51. yukikaze 2011/12/05(月) 00:05:42
前スレ『アメリカ本土決戦』ネタ

1943年夏。アメリカ合衆国は滅びに瀕していた。
日米戦争直後に起きた大西洋大津波によりアメリカ東海岸は事実上消滅。
その後、東海岸を中心に流行した「アメリカ風邪」こそ、徹底的な封じ込め政策
を強行したことによって、何とか抑えることに成功したものの、皮肉にもそれが
合衆国の運命を決めることになった。

何故か?  それは皮肉にも、今回の災害によって、合衆国大統領の権限が建国史上
類を見ないほど強化されたことにあった。
内においては大津波と疫病。外においては戦争。この未曾有の事態に対応する為に、
ロングの死を受けて急遽大統領となったガーナーは、「この事態を乗り切るためには
大権が必要である」として、全権委任法を制定。従わない州には、連邦軍を以て
制圧させるという苛烈ぶりと、ハースト系新聞の煽りによる国民の支持を受けて
1月までには、東海岸の感染区域を完全に切り捨てた代わりに、国内を安定させたのだが
この強力な権力が、ガーナーに誤った認識を持たせることになる。

それが何かというと、この未曾有の災害の混乱を曲がりなりにも安定させたことで
ガーナーは「連邦政府の存在こそ合衆国にとって絶対であり、それを脅かせるような真似は
絶対に許されない」という確信から、こうした行動を邪魔するものに対して病的なまでの拒否感を
抱くようになったのである。
無論、国家の安定という観点からみれば、ガーナーの考えも間違ってはいないのだが、
それを他国政府まで順守するよう求めている時点で、ある種狂っているといわれても仕方がなかった。
それを端的に示していたのが、4月1日に出された、通称「エイプリルフール宣言」であり、
既に太平洋艦隊が壊滅し、戦争が誰の目から見ても不利であったにもかかわらず、
アメリカの正義と日本の悪辣さを並び立て、日本に対してハルノートの順守および賠償金を支払いを求める
宣言を発し、夢幻会をして「エイプリルフールだからと言って、真顔で冗談いう必要ないだろ」と、
完璧に呆れ果てさせることになる。

この頃には、財界もガーナーを見離し始めていたのだが、彼らにとって誤算だったのが、ガーナーに変わる
国際的視野の広い政治家はすでに全滅しており、軍の理性派と呼ばれる面々も逮捕拘禁されていた。
そして何より、病的なまでに猜疑心が強くなっていたガーナーが財界の面々を注視していない筈がなく、
彼らが気づいた時には、銃が彼らの前に突き付けられた後であった。

こうして、反対意見を抹殺する傍ら、ガーナーは本土決戦の計画を次々と命令していた。
彼にしてみれば、広大なアメリカを日本が制圧するなど不可能であり、そしてそれは日本も自覚はしていた。
彼にとって不幸だったのは、日本は「征服は出来なくとも滅ぼすことはできる」能力を持っていた事であった。
以下、時系列を以て、アメリカの滅亡を述べる。

1943年3月29日  アラスカ占領。アメリカ国内に動揺が広がる。
         4月  1日  エイプリルフール宣言。
         5月15日  ハワイ陥落。日本条件付き講和(グアム割譲。太平洋のアメリカ領土の非武装化。海空軍の実質消滅)提示
         5月16日  アメリカ政府拒絶。「猿に人間が講和できるか」発言に、日本は和平案を捨てる。
        6月  6日  初めてアラスカから五大湖に弾道弾が発射される。以後、終戦まで続く。
        6月30日  連合艦隊による西海岸攻撃開始。以後15日間にわたる攻撃(途中ハワイへの帰島あり)により
                    シアトル・ロサンゼルス・サンフランシスコが壊滅。
        7月15日  日本軍サンディエゴ上陸。同月末にはサンディエゴより富嶽による空爆開始。
                    テキサスの油田は消失。
        8月1日  アメリカに対して再度降伏宣言。従わない場合は原爆使用も行うことを通達。アメリカは同日拒否。
        8月6日  日本による最初の原爆がデトロイトに落とされる。同9日にはダラスに投下される。
        8月14日  シカゴに原爆投下。ガーナー死亡。翌15日、合衆国降伏。

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最終更新:2012年01月01日 19:44