短編SS:歴史の神は血を欲す
「……ふぅ」
EU正統政府軍最高司令部の一室で、一人の老人が退屈げに書類をめくっている。
頭髪も髭も白に染まっており、おそらく還暦は軽く越えているだろう。だが不思議と衰えは感じさせない。
数多くの皺に覆われながらも強い生命力を感じさせるそれは、風雨に耐え続けてきた巨木を思わせる。
コンコン
扉がノックされる音に、老人は書類から視線を上げる
「入れ」
「失礼します」
書類を小脇に抱えた初老の男が入ってくる。
「中東戦線の続報です」
「うむ」
老人は男から書類を受け取る。それを素早く読み終えると、彼は悲痛そうな顔で目を閉じる。
「オルリーが逝ったか…」
うめくように呟く老人に男は申し訳なさそうな表情をするが、慰めの言葉を言うまでも無く無言で立ち続ける。
「…しかし、シリアが突破されたとなると中東方面軍はもう戦力として計算出来んな。退路を断たれての降伏に追い込まれるだろう」
「左様ですな。盾代わりの中東方面軍が消滅すればエジプトも落ちるでしょう」
気を取り直して老人は今後の動きを予想するが、その結果は到底彼の気分を上向かせられないものだった。
「それで、我らが最高司令官殿は何と言っている?それとも、会議室で誰彼構わず罵っている最中かね?」
「逃げました」
「…逃げた?」
「はい」
男の言葉に、老人は苦々しげな表情で溜息をつく。
「我こそは共和主義革命指導者の一人の子孫なのだ、と散々威張り散らしておいてこれか。予想外とは言わんが、現実のものとなってみるとやはり不快なものだな。…逃げた先はやはり合衆国か?」
「恐らくは。確証はありませんが、東アフリカに向かった模様です」
「あの南洋の民主主義教国に逃げ込んだところで、ロクな目に遭うとも思えんがな…」
老人は呆れたように言うが、それは今重要なことではないと気づき、頭を振って気分を切り替える。
「だが、そうなると新しい司令官が必要だな。政府は誰を後任にすると言っている?儂としては前任者よりマシであることを願うが…」
「それが…政府は、閣下を新しい最高司令官に、と」
「ほぅ、儂にかね?政府のお偉い方の覚えが悪く、支持している一部の将校たちも大半が中東で失われた儂に?」
「皮肉を言わんでください。それで、いかがなさいますか?」
皮肉っぽく言う老人に男は呆れたような表情で嗜めると、どうするのか問いかける。
「まあ、いい加減この窓際暮らしも飽きてきたところだ。受けるとしよう」
「閣下…」
と、男は急に表情を引き締める。
「お分かりとは思いますが、一応進言させて戴きます。あの連中が欲しいのは生贄でしょう。自分達が逃げ出す時間を稼いでくれ、そしていざという時に責任を一部でも押し付けられる…それでも、お受けになりますか?」
「言わずとも、儂の答えは分かっていよう?プレトゥラ大将」
「……」
男は返事をしなかった。だがその何かに耐えるような表情が、彼の内心を物語っていた。
「ヒトラーの作ろうとしている国は、EUを作った革命家たちが目指した物とは別のものだ。誰もが彼を支持するようでは、後世の人々にかつてのEUそのものが否定されかねん…」
「……」
「それに儂は80年生きた、もういい加減生き飽いた。…このままベッドの上で死ぬというのもつまらん。ユーロブリタニア、あの本物の騎士たちと戦い、その槍に掛かって死ねるというならば、武人の本懐というものよ…」
「閣下…」
遠い目をする老人に、男は何と言っていいのか分からず立ち尽くした。
「…それと、如何に腐っていようとこれまで儂に給料を払っていたのはあの連中だ、見捨てるわけにもいかんよ」
「…それもそうですな」
柄でもない雰囲気にしてしまったか、と笑い飛ばすように言う老人に、男も合わせて笑みを作る。
「…大将、君はどうするかね?今ならば、まだ脱出できるだろうが…」
「それこそ言うまでも無いことです。ここで逃げ出しでもしたら、あの世でオルリー将軍たちに袋叩きにされるでしょうからな」
「…そうか。では最後まで付き合ってもらうぞ。大将」
不敵に笑みを浮かべて答える男に、老人も笑みを浮かべながら答えると、書類を手に立ち上がる。
「さて、ではまずこの穴蔵から抜け出すとしよう。最高司令官室の椅子は、ここのより座り心地が良いといいのだがな」
「それは心配無用でしょう。前最高司令官殿は、調度品に妥協しない方でしたからな」
二人はいつものように軽口を叩き合いながら部屋を出る。
「…せめて、我らだけでも最期まで看取り、殉じてやらねばな。このクソッタレの共和主義国家を…」
老人の呟きは、誰に聞こえるでもなく消えていった。
――EU正統政府陸軍元帥、ジョゼフ・エミール・エティエンヌ。
後の世で『EU最後の宿将』『不屈の銀獅子』と呼ばれた男の、最後の戦いが始まる。
以上です。
なんだか以前トゥ!ヘァ!様が投稿なさったSSの中将と被っている気がしないでもないですが、
思いついた以上は書いてみようと書いて投稿しました。
EU正統政府もこういうマトモな軍人を閑職に回すようなマネをしなければ、
あそこまで無様な負け方はしなかったでしょうに…
まあ、マトモじゃない人間を排除し続ければ組織が維持できなくなるという腐敗国家ならではの悲しい事情もあるのですが。
最終更新:2014年08月18日 16:26