908 :ひゅうが@恢復中:2014/07/03(木) 04:24:43


  戦後夢幻会ネタSS――前史「マリアナ沖の凱歌」

0、あ号作戦準備

――西暦1944年6月1日、アメリカ海軍のマリアナ諸島攻略作戦は初手から躓くことになる。
前年の1943年を、ソロモン海で受けた打撃からの回復に費やしたアメリカ海軍がこの地に投入した兵力は空母12 戦艦7およびその他艦艇200以上(支援艦艇含む)。
まさに連合艦隊の倍というにふさわしい。
だが、それを迎え撃つ側であった日本海軍も負けてはいない。
最新鋭の正規空母「大鳳」を筆頭にして航空母艦9、戦艦6、その他艦艇150隻あまり。
のちのレイテ沖海戦を除けば、史上最大ともいえる鉄量が投入された大海戦といえる。

この戦いは、当初から日本側にとっては目標が明快な戦いであった。
即ち、敵空母機動部隊の殲滅。
マリアナ諸島の失陥とその後のフィリピン、そして沖縄における死闘をいかに有利にするか。
それが古賀峯一大将と栗田健夫中将が主導権を握るに至った軍令部のたてた大目標である。

いわく「決戦の一撃にて講和を強要できるほどアメリカ海軍は補充能力に劣っていない。ならばせめて、本土が焼き尽くされる前にアメリカ人たちが悲鳴を上げるほどの屍を積み上げ、それと引き換えにして講和を奪取するべきである」。
それは、山本五十六元帥が試みた決戦による講和強要の方針が「い号作戦」をはじめとする南太平洋における消耗戦によって事実上破たんしたという認識によっている。
この方針は、大陸打通作戦という「決戦」に勝利しつつも果てしない消耗戦に苦しむ日本陸軍にも一定の理解を得ている。
南太平洋へといたずらに兵力を突っ込んで、ニューギニアにおいて地獄の淵をのぞきこみかけた陸軍としては「海軍が屍を積み上げるならそれでよし、我々は大陸においてあくまで重慶政府の屈服を目指す」といった風であったのだった。


とまれ、この方針に則り実行された「あ号作戦」は辛辣を極めた。
まず、要塞化されたマリアナ諸島およびその周辺に日本海軍は稼働機1000あまりを集中。
これらの基地群を海底ケーブルにて結んだうえで非常用の滑走路群と地下陣地群に主力を温存する。
この準備のため、日本海軍は予定されていた「ろ号作戦」やマーシャル・ギルバート諸島における迎撃作戦を放棄してまで搭乗員の大量錬成を行っていたのだった。
(もっとも、これには栗田中将というソロモン海の英雄が強硬にこの方針を主張したというある意味派閥的な力学も働いている。)
続いて、これらの周囲には大量の潜水艦隊(この準備のため、海軍水雷学校付となっていた阿部俊雄大佐が奔走している)を配置して索敵および攻撃線を構築していた。
こうした準備に加え、日本海軍はミッドウェーもかくやといわれる謀略戦まで実施している。
日本側においては「海軍乙事件」といわれる「連合艦隊参謀遭難事件」がそれである。
米軍のパラオ空襲後に実行に移されたこの謀略は、無人操縦機をわざわざフィリピンゲリラが跳梁する地域に墜落させ、作戦書類を持った死体を彼らに回収させるという破天荒なものから、ニューギニア沖に浮かぶビアク島において古賀大将が決戦方針を説明しそれを現地スパイ(主として娼館の住人達)とつながりのあった問題人物に漏らすといった細々なものに至るまでこれでもかというくらいに謀略が駆使された。
なお、この作戦は東条首相の悪ノリともいえる協力によって陸軍中野学校や南機関までも動員されている。

こうして米海軍が入手していた日本側作戦計画は「パラオ沖かマリアナ諸島かどっちつかずの迎撃方針」となり、これをもとにして立案されたフォレージャー(略奪者)作戦はまずビアク島方面への攻撃をかけることで日本側の戦力分散を図りその後方からマリアナ諸島へ殺到、速やかに基地部隊を無力化することで日本機動部隊を決戦の場に引きずり出すというものとなっていた。
日本側がアメリカ側の暗号のうち「部隊呼び出し符牒」を特定していることも知らずに、米側はまんまと日本側の罠に引っかかってしまったのである。
日本海軍第一機動艦隊は、フィリピンのリンガエン湾泊地において半年余りの猛訓練を実施し、その間にギルバート、マーシャル、そしてトラック、パラオは次々に米軍の攻撃にさらされていく。
だが、日本側にとってそれはまだ「些細な戦」でしかなかったのだ。

909 :ひゅうが@恢復中:2014/07/03(木) 04:25:18

1、初手

5月27日、米陸軍はビアク島に上陸を開始。
これを受けた6月5日、日本側機動部隊がリンガエン湾泊地を出港するにおよび、米国側は日本側が決戦準備を開始したと判断。
マリアナ諸島方面への攻撃準備を開始する。
日本海軍は、「あ号作戦準備」を発令し、暗号解読情報を基にした米側も活発な索敵を実施していく。
だが、サンベルナルジノ海峡に待機していた米潜水艦隊は大きな被害にさらされはじめる。
これこそ、日本側が世界で初めて実戦に投入した機載型磁気探知機KMXと、改良された三式聴音器や多連装噴進爆雷投射機といった対潜装備の成果であった。
泡を食った大本営によるビアク救援要請を完全に無視しつつ、第一機動艦隊はマリアナ方面へと針路をとる。
そして米側の索敵は混乱を極め、米機動部隊は少なからぬ労力を索敵に費やしつつマリアナ諸島の基地航空隊への対処を余儀なくされたのである。

6月10日、マリアナ諸島に対し米軍による大空襲が行われる。
だが、このときアメリカ機動部隊は少なからぬ問題に直面することになった。
日本側がマリアナ諸島に配置した基地航空隊の主力は250あまりの戦闘機であったのだ。
これは、洋上の航空艦隊で運用するには未だに技量未熟とされた新規錬成搭乗員たちの乗機であったが、それでも米海軍による数の暴力にある程度対抗するには十分である。
陸上配備された艦載用電探の試作品たちと、ようやく取り付け位置を改善された無線電話機による誘導は600機あまりの米軍攻撃隊をこのあと20日あまりしのぎ続けることになる。
将来の航空艦隊を担う人材たちを消耗させる代償として、日本側は必殺の一撃の機会をうかがいつつあった。
これから6月18日にかけて数次にわたり繰り返されたグアム・サイパンへの航空攻撃は一定の成果を上げるものの、それでも米軍には疲労が蓄積していく。
ことに6月15日に開始されたグアム本島上空の航空掃討戦は激戦となり、日本側においても新鋭局地戦闘機「紫電11型」(川西飛行機所属のあるエキセントリックな技師の手により設計された低翼型、史実の紫電改)とや陸軍の「疾風」が投入されたことにより空戦はほぼ互角で推移。
ついに押し切ることができなかった米海軍は戦艦を押し出しての艦砲射撃による強引なマリアナへの力押しを決意する。
6月17日、旧式戦艦部隊が前進するとともにサイパン島は猛烈な艦砲射撃に見舞われる。
そしてそれと同じころ、小沢機動部隊(第一機動艦隊)は戦場へ突入しようとしていた。


2、魔の5分間(in1944)

6月18日、日本側の索敵機はついにアメリカ機動部隊をとらえる。
これを受け小沢治三郎中将は第一波攻撃隊192機を発艦させる。と同時に「これでもう隠す必要はなくなった」とばかりに大出力で西太平洋全域へある電文を放った。

「Z発令0745 Y実施0930予定。以下座標――」

これを受け、日本側は所定の作戦計画に基づき行動を開始する。
ヤップ島、硫黄島に展開していた第1航空艦隊所属の陸上攻撃機部隊が動き始めたのである。
彼らは、慎重に練り上げられたタイムスケジュールに従ってマリアナ沖へと集結しようとしていた。

一方の米機動部隊は恐慌状態に入っていた。
第58任務部隊は無線傍受からついに日本艦隊の位置の概略を割出し索敵を開始していたものの、自分たちがミッドウェーのナグモ・タスクフォースと化しつつあったことを理解していたためである。
9時12分、アメリカ機動部隊は索敵機によって小沢機動部隊の位置を確認。
これを受けてアメリカ艦隊は、上空待機する戦闘機部隊のもとで攻撃機隊の発艦を開始する。
だが、そこへレーダーピケット艦隊からの急報が舞い込む。

「北西方向より日本機の大編隊を確認。数100近く!高速で接近中!」

これを受けて上空待機中の戦闘機隊は誘導に従い迎撃に向かう。
だが――

「北東方向に日本機編隊!数50!」

「南西方向より日本機編隊!数60以上!」

悲鳴は続いた。
これらはいずれも日本側の基地航空隊だった。
機上無線機群や硫黄島に設けられた誘導施設によって日本側は、実に850という前代未聞の機数を一空域に集中してのけていたのだ。
そして、それらのうち少なからぬ数は、ある奇妙なものを「曳いて」いた。
アルミ箔製の吹き流し。

910 :ひゅうが@恢復中:2014/07/03(木) 04:25:57

「三式対空標的」という名の極秘兵器は、表向きドイツで繰り広げられる防空戦を参考にして作り上げられていた。
その目的は「囮」。
米軍による防空誘導網を南太平洋海戦において確認していた日本側が作り上げた死の罠である。
これにより、上空に180機ほどが展開していた米機動部隊の戦闘機隊は四方八方へ分散しきってしまった。
そこへ、彼らにとっての悲報が舞い降りる。

「敵戦爆連合 数200あまり、低空進行!輪形陣内部まであと10分!」


これこそ、日本海軍第一機動艦隊が放った必殺の刃。
南方で散華を免れた熟練搭乗員と、彼らに鍛え上げられた母艦航空隊の勇士たち。
彼らの錬度は、少なくともミッドウェー沖海戦における南雲機動部隊のそれに匹敵していたといわれている。

かくて、死の罠は完成する。
当時米海軍の空母群12隻はひとつの巨大な輪形陣内部で小沢機動部隊攻撃のために甲板へ上がりつつあり、かつ防空網の飽和によって五月雨式に予備戦闘機隊を発艦させていた。
そのため、甲板上や格納庫には大量の「対艦装備を満載した」艦上攻撃機や艦上爆撃機が満載されていたのである。


9時25分、残された26機の戦闘機隊は日本側攻撃隊の直俺機30あまりに蹴散らされ、ほぼ無傷で150機以上の機体が輪形陣内部へと侵入する。
米軍の猛烈な対空砲火によって損害が続出するものの、それでも120機あまりが目標上空での投弾に成功した。




3、死闘


第一次攻撃隊は、米機動部隊の空母群12のうち実に9隻に総計68発の魚雷ないしは大型爆弾を命中させた。
結果、空母ホーネットⅡ、ヨークタウンⅡは一瞬にして大破炎上。軽空母モントレーは轟沈し同ベローウッドは大傾斜。
残る空母エセックスは甲板に大穴があき中破。カウペンスとエンタープライズ、そしてレキシントンⅡは巧みな操艦とダメージコントロールによって被害を僅少におさえることができ、バンカーヒルとワスプⅡは無傷であった。
しかし、日本側第2次攻撃隊と基地航空隊が現地に到着したときにすでにホーネットⅡは先代と同様に海中へ没しておりヨークタウンⅡは3本の航空魚雷を左舷に受けた上に3発の500キロ爆弾をどてっぱらに受けて横転。
バターン、カボットも飛行甲板をつぶされ炎上状態となった。

第二次攻撃隊の奮戦によって日本側は、さらに2隻――無傷であったバンカーヒル、ワスプⅡを海底へ送り込む。
だが、彼らには復讐を誓う米戦闘機隊が襲い掛かる。
結果として第一次と第二次の両攻撃隊あわせて482機のうち生き残れたのは160機ほど。しかも、大半が機材を放棄せざるを得ない大被害を受けていた。
日本海軍が誇った母艦航空隊はここに壊滅したのである。

米海軍の生き残った空母から放たれた攻撃機隊も艦隊に被害を与えていた。
空母カウペンスとエンタープライズ、エセックス、ベローウッドから放たれた攻撃機隊は日本側機動部隊を痛打し、空母大鳳に命中弾3発。
翔鶴に2発の爆弾を命中させることができたものの、それでも残存していた日本側戦闘機隊の奮戦もあって被害は戦艦榛名の砲塔直撃による中破が最大となった。

さらには、混乱する米機動部隊には10隻以上の日本側潜水艦隊が忍び寄っていた。
この結果として傾斜状態であったバターン、カボットはいずれもどてっぱらに魚雷を受けて航行不能となり、雷撃処分された。
これに加え、日本側の攻撃機隊は軽巡バーミンガム、クリーブラント、サン・ファン、重巡サンフランシスコを撃沈。
海戦全体では空母10を撃沈、ないは撃破し2隻を帰途沈没させるという大戦果を挙げた。
その代償となったのは、日本側が攻撃のために用意した800機あまりの航空隊のうち620機あまりの損失。
ことに母艦航空隊は実質的に作戦能力を喪失していたといってもいい。
対する米艦隊は空母4隻を残しており、航空隊も200機あまりが未だ健在である。

911 :ひゅうが@恢復中:2014/07/03(木) 04:26:32

6月21日、小沢中将は作戦目的の完遂を確認しマリアナ諸島からの撤退を開始した。
同時に、未上陸であったグアム島や健在であったテニアン島より航空部隊の撤収を下命。

「遺憾ナレド敵侵攻部隊ノ殲滅ハ達成デキズ」との報告をもって戦闘を打ち切った。
後世においてこの時点において主力戦艦部隊の突入が果たされていれば米艦隊は全滅したとの意見もあるが、この時点でそれは不可能であった。
すでに上空援護の可能な母艦航空隊は消耗しつくしており、この教訓から日本海軍はレイテ沖海戦において突入用の水上艦隊に防空用軽空母をわざわざ張り付けるに至るのである。



6月30日――合衆国艦隊司令部はマリアナ侵攻作戦の中止を下命。
硫黄島からの空襲下で米海兵隊の撤退を命じた。
これは、23日にサイパン島において司令部に対し守備隊に所属していた97式戦車部隊合計32両が敢行した「夜襲」により、増援として投入されたばかりの第27歩兵師団長ラルフ・C・スミス少将が司令部もろとも押しつぶされたこと。
そして欧州においてもノルマンディー上陸作戦後のカーンの戦いにおいて激戦が展開されておりこれ以上の出血を避ける目的があったことが理由である。

すでに母艦航空隊を消耗し尽くし、さらには5倍の敵軍を相手取った守備隊の第29師団はほぼ壊滅状態となっていたために日本側も「もはやマリアナ諸島の防衛は不可能」と判断(これは東条内閣倒閣を意図したものであったとされる)。
のちに「梅輸送」と呼ばれる撤収作戦によって軍民あわせて3万名あまりが内地へ引き上げている。

この「大勝利」に意気上がる日本国内だったものの、それにアメリカ海軍は冷や水を浴びせることになる。
なぜならわずか3か月後にはアメリカ海軍は完成した空母をあわせて28隻を太平洋へ配備。
レイテとマリアナへの同時来襲という鉄の嵐によって日本側を押しつぶさんとしたのである。
最終更新:2014年07月09日 21:51