドだった。俺らのてこ入れで学生時代から栄養学に
基づいた食事や、科学的なトレーニングを積んでいるとはいえ、1940年代にこんな
球速をだすなんて…ん、どうしたお前ら?」
「いや…だって…なぁ」

そう言って計器を確認して興奮していた代表者は、なんとも微妙な顔をして熱投を続ける
沢村に視線を向けているメンバーに声を掛けた。景浦を三振に切っても続くピンチに
沢村の躍動感は増し、一球ごとに帽子からは彼の短く刈り上げた「金髪」が顔をのぞかせている。
そう、彼らは失念していたのである。大陸日本は少なくとも遺伝子学的には見事な
多民族国家であるという事を。
そうして彼らが微妙な顔をしている間にも、沢村は「史実よりも10センチ以上伸びた身長」
から繰り出す角度のあるストレートで、今日10個目の三振を奪ったのだった。

野球。米国の衰退により、強固な日英同盟によって盛んになったクリケットや史実よりも
遙かに拡大した面積によって、古来より盛んに行われ続けている日本版ポロである打毬などに
主要球技としての地位を脅かされると憂慮されていたこの球技は、体格に優れた金髪エースや
銀髪スラッガーなどがチームに多数所属していたことで、史実とは趣の違ったファンの獲得に
プロ野球勃興期から成功し、さらに白豪主義の色濃く残る欧州でも史実よりも早く市民権を得て
結果として日本だけでなく、欧州でも史実以上に広まるのだが…
その話を聞いた振興部のメンバーは、一様に微妙な表情をしていたという。
最終更新:2014年05月21日 23:20