- 3. ひゅうが 2011/12/04(日) 17:23:46
- ※ みなさんそんなにドゥームズデイが見たいんですか?・・・実は私もですw
というわけで
>>973
世界のIF的な続きを書いてみましたw
蛇足 The Armagedon(WW‐?)
――1965年8月18日 太平洋上 エアフォースワン
「なぜ・・・こんなことになってしまったのだ・・・。」
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ臨時大統領は、ボーイング707型機の機内で世界地図に視線を落としていた。
先ほど途絶したコロラド・スプリングスのNORAD(北米防空司令部)の報告では、米本土では地震計によれば658発の核弾頭が炸裂。
報復攻撃として放たれた戦略爆撃機はバルト海上空や大西洋上での対空核ミサイル攻撃で大半が全滅しつつある。
それでも欧州全土と国家社会主義ロシア共和国(西ロシア)には500発近い核弾頭が到達したと推測されている。
しかし、日本領カナリア諸島で発生した巨大な噴火により発生した巨大津波は北米東岸を平均して30メートル以上の高さで覆い尽くしており、ドイツ側の先制核攻撃の影響もあって合衆国は事実上崩壊したも同然だろう。
「大統領閣下。日本政府はエアフォースワンの受け入れを拒否。このまま護衛を伴い接近すれば撃墜すると――」
「おのれ・・・!属国の分際で付けあがりやがって!」
「やめたまえ、テラー長官!・・・これ以上、合衆国の恥をさらすな・・・!」
怒りに燃えた目に射すくめられたテラーは悔しそうに口をつぐむ。
そうだ・・・あの太平洋戦争、あのアヘン戦争にも匹敵する恥知らずな戦争があったからこそ我が国はこのようなことになってしまったのだ。
第3次世界大戦は、エジプト解放と日本を通じた北欧諸国の連合国側参戦、そして独本土戦略爆撃の結果ヒトラー総統が死亡したことで終結した。
国家社会主義をかかげるドイツの属国であるロシアは東に復活したロシア帝国やトルキスタン連邦に分裂し、中華民国は混乱の中内戦を継続していたがそれでも米独はとりあえずは握手したのだった。
が、戦後の軍拡競争は両陣営を疲弊させた。ドイツは高価な核ミサイルの量産と壊滅した海軍に資金をとられ、米国は日本に約束していた中東の油田利権をオイルメジャーがあらゆる手を尽くして奪い取ったために「日本陸海軍の血の配当」として本国市場を開放せざるを得ず、そのために経済的停滞を余儀なくされた。
そして15年が過ぎた後、ドイツの第3代総統は北欧の戦略爆撃基地に対抗しキューバに中距離弾道ミサイルを配備するに至る。長大な東西ロシアの国境線は緊張し、パレスチナ戦線で発生した軍事衝突を期に、両陣営は通常戦争を開始した。
が、1965年8月15日、カナリア諸島ケンブレビエバ火山が大噴火。大津波が東海岸を襲う。これを好機と見た枢軸欧州親衛軍 戦略ロケット軍団は先制核攻撃を実行。
ここに二つの陣営は熱核戦争に突入したのであった。
カーティス・ルメイ大統領は死亡。副大統領だったケネディはこのエアフォースワンから核戦争の指揮を執り続けた。が、核ミサイル技術で一歩後れをとる(液体燃料核ミサイルだった)アメリカ側は後手に回り続け――ついには亡国を迎えたのだった。
すでに第3次攻撃までが終了し、ルメイ自慢の超音速戦略爆撃機は壮絶な戦闘の末欧州に大打撃を与えた代償に壊滅していた。
同盟国であるはずの日本人たちは対岸の火事とばかりに時たま飛んでくる核ミサイルを自慢の対ミサイル防衛網で防ぎ、少数の核弾頭を的確に使用し報復を行っていた(そのために彼らは自ら核弾頭の数を制限し、その分を経済発展と弾道ミサイル防衛につぎ込んでいたのだった)。
ベルリンや第3帝国首脳部が壊滅状態である今、この核戦争の勝者は本土がほぼ無傷である彼らであるといってもいい。
「卑劣の報いは――ここに下るか。」
ケネディは、自信満々で東京湾上の戦艦「オハイオ」艦上で降伏文書の調印を見ているロング元大統領と、それを殺意をこめた視線で見つめる日本側代表の写真を思い出した。
「日本政府に伝えてくれ。我々、アメリカ合衆国臨時大統領府は――」
西暦1965年8月18日。人類史上4度目となる世界大戦は、ここに集結した。
【遥かなる星に続く?】
最終更新:2012年01月01日 19:43