699 :フォレストン:2014/07/05(土) 05:45:59
ガラパゴス・コンピュータ。
日本より大幅に遅れ(周回遅れ)たものの、まがりなりにもコンピュータ技術を確立した英国であったが、本命であるトランジスタが軌道に乗るまでは、数多くの問題が存在し、その解決には時間がかかることが予想された。
この問題は、当時の円卓の重要議題となり、あらゆる方面から検討した結果、英国のコンピュータ行政を司るBCS(British Computer Society、英国コンピュータ協会)では、以下の3つの課題に取り組むことになったのである。
- 演算処理装置の更なる高速化
- 演算処理装置の高速化に伴う大容量メモリの開発
- 部品実装技術の開発
英国が欧州枢軸に比べて恵まれていた点は、史実とは違い駐日英国大使館が閉鎖されておらず、まがりなりにも国交が維持されていたことである。
最低限であるが人員の行き来は認められており、日本のコンピュータ技術(公開されている範囲でだが)を見ることが出来たのである。
英国は土壇場で裏切った国として、当時の日本人からの心象は良くなかったのだが、こと英国大使館の関係者だけは、あることをやらかしたおかげで、比較的好意的に見られていた。
そのため、国内で情報収集(本屋で技術書を大人買いしたり、秋葉で部品漁りしたり)するのにさほど問題は無かったのである。
700 :フォレストン:2014/07/05(土) 05:53:54
演算処理装置を高速化する手段であるが、この時代だと主に下記の2つである。
- 論理回路の論理構成を改良
- 論理回路の素子自体の動作速度の向上
論理構成の改良であるが、パラメトロン自体が単純極まりない構成であり、これ以上の改良は望めなかった。
二つ目の動作速度の向上であるが、パラメトロン素子は発熱量が大きく、周波数を上げるとコアが加熱して磁性が変化してしまい動作に支障が出る問題があった。
フェライトコアを水冷化することで対処したが、今度は励起周波数を上げることで共振現象が発生して本体が激しく振動して演算どころでは無くなってしまった。
こちらはトライ&エラーを繰り返した結果、特殊な塗料を塗ることで解決することが出来た。
その結果、励起周波数6Mhz(動作周波数0.1Mhz)を達成したが、これ以上の速度向上は見込めなかった。この速度を維持するには構造上の問題や、メンテナンスの面倒もあり、この形式(水冷&特殊塗料)を採用したのは少数に留まった。
ただし、フェライトコアの材質や形状、部品実装技術の改良によって、ある程度の演算速度の向上は果たされている。
なお、この時代のパラメトロン・コンピュータであるが、部品実装技術は真空管時代の延長戦上であり、部品をべ一クライト・ラグ板へ取り付け、配線は空中配線で済ませていた。
しかし、パラメトロンは大量かつ緊密に実装する必要があるため、本体とは別の場所で組み立てと調整が行えるようにユニット化されており、コンピュータ本体とはソケットもしくはコネクタで繋ぐ形式が主流となっていったのである。これが後のパラメトロン・クラスタとなる。
パラメトロン・クラスタをさらに発展させたのが、当時レーダー科学者で国防省の王立レーダー施設で働いていたジェフリー・ダマーである。
彼の考案した集積回路のアイデアは、当時解析中であった黒い欠片に通じるところがあった。そのため、BCSに注目された彼はパラメトロンの集積化を担当することになったのである。
一つ一つ部品を実装するよりも、ある程度まとまったパッケージにしたほうが、省スペースで済むというのが彼の持論であり、素子(パラメトロン)を可能な限り小さくするのが望ましいとしていた。
そのため、フェライトコアの材質、形状、コイルの自働巻きを含めた量産手段等の周辺技術が開発されていったのである。
701 :フォレストン:2014/07/05(土) 05:57:57
1950年代終盤。
ジェフリー・ダマーとポール・アイスラー(後述)により、数mmサイズのメガネ型コアを採用したパラメトロン素子50個をパッケージ内のプリント基板に実装した最初の集積回路が試作された。
試作された集積回路は、見た目は史実のSSI(小規模集積回路)そのものであった。ただし、スケールが5倍ほど違ったが。
試作されたパラメトロン集積回路は、高い信頼性を示した。
後にプログラムを弄ることにより多目的に使用することが可能になり、設計の自由度が高まったことや、煩わしい配線から開放されるメリットもあり、以後のパラメトロン・コンピュータに採用されていったのである。
パラメトロン集積回路はトランジスタと違い、小型集積化に物理的な限界があるため、より高性能・多機能化を目指すことは大型化するのと同義であった。
パッケージ内の基板に上下に実装、基板の多段化など工夫したものの、焼け石に水であり、年を経るごとにサイズは肥大化していったのである。
また、パラメトロン素子の冷却の問題もあった。
省電力化と発熱量の増大を抑えるために、可能な限り小型のコアを使用していたものの、高密度実装をすると自然冷却では追いつかなくなってしまったのである。
パッケージ外殻を金属製にして放熱しやすくしたのであるが、それでも冷却が追いつかず、末期のパラメトロン集積回路ではパッケージ上部にヒートシンクを追加して、外付けファンによる強制空冷を正常作動の前提にしていたくらいである。
素子単体の計算速度向上の限界、そしてクラスタ化と集積化による限界を迎え、既存のパラメトロン集積回路の性能向上は1960年代半ばには頭打ちとなってしまった。
本命のトランジスタは、この時点でも歩溜まりが安定せず、集積化も試みられていたが単体でさえモノにならない状態では、まともなICが出来ること自体が奇跡とまで言われていたくらいである。
702 :フォレストン:2014/07/05(土) 06:06:21
本命であるトランジスタ(IC)の開発が難航している以上、その繋ぎとして新しい素子が必要だった。
技術者達が新たな素子を開発すべく、奮闘しているところに、トンネルダイオードを使用したダイオード対論理回路とその概論(史実ゴトーペア)が日本からもたらされた。
日本からもたらされたといっても、日本が技術援助したわけではなく、神田の神保町で技術書を漁っていた大使館関係者が、発見しただけの話だったりするのであるが。
ちなみに、当時の英国の技術者が苦労したのは日本語で書かれた文献の翻訳であった。
当時の極秘プロジェクトとして、英国中の日本語に堪能な人間が集められて、翻訳に勤しんだのであるが、その後も翻訳プロジェクトは継続され、結果として英国における日本語の研究と、日本文化についての理解が深まっていくことになる。
ダイオード対論理回路とその概論を記した技術書は、マイクロフィルム化されてトンネルダイオードも巧妙に隠されて、大使館職員の帰国の際に英国に持ち込まれた。
この新型論理素子はMhzクラスで動作するため、Khzクラスで動作していたパラメトロンとは桁違いの速さを誇り、パラメトロンに代替することを大いに期待されたのであるが、生産の段階で躓いてしまったのである。
日本では既にトンネルダイオードの基本特許が切れていたために、生産すること自体は問題無かったのであるが、実験室レベルでトランジスタの製造がやっとの状況では、同じ半導体であるトンネルダイオードの大量生産は難事だったのである。
ロンドン郊外に実験的にラインを立ち上げたのであるが、不良率が高過ぎて単価計算したらパラメトロンどころか真空管よりも高価になってしまうという笑えない状況になっていたのである。
結局、ダイオード対コンピュータ製作のため、ありとあらゆる手段を用いて、日本から大量のトンネル・ダイオードを輸入することになるのである。
英国でトランジスタやトンネルダイオードの品質が安定しなかったのは、クリーンルームの不備が最大の原因であった。
手作業で製造されていたため、季節やその日の天候・湿度によっても歩留まりが大きく変化していたのである。これは空気中の埃などが半導体表面の膜生成に影響したためである。
当時の日本では、既にクリーンルームで厳密な製造管理を行うことにより、安定した品質のIC製造を実現していたのであるが、当然ながら最大の機密事項であり、英国が知る由も無かったのである。
生産が安定しないトンネルダイオードを利用したダイオード対論理回路は、歩溜まりの悪さ(と日本からの輸入の手間)により少数の生産に留まった。
製造管理その他様々な改良をした結果、ようやく満足のいく歩溜まりを達成したときには、既にトランジスタが本格量産に入っており、パラメトロン集積回路の経験を活かしたICの開発も急ピッチで進んでいたのである。
そのため、生産されたダイオード対(つい)コンピュータも、政府機関に少数導入されたのみであった。
しかし、パラメトロン・コンピュータと比較して、桁違いの演算速度は重宝され、様々な計算に活用されたのである。
703 :フォレストン:2014/07/05(土) 06:09:24
結局のところ、英国でトランジスタの生産が可能となったのは1970年代に入ってからとなるのであるが、英国の技術者達はそれまでの間、手をこまねいていたわけでは無かった。
彼らは唯一モノに出来たパラメトロン素子のさらなる可能性を追求したのである。
新たなるパラメトロン素子開発のきっかけは、意外なところからであった。
大容量高速メモリ(後述)を開発する段階で、薄膜磁性体を利用したパラメトロン素子が開発されたのである。
フェライトコアを使用しないため、物理的な大きさの制約を受けることが無くなり、動作速度を向上させるために周波数を上げても加熱によりコアが焼けることも無くなったため、従来のパラメトロン素子は低速という概念を覆したものとなったのである。
薄膜磁性体パラメトロン素子に技術者達は驚喜し、ただちに小型高性能化にとりかかったのであるが、既にトランジスタやICの時代であったために大々的に生産されることなく終わってしまったのである。
しかし、ICに比べて製造するのが比較的簡単であったことや、低性能ながらも信頼性・耐久性ともに異常なほどに高い薄膜磁性体パラメトロン素子とその集積回路は、一部の特殊用途向けとして現在でも細々と生産されているのである。
704 :フォレストン:2014/07/05(土) 06:13:48
ダイオード対(つい)コンピュータが、まがりなりにも実用化されたことで、メモリにもさらなる大容量、高速化が求められた。
既に英国ではウィリアムス管を利用したメモリが実用化されていたが、求められた性能に追いつかなかったため、新たにパラメトロン技術を応用した磁気コアメモリが開発された。
磁気コアメモリはウィリアムス管より、遥かに高速で大容量であったが、量産性に難があった。
コア配列は人間の手で顕微鏡と精密なモーターを使って組み立てられていたからである。
技術者達は頭を抱えたが、結局人海戦術で対応することとなった。
人件費の安い華南共和国に、大規模なコアメモリの製造工場を建設したのである。大量生産効果で最終的にはビット当たりの単価は1/100にまで下げられた。
磁気コアメモリは瞬く間に、水銀遅延線とウィリアムス管を駆逐していったのである。
なお、磁気コアメモリ技術の派生として、コアロープメモリが開発された。
RAMとして使われていた磁気コアメモリとは対照的に、コアロープメモリ内のフェライトコアは単に変圧器として使われおり、あるコアを通るアドレス線に信号が流れると、同じコアを通るデータ線に信号が生じ、2進数の1として解釈され、そのコアを迂回するデータ線には信号が生じず、これは2進数の0と解釈される仕組みになっていた。
磁気コアメモリとコアロープメモリの実用化によって、記憶装置の小型高性能化に成功したが、来的に実用化されるであろうトランジスタ(IC)や、トンネルダイオードを使用したコンピュータの性能を活かすには、さらなる大容量で高速なメモリが必要とされた。
磁気コアメモリの大容量化には、磁気コアを小型化してエナメル線で編む技術が必要なのであるが、この方法は既に限界が来ていた。そこで新しい技術としてワイヤメモリが考案されたのである。具体的には、非磁性体の下地導線(銅線など)に磁性体の薄膜をメッキあるいは蒸着させたワイヤを平行に並べ、これを語線と呼ばれる絶縁電線でスダレのように編んだものである。
ワイヤメモリは磁気コアを使わず、直径0.1mmの銅合金線に多層の磁性メッキをした磁性線を用いる構造となっており、これが新型パラメトロン開発のきっかけとなったのである。
パラメトロンが磁気コアメモリを生み出し、そして今度はワイヤメモリが薄膜磁性体パラメトロンの開発のきっかけとなる。歴史とは面白いものである。
705 :フォレストン:2014/07/05(土) 06:20:29
黎明期の電子技術において意外と重要視されないのが実装技術であるが、英国ではこの面も重要視していた。
その理由は当時の英国のコンピュータの中身を見れば一目瞭然である。
細かいパラメトロン素子がびっしりと基板に実装され、その隙間を縫うように大量のコードがのたくっているのである。いくらパラメトロン・コンピュータが故障しにくいとはいえ、量産性やメンテナンス性を考えると問題であった。
日本では既にプリント基板が実用化されていたため、このようなことは無かったのであるが、実装技術が真空管時代の延長線に過ぎなかった英国では、電子部品をべ一クライト・ラグ板へ取り付け、配線は銅細線をエンパイヤ・チューブに通した空中配線を採用していたのである。
この問題に取り組んだのが、ポール・アイスラーである。
オーストリア出身のポール・アイスラーは、ユダヤ人であったため、家族と共に英国へ逃れてきたのであるが、このころには既にプリント基板のアイデアを着想していたとされる。
第2次大戦勃発時に、敵性人として拘留の対象になったが、その後釈放されて独自のプリント基板を利用した機器の生産を細々と行っていたのである。
1955年。
黒い欠片の解析を進めていたBCSであるが、回収された部品の中に、彼が生産していたプリント基板に酷似したものを発見した。直ちにBCSに召集され、解析を任されることになったポール・アイスラーは、数年がかりで自らの技術を発展させ、より細密で量産に適したプリント基板の実用化に成功したのである。
プリント基板の実用化によって、煩雑な配線からは開放されたのであるが、部品の実装そのものは未だに手作業で行われていた。
磁気コアメモリと同じく、当初は人海戦術で対処していたのであるが、より細密な回路になると手作業では限界があったので、部品実装の自動化が模索されたのである。
最初に自動化されたのはハンダ付けであった。
ハンダ槽に溶かしておいたハンダの表層にプリント基板の下面を浸すことによって、ハンダ付けを行う方式が実用化された。(史実のフロー方式)
ちなみに、既にICを実用化している日本では、SMT(表面実装技術)が主流となっていたのであるが、ここでは割愛する。
ハンダ付けは自動化されたものの、肝心の部品の実装技術は未だに手作業であった。
当時の英国のコンピュータの構成部品は、いわゆるリード部品がメインであったため、リード線のカット、折り曲げの自動化が必須だったのであるが、その技術開発が難航したのである。
日本からの技術情報(主に神保町)や、福建共和国へ移転されたIC実用化により旧式化した生産設備に工作員を紛れ込ませることにより、苦心の末にアキシャル部品自動実装機を実用化したのである。
なお、この技術を流用してパラメトロン集積回路の作成装置も後に製作されている。
その後、ラジアル部品にも対応した完全自働実装機も開発され、パラメトロン素子の元々の信頼性の高さもあって、高い量産性と信頼性を両立することが可能になったのである。
こうして英国は苦心の末、コンピュータ生産を自動化することに成功した。
量産性が上がり安価となった、パラメトロン・コンピュータは、英国本国のみならず連邦各国でも軍民問わず広く利用されることになる。
706 :フォレストン:2014/07/05(土) 06:23:37
(パラメトロン)コンピュータは、英国社会に多大な影響を与えた。
真っ先に使用されたのは、軍向けの用途であった。重くて故障しやすい真空管の代替がメインであったが、その後誘導装置や信管の小型化に貢献した。
予期しなかったメリットとして、パラメトロンは構造上、放射線障害に極めて強いという特性があり、核戦争においては有利に働くという点があった。
そのため、民間でICが使用される時代になっても、軍用として長らく現役にとどまる事になる。
後世の歴史書において、英国が核戦争を強く意識していたと記述されるのはここらへんが原因なのであるが、それを聞かされた当時の関係者は、なんとも言えない表情になったという。
民間ではNC装置や工場ラインの管理に使用された。
NC装置により、部品精度が確保され、ライン管理用のコンピュータによって、より効率的なラインの稼動が可能になった。
英国のトランジスタ実用化は、1970年代に入ってからとなるのであるが、実用化されても問題無い程度に周辺技術を向上させることが出来たのである。
そのため、日本が世界に衝撃を与えたSystem/360事件にも、比較的柔軟な対応を取ることが出来たのである。
英国がようやく初期型ICの本格的量産に入ったころ、日本との本格的な交流が再開された。
英国側の技術者は既に実用化されていた、日本の超LSIを見て卒倒したが、日本側の技術者(転生者)も史実では歴史の影へと消えたパラメトロン素子とダイオード対論理回路を搭載したコンピュータを見て驚愕したという。
707 :フォレストン:2014/07/05(土) 06:30:21
あとがき
というわけで電算機事情2の改訂版をお届けしました。
パラメトロンに変わる新たな素子として、史実ゴトーペアこと、ダイオード対(つい)論理素子を出したのですが、トンネルダイオードも半導体の一種なので、トランジスタを生産出来ない状況では生産出来ないことに気付いて今回の改訂となりました。
特にトンネルダイオードはかなり敏感な特性を持っているみたいなので、無理に生産したら歩溜まりがかなり悲惨なことになりそうです。いっそ生産設備ごと製造権を買い取るという手もありますが、いくら基本特許が切れているからといって、簡単に日本が売却してくれるとは思えませんし。結局英国はパラメトロン一筋となりましたw
次に集積回路ですが、集積回路とは演算素子を集積してパッケージ化したものです。だったらパラメトロンでも問題無いよね?(マテ
というわけで、悪ノリした結果がパラメトロン集積回路です(爆
トランジスタと違い、物理的に集積密度に限界があるので、頑張っても集積度は1000個は超えないと思います。
それでも初期のSSI(小規模集積回路)相当の性能は確保出来るので、弾道ミサイルの制御や宇宙船の誘導コンピュータに使うには十分な性能でしょう。
問題はサイズですが、仮に50個集積したとしたら、タバコサイズくらいにはなるのではないでしょうか。
1000個とか実装したら凄いことになりそうです。きっと弁当箱どころか、カバンくらいのサイズになっているはずw
高密度実装したら発熱が凄いことになって、パッケージ全体を金属化して放熱しやすくしたうえで、ヒートシンクと送風ファンが必須になりそうです。どうみても鈍器です。本当に(ry
ちなみに、最初期の4ビットマイクロプロセッサであるIntel 4004は、あのサイズでトランジスタ集積数は2300個だったりします。こりゃ勝てねーわ…'`,、('∀`) '`,、
ゴトーペアの代わりに登場させたのが、薄膜磁性体を使用したパラメトロンです。
史実では実際に作られたものの、大規模に製品化はされなかったとのこと。
薄膜磁性体パラメトロンに関する資料は少ないというか、ほとんど存在しないと言っても過言では無い状況なので、構造はおいらの推察ですが、おそらくワイヤメモリに近いものだと思われます。
メリットとしては、磁性体であるフェライトコアが存在しないので、動作周波数上昇によるコアの焼損を考慮せずに済むということです。それゆえに動作速度の向上が可能になると思われます。
ここらへんも推測に過ぎなかったりするのですが。
ワイヤメモリ同様、生産に手作業の入る余地が無いので、量産性と高密度化が期待出来るのですが、ワイヤメモリも薄膜磁性体パラメトロンも、日本製の半導体メモリとICには勝てないので、国交が正常化して日本製ICが大量に入ってくるようになると、英国の半導体産業が壊滅するかも…(汗
次回はプログラムと電卓について書く予定です。
計算速度の遅さをプログラミングで補うために、史実ソ連並みにプログラミング技術が発達するよ思われます。乞うご期待?
最終更新:2014年07月09日 20:03