47 :Monolith兵:2014/06/08(日) 06:49:37
ネタSS「
憂鬱日本欧州大戦 -ちょび髭のいない世界②-」
ドイツ及び北欧との関係強化が決定され、
夢幻会はすぐさま行動を開始した。
まずはドイツへの投資であったが、これは以外にもすぐさま解決した。ナチス政権崩壊後のドイツは軍拡のスピードが遅くなった事から緩やかな経済後退が起きていたのだ。無論、アデェナウァー政権も手をこまねいていた訳ではなく経済振興策を立ててはいたが、ナチス時代ほどのインパクトが無かったせいか、経済は後退していたのだった。下手をすればアデェナウァー政権が吹き飛ぶ可能性があったのだ。
そこに振って沸いた投資話である。相手が日本と言うことで警戒はしたものの、背に腹はかえられなかった。結果、日本はドイツ経済に食い込む事に成功した。
そして、辻政信を始めとする政財界のプロたちは前回のドイツからの収奪とは異なり、今回はドイツの技術向上及び国力増進を目的として活動を始めた。
「ドイツの工業製品は史実と比べて多少ですが品質が落ちているようです。また、兵器の質も同程度落ちているものと思われます。」
「では、来るべき大戦の為にはドイツの工業製品の品質向上が必須なわけですか…。史実を考えると皮肉ですね。」
情報局からの報告を聞いた辻は、そんな事を言い、ドイツの工業力向上と国力増進のための計画を作ったという。ドイツを衰退させた本人が、今度はドイツを発展させる計画を立てたと言うのは皮肉以外の何者でも無いだろう。
だが、そのおかげかドイツの経済は僅かながらも向上し、アデェナウァー政権の支持率の向上と共に反日感情の緩和にも繋がっていた。
一方、第2次世界大戦の最初の戦場となるポーランドについては、関係強化と共に兵器の輸出などによる軍事力の強化を行っていた。
これは、ドイツがポーランドに侵攻しないと言うのなら、史実よりもかなり長期間粘ることができるのではないかと言う陸軍の意見から、92式軽戦車や各種火砲、果ては試作車両や先行量産型ながらも97式中戦車の輸出を行う事になった。
流石に97式中戦車の輸出には、ソ連の戦車の発展速度を速めるという反対意見があったが、早かれ遅かれスペイン内戦の戦訓からT-34ないしは類似した戦車の登場は避けえられないという意見から、試作車両や教育用の先行量産型をスペックダウンした97式中戦車(57mm戦車砲搭載)が輸出する事になったのであった。
輸出を打診した際には、ポーランドにソ連が欧州で何かしら軍事行動に出る可能性がある、と言う情報をリークし、ソ連と国境を接する国同士協力したいと言うような事を言い、格安で輸出する事を提案していた。ポーランド側は、自分たちとソ連をぶつけてソ連の国力をそぐつもりだと理解しつつ、前回の戦争でソ連を撃退した実績から今回も大丈夫だろうし、日本からの援助を加えればより万全な体制を整える事が出来ると考え、日本側の提案を受け入れていた。
なお、ポーランドに輸出する際にも小細工をしかけており、殆どの兵器はポーランド第一の港グディニアに荷揚げされたが、一部はドイツ領ダンツィヒを経由してポーランドへと輸出された。
これは、92式軽戦車やそのファミリー戦車、なにより97式中戦車をドイツへ見せ付け、ドイツの戦車開発を促進する事を目的に行われたことであった。当時、ダンツィヒは実質ドイツ領ではあったが名目上は自由都市であり、同時にポーランド軍も駐留しており、ダンツィヒを経由しての輸出入は珍しい事ではなかった。
そして、92式軽戦車やそのファミリー戦車、97式戦車の試作車等を目にしたドイツは自国の戦車開発計画を見直す事になった。
だが、それは夢幻会の斜め上を行く事であった。
48 :Monolith兵:2014/06/08(日) 06:56:03
「グデーリアンが視察に来るぞ!?」
「ロンメルは?ロンメルは来ないでござるか?」
ドイツは日本の戦車のレベルが自国よりも高い事を認め、日本に視察団を派遣したいと要請して来たのだ。日本としてはドイツの戦車の開発速度を速めるだろう、この提案を蹴る訳も無くグデーリアンを団長とするドイツからの視察団を快く受け入れる事にしたのだった。
そして、ドイツの視察団が日本で見たのは、砲塔前面95mm、前面75mm(傾斜35度)、側面45mm
傾斜45度)という十分な装甲と傾斜による防御力と65口径76.2mm砲という攻撃力を兼ね備えた、余りにも現実離れしたチート戦車であった。
97式中戦車のスペックを知り、実際に試乗し、対戦車ライフルや対戦車砲でもびくともしない和製T-34を見たドイツ視察団は恐慌状態に陥った。後進国と思っていた
アジアの島国が欧州を代表する陸軍国と自負するドイツの数世代先を行く戦車を実戦配備していたのである。
また、97式中戦車の展示演習では「電撃戦術の生みの親に戦車の何たるかを教えてやれ!」を合言葉に、アイマスやガルパンのキャラが描かれた痛戦車でスクローム射撃を行い、グデーリアンに「日本の戦車部隊は化け物か!」という言葉を言わせた程の変態練度を見せつけたのだった。
同時に東条や杉山などの良識派の胃壁をガリガリ削ったのはご愛嬌である。(最も、こんな事出来るのは帝国陸軍広しと言えども極一部であり、これをした後は完全分解しての整備になるため通常は禁止されていたが。)
そして、陸軍航空隊も視察し、全金属製の単葉機ばかりしか飛行場に無い事を知り、更にショックを受ける事になる。この視察団には空軍の人間も少数随伴しており、陸軍軍人でも航空機の造詣に富むものはおり、それらの者から話を聞かされた者が更にショックを受けるという笑えない事態も起きていた。
更に96式戦闘機の能力を知るに至り、ドイツ視察団は真っ白に燃え尽きてしまっていた。
このようにドイツ陸軍視点で、余りにも日本との技術的格差が開いている事を見せ付けられた為に、日本に追いつけ追い越せとばかりに、さまざまな策を練る事になる。その結果、ドイツは夢幻会が思いもしなかった提案を日本政府にしてくるのであった。
49 :Monolith兵:2014/06/08(日) 06:57:10
「え?ドイツが97式中戦車を購入したいと言ってきている?」
「和製T-34でドイツ兵がソ連の戦車を撃破するのか…。何その火葬戦記。」
「パンツァーフォーじゃなくてターンキフプーチと言うのか?いや、戦車隊前へと言うのも…。」
「もしかしたらドイツ戦車に乗れるかもと思っていたけど、ドイツ製チハに乗る事になるかもしれないのか?誰得だよ、それ…。誰だこんな状況にしやがったのは!責任者を出せ!?」
なんと、ドイツは97式中戦車を購入したいと日本に申し出たのだ。夢幻会の思惑としてはドイツの戦車の開発速度を速めたかっただけなのだが、ドイツは数世代先を行く日本の戦車を見て、当座は97式中戦車で凌ぎつつ、研究を進めてより強力な国産戦車を開発しようと考えたのだ。
だが、日本国内でもそれほど配備数が多く無い97式中戦車を外国に、それもかつての仮想敵国ドイツに輸出するのは難しいと陸軍は考えていた。だが、辻や近衛、そして倉崎重工などの産業界からも輸出に賛同する意見が出たために、輸出は許可されたのだった。
「国内配備だけでは兵器開発の費用はペイできません。また、更なる新型戦車の開発にはお金がかかります。それを考えると97式を売らないという選択肢は無いも同然です。それに、近々新型戦車(97式中戦車改)もロールアウトするんでしょう?次世代の戦車の事を考えれば売るしかないですよ?」
そんな魔王の言葉に押されて陸軍も泣く泣く97式中戦車の輸出にGOサインを出すしかなかったのだった。輸出に賛同しないなら、予算をカットすると暗に言われては、陸軍に出来る事はなかったのだから。
そんなほほえましい出来事を経て、ドイツは97式中戦車を輸入することに成功した。
また、帝国陸軍はドイツ陸軍の97式中戦車の研修の為に人員を派遣する事になった。研修のための教導団は宮崎繁三郎少将を団長として池田末男や西竹一、一木清直などの一流どころを揃えていた。なお、一木清直は本来戦車畑の人間ではないが、歩兵による対戦車戦闘のエキスパートであったので、歩兵による対戦車戦闘を教導するため派遣されていた。
なお、噴進砲はドイツでも研究されていたが、日本の噴進砲の方が完成度が高く、後に日本から研究のために輸入され、より高性能なパンツァーファウストが開発される事になるのは余談である。
また、研修するドイツ軍の中にロンメルの名前が入ってることに気づいた転生者たちは再び狂乱する事になる。
50 :Monolith兵:2014/06/08(日) 06:57:43
そんなこんなで、ドイツとポーランドは史実を考えれば格段に強化された状態になりつつあった。そう、なりつつあったのだ。
いくら97式中戦車の輸出が許可されたと言っても、急には生産量が増えるわけも無く相変わらずドイツ軍戦車の数的主力はⅠ号及びⅡ号戦車と35tや38tであった。
一方、ポーランドも7TPという軽戦車に92式軽戦車及びそのファミリー戦車が加わったために史実よりは遥かに装甲車両が充実していた。また、92式の中には対戦車能力を向上させた57mm対戦車砲を搭載したものもあり、史実のように1週間で国が消滅すると言う事態にはなりそうも無かった。日本によるポーランド軍の強化を知った夢幻会の物の中には、「もしかしてソ連の侵攻防げるんじゃね?」という意見が出ていたが、流石にそれはあり得ないことであった。
ただし、英仏が救援に駆けつけるまでの時間稼ぎなら出来る可能性があった。もし救援までポーランドが生きながらえたならば、第2次世界大戦に米国が参入する前に終わる可能性があると、夢幻会は考えていた。そして、その時間を活かしてドイツが97式中戦車の機甲部隊を編成し、更にはⅣ号戦車やパンター、ティーガーといったドイツの高性能戦車が開発量産されるまでの時間が稼げるかもしれない、と希望を見出していた。
つい先日までナチスだった国に何を求めているのか、と言われるかもしれないが、アデェナウァー政権になって以降、ドイツは周辺国との関係改善に努め、長年の宿敵フランスとはナチス時代とは別に更なる緊張緩和のための友好条約を結ぶ事に成功し、イギリスとも関係改善が進んでいた。
また、ポーランドもドイツに自国以上に強力な日本戦車が配備される事になりぐずついたが、日本の仲介の元更なる日本戦車の購入やドイツでライセンス生産される予定の消耗品の優先的供給などを提示してなだめる事に成功していた。これらの活動の結果、日本の好感度は欧州で多少ながら上がり、ポーランドドイツ間の緊張も徐々に解消する事に成功しつつあった。
夢幻会の計画はこれまでに無く順調であり、彼らはこれならば
アメリカの介入なしで第2次世界大戦を乗り切れると自信を持ちつつあった。
ドイツは連合国を形成する国々(ソ連を除く)と関係改善を進め、ポーランドは軍事力の増強に成功した。フィンランドもポーランド同様国力軍事力共に向上著しく、満州の日米と共に対ソ連包囲網は万全にあるかのように思われた。
そして、希望を胸に夢幻会は運命の1939年9月17日を向かえたのだった。
おわり
最終更新:2014年06月11日 22:05