533 :530:2013/11/27(水) 09:18:07
神は言っている、とりあえず投下すればいいさ、と

ということで投下します。

ネタ ~日本大陸における香川県~

日本大陸においても、讃岐地方をはじめとする瀬戸内海沿岸部は降雨量のすくない瀬戸内気候に属していた。
むしろ、大陸化したことにより史実世界よりも緯度が下がり、東に移動したことにより梅雨の影響を受けにくくなったことも影響しより年間降雨量が少なくなっていた。(かわりに台風がよく通る)

このことが讃岐地方における農作物の作付けに影響を与えていた。
降雨量がすくないことにより、米の栽培面積は史実よりすくなくなり史実同様小麦の作付け面積が広くなっていた。瀬戸内沿岸部ではうどんをはじめとする小麦をつかった食品が主流となっていた。

しかし、明治維新後は神戸を中心に西洋人が入ってきたことにより、パン食文化が広まり始めた。これを受けて当時の讃岐地方等の瀬戸内海沿岸はパン小麦の作付けを開始し、神戸にある外国人用のパン屋を中心にパン小麦を販売しその利益でよそから米を買うという方法で、米を手に入れるようになっていった。

時代が進み第一次大戦により、ドイツの捕虜が坂東捕虜収容所に入ると、そこから、パンの制作方法が四国に広まると同時にビールなどの製造方法が広まると小麦や大麦の需要が高くなり、麦の作付け面積が広くなった。しかし、同時期には北海道の開拓が進み広大な平野部を利用した大量の小麦生産が開始されたこと(農業機械が出回り始めたことも影響)により国内の小麦価格が下がり始め、徐々に瀬戸内の小麦では価格で太刀打ちできない状態になり始めてきた。そんな中、イタリアとの関係がその状況を変え始めた。


534 :530:2013/11/27(水) 09:19:05
1930年代にイタリアの大使を中心としてパスタ料理を紹介したのである。
自国文化を紹介し、親しんでもらうことにより日本国民のイタリアへの認知と友好関係のきっかけになればとの思惑で始めたこの試みがある意味で成功したのである。
他国の文化を吸収することにためらいがない日本人の気質により、都市圏を中心にパスタ料理が広まり、同時に魔改造が大好きな日本人によりさまざまな和製パスタ料理(ナポリタン・明太子スパゲティー等、一部夢幻会の関与があったとも)が作られ広まっていくことになる。

このことは、瀬戸内地方の小麦生産者にとっても福音となった。なにせ、パン小麦を中心とした小麦は北海道の影響で出荷してもあまり利益にならなかったため徐々にうどん用の小麦生産が主流となっていったからである。しかし、パスタの普及によりパスタ用のデュラム小麦の需要が高まっていった。デュラム小麦は地中海気候で栽培される小麦であり、温暖で降雨量が少ない点などは瀬戸内気候に似通っているため、瀬戸内での生産に適しているため、讃岐を中心に大生産が開始された。
さらに魔改造が得意な日本人の気質が出たのか収量が多く、品質の良いデュラム小麦を作ることに成功し、逆にイタリアに小麦の種子を輸出することになるまでになる。

そして、20XX年現在では讃岐地方の香川県は史実のようにうどん県ではなくパスタ県と呼ばれている。

―了―


535 :530:2013/11/27(水) 09:19:53
以上になります。なぜか、うどん県を書こうと思ったのにパスタになっていた件について。

妄想が暴走した結果と思ってください。


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最終更新:2014年05月28日 21:32