708 :高雄丸の人:2014/07/18(金) 23:42:27
イタリア王国軍。
もともとイタリア半島で中世以来、長らくいくつもの小国に分裂していたこともあって自分たちの出身地方以外を外国のような
“遠い余所”と考えるようになっていた国民たちの意識や、国民の自立意識の高さから来る個人や自分に近しいものの名誉や
名声を重視する気質などによって、戦闘に対する積極性のなさやそもそも戦争に対して消極的な姿勢につながっていたともいえる。
史実でのイタリア軍は一部の部隊や兵士たちを除けばその多くが戦意に乏しく、アフリカ戦線での見事なまでの敗走や降伏、
格下ばかりのバルカン戦線で繰り広げられた無様な苦戦など、第二次世界大戦のみであってもイタリア軍のそのお粗末さが
わかる例には事足りる。
無論、すべてがイタリア人の気質や国民性などで図ることはできない。統領ムッソリーニの命令によって準備不足で参戦した
第二次世界大戦や、もともとムッソリーニは政府の代表でしかなく、ドイツの独裁者であるヒトラーに比べて軍に対する強制力が
足りなかったことなど多くの要因があることも忘れてはいけない。
しかし、イタリア軍の戦争で見せた脆弱さの原因としてこうしたイタリア人元来の気質などがあったとしても何ら不思議ではないのだ。
では、憂鬱世界ではどうなのだろう―――
―
支援SS イタリア王国陸軍 奮闘記~遥か北東の地にて~ ―
どれだけ日本の憑依・転生者たちが活動し、歴史を変革したところでそれは結局江戸・明治時代からのことであり、はるかに離れた
地であるイタリアには届かない。加えて、その地にすむ人間の気質などは何世代にもかけて構築されるものである以上、残念ながら
憂鬱世界でもイタリア人の本質というものは変わらない。
しかし、そんなイタリア人たちが戦意を滾らせる事態が生まれる。
史実同様の第二次世界大戦。違う点と言えば、史実を知るチート級の人材たちによって日本以外が弱体化し、日本が異常に強化
された状態と、そんな日本が連合国軍側だったという点だろう。
とはいえ、日本が二度目の欧州大戦で派遣した戦力の多くは海空戦力であり、イタリアが主戦場と定めている地中海やアフリカには
ほとんど姿を見せることはなかった。
むしろ、史実より疲弊したとはいえ日本という同盟国を得たことでイギリス海軍は
アジア方面で活動する東洋艦隊を、ドイツ空軍や
イタリア軍との熾烈な戦いを演じる地中海へ投入できたこともあり、イタリア海軍は史実以上に苦戦を強いられる。
史実のイタリア海軍でもそうであったように、英米からの輸入に頼っていた石油は外交的孤立によって慢性的に不足しており、工業力の
不足も相まって大型艦艇の訓練や作戦行動も次第に制限されるようになった。一方で、重油消費量の少ない潜水艦やMAS魚雷艇が
対艦攻撃に駆り出されるようになる。
見栄えもよく、戦争での決戦に期待されながらも燃料不足で出撃すらままならない大型艦艇を見て、「イタリア海軍はそもそも戦意がない」と
不名誉な言葉を受けるものの、リビアへの海上護衛や英海軍の牽制に大小の艦艇を(懐事情次第ではあるが)、積極的に投入して補給が
途切れないように腐心する一方で、魚雷艇や潜水艦による散発的ながらも英海軍の艦艇や輸送船を着実に撃沈していった。
結果的に1942年2月14日、連合国と枢軸国との間に正式な停戦交渉が合意に至るまでの間、イタリア海軍は主力艦に多少の被害を受けることは
あっても大規模な損傷を受けずに戦争を乗り切った。史実で行われたタラント空襲(ジャッジメント作戦)も、ウィストン・チャーチル首相の死亡と
バトル・オブ・ブリテンでの大規模な航空機損耗によって行われなかったこともあり、カナリア沖海戦によって戦力を失ったフランス海軍を抜いて、
枢軸連合内でも最大の海軍力を有するまでになった。
709 :高雄丸の人:2014/07/18(金) 23:44:11
強力な陸海軍戦力を有する日本だが、長大な距離と航空機の未発達が故にその戦力を欧州へと展開するためには長い航海を必要とする。
そして日本が欧州へと渡るためにはアフリカ最南端の喜望峰を回るか地中海を横断するしかないが、地中海は言うまでもなくイタリア海軍の
庭であり、喜望峰へ向かうにしても紅海にも再展開したイタリア海軍が西部インド洋ににらみを利かせられるだろう。
更に、大西洋大津波によって
アメリカはもとより、英海軍や仏海軍の生き残りなども大打撃を受け、地中海および大西洋で最有力海軍となった
イタリア海軍は、かつてないほどその重要性が高まったといえる。
そして、そのとばっちりを受けることになったのが残りの陸空軍である。
空軍はその装備不足とあまり高くない性能故に活躍ができず、陸軍に至ってはそもそも準備不足が響きアフリカでの英陸軍反攻作戦「コンパス」
によって圧倒的優位を急速に失うなどの失態などにより、弱兵揃いの陸軍に時代遅れの空軍との評価を受ける。一方で、『圧倒的な攻撃力を
誇る日本海軍すら戦いを避けた(実際には作戦行動に合わないうえ、無駄な損失を日伊両軍ともに避けたのだが)イタリア海軍』とまでまことしやかに
評価を受けることとなった。
たとえ虚像の評価とはいえ、枢軸国各国で唯一強力な艦隊を実際保持し、停戦協定によって再び活動用の重油を確保できるようになった海軍の
存在感は枢軸国内で大きなものになりつつある。であるが故に、統領ムッソリーニ率いる政府や国民の期待を海軍が一身に受けることになった。
そして、それは海軍の充足を他の2軍よりも優先されることにもつながったのだ。
元々、世界各国の陸海軍(場合によっては空軍も加わるが)は基本的に友好的な関係とはいいがたい。定められた国家予算の中のまた一部である
軍事費を互いに奪い合う以上、関係が良くなるわけがないのだが。
そんな状況で、陸空軍と海軍の関係は非常に悪化したといい。ただでさえ5大列強(米英仏日伊)のなかでもっとも国力が低く、故にそれだけ軍事分野に
避けるリソースの少ないイタリアにとって、海軍一強の予算体制では陸空軍は現状の維持すら難しくなってしまう。過去の失敗から、空軍では国内メーカー
のみでの航空機開発には限界であるとして、ドイツ、ダイムラー・ベンツ社製の液冷エンジンをライセンス生産させることで新型機の開発・採用を狙っていたし、
陸軍もドイツ製戦車のライセンスや旧式火器の早期更新など遅れた軍備への投資を求めていたのだ。
そんな状況を打開すべく、陸空軍は汚名返上の場を求めていた。そして1942年4月にドイツ軍によるソビエト連邦侵攻作戦「バルバロッサ」が発令された。
対英仏戦での被害とそれに見合わない戦果によって、国民からの支持を失いつつあるムッソリーニ率いる政府と、名誉挽回の機会をうかがっていた陸空軍の
思惑はこうして一致したのだ。
710 :高雄丸の人:2014/07/18(金) 23:46:24
1942年11月 ドン川 河畔
イタリア王国軍ロシア戦域軍、第8軍はこのドン川沿いに部隊を展開していた。
その年の6月末から開始された枢軸同盟軍によるソ連南部への攻勢作戦『ブラウ』に参加した彼らは、B軍集団の一員として
進撃を行っていた。しかし、燃料の不足や戦力の損耗からA軍集団と共にバクーへの侵攻を諦めた。史実とは異なり、
スターリングラード攻略も諦めたドイツ軍がドン川の防衛に相当数配備されていることとなった。
しかし、日本(
夢幻会)の辛辣な経済的攻撃によって疲弊した枢軸同盟軍は戦力に不安が多く、ただでさえ史実で脆弱な戦力であった
ルーマニア軍はさらに状況を悪化させており、ハンガリー軍なども見るに堪えない旧式兵器で戦線を支えているのが実情であった。
イタリア軍も状況は良いとは言えないが、対英停戦のおかげで史実ではアフリカや本土防衛に割かれていた陸戦戦力をこちらに
回せるようになったこともあり、枢軸軍全体でみても比較的良好な戦力を保っていた。もっとも、史実では予算不足から一個師団を
2個連隊で編成。予備戦力もないため休息を取れないがために緊急時の対処ができないうえに、士気も低下するという悪循環の
環境で戦っていたという状況から、ようやくまともな3個連隊編成へと移管して師団を構築できるようになったともいえるのだが。
また、対英仏戦争への参戦は火事場泥棒のごとく参戦したことで大義名分もない状況であったことに加え、第二次エチオピア戦争と
スペイン内戦への支援でたまっていた厭戦感情から戦意の低さが目立ったものの、ロシア戦域軍はムッソリーニ率いるファシスト党が
以前から掲げた反共産主義という大義名分があったうえ、それまでのイタリア陸軍の各部隊に分散配備されていた有力兵器を
かき集めて配備したこと、そして何よりも陸空軍の兵士としての名誉がかかっていた(海軍が注目されるたびに、どうしても陸空軍の
兵たちは水兵たちと比較されていたという事情がある)ということもあって、士気も悪くはなかった。
『Ураааааааа!!』
まるで大地が揺れる錯覚。ソビエト赤軍が攻撃に移る時に必ず発するその言葉は、単純ながらも
大量に動員された無数の兵士たちが奏でることで、大気を酷く震えさせていた。
“彼ら”が守りを固めるドン川河畔。
塹壕を掘り、土嚢と木材で強化された防御陣地ではあったが、幾度となく行われた赤軍の反攻作戦によって
陣地を放棄したり、修復作業を行った陣地はもはや数えきれない。兵員の損耗も激しく、まさしく厳しい戦いを強いられている。
それが“彼ら”、ロシア戦域軍の現状だった。
次第に見え始める、土色の波と深緑の点。ソビエト赤軍の兵士たちが、大地を埋め尽くさんばかりに、突撃を開始してきたのだ。
「クソッタレ、攻撃開始だ!」
防衛線の一角を担当する士官が叫ぶ。そして、イタリア兵たちが籠る陣地から次々と銃撃が始まった。
突撃してくる土色に撃ちこまれる弾丸。ソビエト兵たちは次々と倒れていく。しかし、それもものともせず、ソビエト兵たちは
突撃を続けていた。その光景は、まさしく敵対するものの恐怖感をあおる光景だった。
だが、イタリア兵たちは持ち場から逃げ出すことはなかった。手に持ったM1891ライフルやM37重機関銃、自国製よりも
ましと鹵獲したDP28軽機関銃など様々な装備でこれを迎え撃つ。
711 :高雄丸の人:2014/07/18(金) 23:48:38
「敵の戦車だ!」
兵士たちの波がいったん途切れ、新たな波が迫りくる。
その波の中には、赤軍が誇るT-39などの精鋭戦車もわずかに含まれていたが、その多くはすでに旧式化した
T-24中戦車やT-26軽戦車といったものばかりである。
史実と異なる強力な日本戦車と戦闘を繰り広げた赤軍はKV-1の改良型(史実KV-9のような火力増強型)やT-39の量産と配備を行っており、
45mm砲装備の旧式戦車は後方で予備兵装や治安維持用として展開していた。そのため、ドイツの侵攻による工場の疎開と重工業化の
失敗によってT-39などの精鋭戦車が見えなくなると同時に旧式化したこのような戦車が赤軍の主力戦車として反攻に用いられるように
なったのだ。
こうした旧式戦車は装甲が薄く、撃破が容易なのは幸いだったとはいえ、主砲である45mm砲はロシア戦域軍の主力戦車であるL7軽戦車には
十分脅威であったし、T-26軽戦車の主砲を火炎放射器へ換装したOT-133は歩兵に対して非常に有効だった。また、戦車の装甲が
薄いのは赤軍でも周知の事実であったため、増加装甲で防御力の強化を図ったものもあり、伊陸軍にとってはなかなかの強敵であった。
ロシア戦域軍の砲兵陣地から、次々と砲撃が行われる。だが、その砲弾は迫りくる戦車や歩兵の足を止めるには足りない。防衛線が
長すぎるため、濃密な支援砲撃ができないのだ。
そして止まらない赤軍戦車はドン川を渡河しようと、渡河可能な浅瀬へと足を踏み入れようとした、次の瞬間――
「ナナがやったぞ、ザマァみろ!」
「テメェのマンマの下に帰りやがれ、このアカ共が!」
先頭を走っていたT-39の側面に砲弾が直撃して、煙を上げて停車した。その姿を見たイタリア兵たちは次々に歓喜の声とソビエト兵たちへの
罵声を上げた。
赤軍戦車と止めた功労者である“ナナ”とは、伊陸軍が開発した自走砲であるL39のことである。小人の女の子という意味を持つ愛称で
親しまれるL39は18口径という短砲身ながらも75mm砲を装備している。対戦車榴弾を使用すれば、T-39にも対抗できるこの自走砲は
対戦車能力で劣るロシア戦域軍の貴重な戦力だった。
だが、一時の幸運も長続きはしない。
712 :高雄丸の人:2014/07/18(金) 23:54:56
ソビエト赤軍はなんと、撃破されたT-39を後ろからT-24が押し出し始めた。速度は微々たるものだが前進しており、
後続の戦車や歩兵がM1927 76mm歩兵砲や迫撃砲、さらには後方の砲兵によってロシア戦域軍へ阻止砲撃が
撃ち込まれる。
友軍前進の支援砲撃だが、隠蔽された対戦車砲やL39の位置まではわからないらしく、その砲撃は当てずっぽうなものだ。
しかし、世の中数も撃てば当たるものである。
「あぁ、ナナが吹っ飛ばされた!」
『ぎゃああああああ』
いたるところで悲鳴が上がる。
戦車壕にダグインして身を潜ませていたL39の頭上から砲弾が落下、オーブントップが故に車体内で誘爆しながら
爆発を起こしたり、隠蔽されていた対戦車砲のそばに着弾して砲兵たちを吹き飛ばしたり。当てずっぽうな砲撃とはいえ、
次第に被害が増えてゆく。
そして、砲撃から身を守るべく塹壕内へと隠れていたイタリア兵の一人が、一瞬の隙を見計らって頭を上げる。
そこには、撃破されたT-39を押し出して、渡河を今にも終えようとしているT-24とそれに後続する各種戦車。
戦車に跨乗したり、小さなボートを使って渡河しようとしている赤軍兵士たちの姿が目の前で繰り広げられていた。
砲弾の在庫が底をつき始めたのか、先程までの砲撃にくらべてその勢いは弱まってきた。しかし縦深が十分に
とれていないこの防衛線では、ソビエト赤軍が用意した人海戦術の前ではとても支えきれないだろう。兵士は絶望に
さいなまれながらも、自らが手に持っていたModello 1938を強く握りしめる―――その時だった。
上空から聞こえてくるエンジン音。
1機や2機程度の少数ではない、高らかな爆音が戦場に響き渡る。そして、その音が自分たちのすぐそばにまで迫った、
と思った瞬間、渡河を終えてロシア戦域軍を蹂躙しようとしていたT-24が爆発した。同じようにソビエト兵が乗船していた
無数のボートの周りには大小さまざまな水柱が立ち、迫撃砲や歩兵砲で砲撃を加えていたソビエト兵たちにも平等に
死が降り注ぐ。上空を見上げれば、独特の迷彩と認識表示。
イタリア王国空軍、ロシア戦域軍所属の戦闘爆撃機MC.200が何十機と空を飛んでいた。友軍の危機に駆けつけてきた
戦友たちに、地上の兵士たちは歓喜の声と大きく手を振ることで、感謝の意を伝えた。
イタリア王国が派遣したロシア戦域軍は幾度かの補充を受けながら、対ソビエト戦争を見事な活躍をもって乗り切った。
イタリア軍は持てる精鋭戦力をロシアの地に投入した。アルピーニ3個師団に自動車や装甲車、(性能は置いておいて)戦車に
よって編成された完全機械化師団6個を投入。さらに、戦争後期(1943年から)にはさらに戦力を派兵。新型である
M14/41中戦車やM13/40中戦車を改造した各種セモヴェンテを装備したアリエテ戦車師団やフォルゴーレ空挺師団、
トレント・トリエステ両自動車化師団など史実でも奮戦し、その戦いぶりが高く評価される部隊がソビエト赤軍最後の反攻作戦
「バグラチオン」まで戦い抜いたのだ。その奮戦ぶりは、かつての北アフリカやバルカン半島での不甲斐なさを全く感じさせず、
ドイツ軍に比べて貧弱な装備でありながらも各地の戦線で見事な活躍を見せたといえる。
そのあまりの奮戦ぶりに、当初イタリア軍に全く期待していなかったドイツ将兵は最初に驚き、そして歓喜した。同じように
同盟軍として戦うハンガリー軍やルーマニア軍らが装備劣悪で戦意も低く、あまりにも頼りない姿だったのに対して、
イタリア軍への期待と信頼は高まったのだ(もっとも、ハンガリー軍らはイタリア軍以上に装備が劣悪だったのもあるが)。
イタリア軍の戦いぶりはドイツ将兵のみならず、派遣を要請したアドルフ・ヒトラーまでも驚かせ、前線の将官からイタリア兵
向けの各種鉄十字章(二級鉄十字章から騎士鉄十字章まで)授与の推薦を受けて、「本当に、イタリア人がこれだけの戦果を
挙げたのか?」と推薦書に書かれた戦果を、3度も確認したという逸話まである。
イタリア王国陸軍。
一時は、あまりにもふがいない戦いぶりから「枢軸のお荷物」「枢軸軍最弱」と言われたこともある彼らは、故郷の地から大きく
離れた異国の地で、五大列強と呼ばれた大国の一角としての意地を見せつけた。
史実ではひどかった面ばかりが強調されたイタリア軍だが、この世界では「準備が整ったイタリア軍は大陸軍国にも劣らない」
という評価を受ける。そして、イタリアは軍の精強さと健在ぶりを片手に様々な外交戦を繰り広げることとなるのが、それはまた別のお話。
アメリカ風邪を利用しようとした人類の敵、共産主義者たちに強力な一撃を与えたとして、多くの兵士を失いながらも名誉ある
勝利を手にしたイタリアは第二次世界大戦終結後の世界で、更なる地位向上を得ることとなったのだ―――
最終更新:2014年07月19日 14:26